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発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと)

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どうも。志乃です。

今日はADHD当事者の一人として、日頃抱えているジレンマについて、すこし真面目な記事を書きます。最初に断っておきますが、今から書くことは全て私個人の主観であり、ADHDを代表して発言するものではありません。発達障害はグラデーションのようになっていて、一口に発達障害だと言っても個人差があります。そして当然ですが、一人一人に違った考え方や価値観があり、全ての発達障害者が同じように感じるわけではありません。そのことを理解した上で、読んでくださいますと幸いです。 

 

  • 「嘲笑われる」と辛いが「笑わせる」 のはみんな幸せ 
  • あの有名人も、もしかしたら…?
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    Twitterで流行った「ADHDあるある」ネタ

    先日、Twitterで、こんなハッシュタグが流行っていました。

    発達障害のひとつである、ADHD(注意欠陥/多動性障害)の当事者たちによる、あるあるネタです。私も調子にのって、いくつか投稿しました。

     

    そこそこウケました(ありがとうございます)。

    そして仲間うちで盛り上がるうちに、チラホラこんな意見が出てきます。

     

    内輪ネタだからウケるのか、誰が見ても面白いのか。

    『もし、誰が見ても面白いものだったら、「より広く深く発達障害について知ってもらうための楽しい糸口」として、啓発活動に使えるのではないか。』

    あるあるネタですから、共通認識がない方には伝わりにくいかもしれませんので、さっきのネタツイを使って、試しに解説をつけますと。

    【解説】ADHDは注意力散漫なので忘れ物や落し物が多い

     

    【解説】ADHDは気が散りやすく集中力が切れやすいので、話の途中で別の考え事に夢中になることがあり、聞き漏らしによるミスをしやすい

      

     【解説】ADHDは、入ってきた情報を頭の中だけで一時的に記憶しておくことが苦手。

     

    なんでしょうね、この「一気に白ける」感じ。

    滑ったネタを、どこが面白かったのか自分で解説しなきゃいけない時の感覚に似ています。苦行です。いっそ殺せ。

    障害を笑いにするというタブー とジレンマ

    こちらの記事では「障害を笑いにするタブー」について取り上げています。

    この記事に触発され、わたしも普段抱えているジレンマについて、書いておこうと思い、ペンを取りました。

     

    1981年10月、今よりもずっと発達障害への理解がない頃、私は生まれました。

    今と違って、母に発達障害についての正しい知識が与えられる機会はありませんでしたし、まず概念を知らないのですから、学ぶという発想すらなかったと思います。結果、「他の子より、ちゃんとしていない」私を子育てしていく過程で、行き過ぎた躾や、過保護・過干渉、人格否定を度重ねるなどし、母も私も、いばらの道を歩むことになりました。

    大人の発達障害者の多くはこうして、無理解な親による「躾」により、幼少期に自己肯定感が育まれにくく、うつ病などの二次障害に苦しむことがあります。知識さえあれば、理解さえあれば、何か変わっていたかもしれません。そして現代では、そういった障害を持つ子どもや、そういう子どもの育児に悩む親に対するサポートがあり、1歳児検診など、早い段階で、しかるべき専門機関に誘導されるようになっています。

    現在、親として子育てをしながら、自分の子ども時代との差に、(とても喜ばしいことなのですが)すこし切なくなることがあります。

    「発達障害の子どもを持つお母さん」を対象にした子育て関連書籍は、世の中に数多く溢れていますが、「発達障害『と』子どもを持っているお母さん」を対象にした子育て本は、現時点で一冊も確認できていません。遺伝的なものだとする説もあるのに、です。

    このことからも、「子どもの発達障害」への理解は広まってきましたが、「大人の発達障害者」への理解は、今も遅れていると感じます。

    (2016/4/7追記)この記事を読んだ方から、オススメのシリーズ本を教えて戴きました。情報ありがとうございます。

     

    本題からそれました。話を元に戻します。

     

