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「〇〇できるなら、発達障害じゃないですよ」という誤解

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思ったことを黙っていられないのが私の悩み

どうも。志乃です。

「発達障害」が昨今、ブームになっていて、メディアで特集を見かけることが増えました。

以前からのことですが、ネットを中心に発達障害について誤解が蔓延していることもあり、今思うこと、これからどうしていくべきなのかを、いち発達障害者として、思うままに綴ってみたいと思います。

わたしの読者様にしてみれば「またこの話題か」と感じるでしょうが、少しお付き合いください。

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 知ってもらうために「わかりやすさ」は有効

「多くの人に広めたい」と思う時、「わかりやすさ」や「インパクト」が重要になり、正確さや繊細さが犠牲になることがあります。

「まずは存在を知ってもらう」ことを優先する場合、ひとつの手段として効果的なのかもしれませんが、複雑な問題を抱えた当事者にとってみれば、あまり気持ちのいいものではありません。

「〇〇だから発達障害じゃないですよ!」に思うこと

例えば、ADHDは「部屋が片付けられない」ことで有名ですが、綺麗好きな当事者もいます。

同じく、「動きに落ち着きがない」ことでも有名ですが、体の動きはそれほどでもなく、「頭の中が」目まぐるしく動き、結果として「いつもボーーッとしている」ように見えるタイプもいます。

「※症状には個人差があります。」こそが重要

実は、発達障害の情報を扱う時、必ずこの「※症状には個人差があります。」という文言が、小さく注釈として添えられています。

逆に、この注釈が記載されていないメディア情報は信用できないと考えていいと思います。

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「発達障害」という枠組みに捉われ個人を理解する妨げになることも

何度が書いていることなのですが、わたしは発達障害の当事者たちは、「発達障害」のことを知って欲しいのではなく、「自分のことを知って欲しい」のではないかと考えています。

全員に理解してもらうことは無理でも、自分の周りの人たちに、変な誤解をして欲しくないというのが、本音ではないでしょうか。

それほど、報道されていることを見て「自分とは違う…」という違和感に襲われることが多いです。「発達障害者とは、こういう人のことです。」と紹介されればされるほど、弊害も出てきてしまう。

これは何も、他人に限った話ではなくて、自分自身に対しても例外ではありません。

「わたしは発達障害だから、こういうことは向いていない。できない。」と思い込んでしまうと、自分からそのように振る舞ってしまったり、苦手なことに挑戦する意欲が失われたりします。

結果、失敗もしないが成功体験もない…なんてことになりやすく、無力感に襲われたり、卑屈になってしまったりする。 

 

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これが数年後に

 

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こうなる(ドヤァ…)

 

つまり、何が言いたいのかというと、発達障害者だって「苦手なこと」は変わるということです。

「〇〇できるなら、発達障害じゃないですよ」という言葉が、いかに信ぴょう性の薄いものか、分かっていただけるでしょうか。

 

私が言われて嫌なこと

私が心理学に興味を持ったのは、「人の気持ちを理解したいから」という理由が大きいです。できることなら、誰に対しても優しく、傷つけることのない、あたたかな人間でありたいと思いますが、なかなかそううまくいかない。

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誰とも関わりたくなくて引きこもっていた時期も

逆に、心理学を調べれば調べるほど、定型発達者(発達障害ではない人のこと)の方々の考え方が、ナンセンスに思えて、あんまり理解できないこともあります。

気持ちが理解できないのは、お互い様なんじゃないかと思うこともあります。

優しい人もいっぱいいるし、そうじゃない人もいるよ

当たり前ですよね。

本来は明るくて優しい気性の人も、状況や環境次第では、周りのことが見えなくなることもある。 

発達障害関連書籍のパイオニア、司馬理英子先生は、ADHDのことを「のび太・ジャイアン症候群」と名付けています。

のび太のようなADHDもいれば、ジャイアンのようなADHDもいるってことなんです。

 

発達障害にも種類があってそれぞれ別物ですよ

ASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群)と、ADHD(注意欠如多動症)は別のもので、症状も違います。(※ふたつ併発する場合も多いです。)

一口に「発達障害者は~」とまとめてしまうこともあり、問題がごっちゃになったりします。

 

 「〇〇できるなら、発達障害じゃないですよ」の意味

ここまで読んでいただけたらお分かりかと思いますが、

「〇〇できるなら、発達障害じゃないですよ」というのは、ジャイアンに「お前、のび太っぽくないからADHDじゃないだろ!」と言うようなもの。

忘れてはいけないのは、みんな、のび太のような優しいタイプが好きだけど、ジャイアンはジャイアンでいいところはあるし、ジャイアンだって必要な人なんだっていうことなんでしょうね。

のび太っぽくないADHDだって、ジャイアンっぽくないADHDだって、どっちにも似てないADHDだって、きっといる。

 

そして、発達障害の当事者だって成長するし、変わり続けている。

あなたは、あなたの周りの発達障害者は、どんな人ですか?

 

現場からは、以上です。

 

コメント

  1. やっぱり、「発達障害」という用語自体が志乃さんの感覚と相容れないように思います。どんなジャンルであれ、「用語」というのは、意味を狭めて定義し、理解しやすくするためにあるものなんですよね。ですから、特定の用語をつけることと「いろいろあります」は、そもそも対立する概念です。個体差として一般にイメージされる範囲以上の多様性を持つ概念を、同じ用語で説明すべきではないと思います。
    「発達障害」という単語は、本人が名前がつくことで安心したり、適切な対策を探しやすくするためには有用ですが、外部に理解を求めるために使うのは適切でなく、弊害も大きいと思います。
    たとえば、背が極端に低い人、高い人には「成長障害」という概念があり、症状や原因別にいろいろと名前がついています。それぞれに対策がある場合もあり、本人にとってはそれは有用な情報ですよね。
    しかし外部への理解を考える場合は、他人に「成長障害と言ってもいろいろあるんです」と理解を求め続けるより、単に背が低い個性と見做されるほうが断然生きやすいです。これは、身長に対する多様性が概ね社会に受け入れられているからです。
    発達障害も、こういった受け入れ方になっていかなくては、いつまでたっても多様性と矛盾したままになってしまうと思います。
    いろいろある(多様である)というのは、個性の範囲が大きいということです。「多様性のレンジを大きく捉える」という観点に立てば、そもそも定型発達などというものからして存在しないわけですね。
    反対に、「発達障害」という言葉は、個性や正常と呼ぶ範囲を「定型発達」の中に閉じ込めるものです。「定型」と「障害」の間に線を引いておきながら多様性を訴えるというのは、非常に矛盾した扱い方だと思いますよ。

  2. 乳児持ちの発達障害当事者ですが、先日精神科医に
    子育て出来てるなら大丈夫じゃない?
    と言われて、一番理解してほしいあなたがそれ言っちゃうーーー?
    ってなりましたね。
    人の倍以上頑張っても頭と体の無駄な動きが多くて人並みにやれてないってのに。

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