    「ドジ」「おっちょこちょい」「天然」「うっかりさん」「不思議ちゃん」と呼ばれ続けた学生時代。人よりもそそっかしくて、人よりもミスが多くて、人よりもだらしがなくて、人よりも迷惑をかけることが多くて、人よりも疎まれやすい。そんな子どもでした。

    どんなに気をつけていても、どうしても、みんなみたいに「ちゃんとできない」。

    努力しているのに、どうしても、「普通に」「ちゃんと」できなくて、叱られて、嫌われて、呆れられて、見捨てられそうになる。

    影でどんなに頑張っても頑張っても、「努力が足りない」となじられる。

     

    そんな私が身につけた処世術は「失敗を笑いに変える」ことでした。

    「嘲笑われる」と辛いが「笑わせる」 のはみんな幸せ 

    同じ失敗でも、話し方や伝え方を変えるだけで、お母さんも、先生も、友達も、みんな笑ってくれる。どんなに深く、自分自身に絶望した失敗でも、話しているうちに自分もどんどん「とても楽しい出来事」だったような気がしてくる。疎まれてばかりの役立たずの自分でも、誰かを心から楽しませることができる。それがもう、本当に嬉しくて、楽しくてね。いつも、「どうやって笑いをとるか」ばかり考えるようになりました。そんなことを繰り返していくうちに「失敗が多いけど、なんだか憎めない」なんていう治外法権を、すこしずつ手に入れていった気がします。学生時代、女子社会の中で「ハブられる」のは生き地獄を意味しますので、そりゃもうあなた、死にものぐるいでした。

     

    たくさん生き地獄を味わい、人間不信に陥りながらも、そうやって培ってきた技術も確かにあって、今の私が形作られているわけですから、今となってはいい経験だったかなとも思うんですが。大人になって、実は自分がADHDだということが発覚し、自分らしく胸をはって生きていこうと決意したことにより、とあるジレンマが発生します。

     

    笑ってもらえなくなる。

     

    私が笑ってもらえたのは、「ちょっと変わっている”だけの”子」「天然」だと、周囲に思われていたからです。サーカスのピエロは、片方の目から涙を流しながら、観客を笑わせていますよね。そのピエロが実は障害者だったとわかったら、あなたはそのピエロを、心から笑うことができますか?

     

    ピエロ「顔で笑って、心で泣いています。そんな私の芸で笑ってください。」

     

    笑えねえ。

    笑えやしねえ。

    笑うやつがいたら友達になりたくない。

    ピエロもピエロだ。もっと自分を大事にしてほしい。

     

    実は笑いというのは、「侮辱」とかなり近いところにあります。そこに気づいてしまったら、心根がやさしい人ほど、障害者をバカにして笑うなんてことができなくなると思います。

    また、前述のとおり、大人の発達障害者は育つ過程で自尊心を深く傷つけられているケースが非常に多く、バカにされることで、さらに心の傷をえぐられてしまう方もいます。

     

    「障害だということで笑いを取れなくなるくらいなら、「ただの天然」としてバカにされてた方が良かったかもしれないな」なんてことを過去に軽率にツイートして、同じ発達障害者から怒られたこともあります。

     

    私は別にバカにされてもいいし、自分という人間が誤解されてもいいから、自虐ネタで笑いをとりたいし、それが快感なドMなのですが、みんながみんな、そう感じるわけではありません。

    実はこちらの意見にも、共感する部分があります。

    前述のまとめには、膨大な量のADHDネタが投稿されていますが、当事者から見ると、首をかしげるものも多くありました。最初に述べた通り、障害の程度は千差万別なのもあり、「それ、あるあるじゃないし」「わたし違うし」「一緒にされたくないのに、誤解されてしまう」って感じたら、それはもう、笑えないですよね。

    あの有名人も、もしかしたら…?

    ところでわたしは、漫画の「サザエさん」に、昔からシンパシーを感じていました。

     

    買い物しようと街まで出掛けたが財布を忘れて愉快なサザエさん。

    わたしだ。

    お魚くわえたドラネコ追っかけて裸足でかけてく愉快なサザエさん。

    わたしだ。

     

    みんなが笑ってる。

    おひさまも笑ってる。

    ルールルルルッル。

    今日もいい天気。

     

    幸せそうで何よりです。 

     

    お日様も自分を笑っていると思うサザエは、何か別の病気が潜んでいる気がしなくもないですが、とにかく私はサザエさんに「同じ匂い」を感じ、ADHDだったんじゃないかと疑っているのです。そして、ひと昔前までは(もしかしたら今も)そんなサザエさんは、「人よりもそそっかしくて、おっちょこちょいな、でも愛すべきキャラ」として、大衆から受け入れられてきたのではないでしょうか。

    色んな苦労があり、色んな人生があり、色んな発達障害者がいます。そのうちの一人として、私個人が望んでいる未来は、発達障害への理解が進んでも、サザエさんが発達障害だとカミングアウトしたとしても、変わらずに世間から好意的に受け取られ、笑顔があふれる社会です。

     

     

    失敗をヘラヘラ笑って話すことに対して、「反省の態度が見えない」とお叱りを受けることも多いです。それも当然の反応として、今は受け止めています。

    発達障害にかぎらず、「あなたって、ちょっと困ったところもあるけど、そのままのあなたが、私は大好きだよ」と、他人への寛容さを抱いてくれる人が増えたら、多くの人が今よりもずっと生きやすい社会になるだろうなと思います。

    本当は親にそう言って欲しかったけれど、一番理解していて欲しいその人に理解されず、ありのままの自分を誰にも認めてもらえずに、苦しんできた多くの発達障害者がいます。

     

    発達障害者が、自分のありのままを認めて、自分らしくのびのびと振る舞える社会が、もし実現したとしたら、「ありのままのサザエさん」が、世間の多くの人に愛され、好意的に受け入れられていた過去の社会に、もしかしたらかなり近いかもしれないですよね。

     

    仮に全ての人から理解されなかったとしても、ただただ自分らしくありたいし、人生を楽しみたい。それが認められる社会になることを、心から願っています。

    f:id:shinoegg:20151205155802j:plain2回目は美味しくできたよ

     

    コメント

    1. こんばんは。興味深く拝読しました。私はスペクトラム当事者です。
      twitter上に流れてきた例の童話のパロディ、私は「発達障害者あるある」して笑えると言うよりもゾッとしました。
      克服までは行かないまでも、対処方法や世間様と衝突が起きない様にする為の「一般的な常識」のすり合わせ、色々と前向きに「気づき」と「情報」をもとに努力をしていました。
      けれど、この「発達障害者あるある」は当時者の私にとって絶望感と言うか「自虐」「卑下」する気持ちになりました。まだ、「笑い(または苦笑い)」に転換する事が出来ません。
      恐らく、「笑って許せる問題」と「笑って許せない問題(コイツ駄目過ぎる…白ける、呆れる、関わりたくない)」の違いなのかな、と思いました。
      サザエさんの様なタイプは前者で、私は後者を経験してきました。なので「皆を心の底から『あいつナイわ』と思われない程度に」気を付けないと。と思っていました。
      改めて、「発達障害者あるある」を読み返すと、中には「私はこんな事は思わないな」とか「え?こういう回答しちゃう症状の人もいるんだ」と驚きましたし、自分が持つ症状以外の回答を何度も読み返しては「皆が驚いたりドン引きしたりする気持ちって、こんなに衝撃が大きかったんだ。私は皆に、こんな事をしてたんだ」と改めて実感しました。同時に涙が止まりませんでした。
      こりゃ、友達が出来ないのも当たり前だわ。と悟ったからです。
      私も、どうせスペクトラムならば、サザエさんの様に皆から許される程度の発達障害者の方になりたかったな、と思った次第です^-^;
      でも、笑いごとでは無くて、本当にこういう症状があるんだって事が世間にもっと広まって欲しいですよね。「問題社員が」「またトラブル起こした」「ちょっとあいつ変わってる」そういう時は、ふと「もしや」と疑って福祉の精神を持って適切に対応できるような社会になって欲しいものです。理想論ですが…。
      長々とすみません!

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