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一般人と発達障害者の違いをドラクエで例えてみた

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どうも。こんにちは。発達障害界の松岡修造を目指す女、望月志乃です。

発達障害について、人によって捉え方が違うと思うのですが。わたしの感覚を説明するのに、ドラクエがピッタリだったので、わかりやすく絵にしてみました。

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 発達障害者は、能力に凸凹がある特殊能力タイプ

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定型発達(発達障害ではない人のこと)は、バランスのいい勇者タイプで、

発達障害者は、魔法使いなどの特殊能力型なのかな、と思っています。

バランス型でも、人によって違いがあり、きれいな五角形というわけではなく、それなりに凸凹があって、個人差がある。

対して発達障害者は、得意なことと、苦手なことがとてもハッキリしていて、いつも「どく」などの状態異常にかかっている。

治療薬で状態異常を抑えることはできる

発達障害の一種、ADHDの治療薬には、コンサータとストラテラという2種類がある。

それらを服用すると、状態異常を一時的に抑えることができる。

薬を飲んだからといって、能力値に大きな変動はないし、ましてや勇者に変身できるわけではない。

ただし、ステータス異常がない状態なら、本来の力を発揮することが出来、得意な分野(まほう)で活躍することができる。

勇者ばかり求められる社会

民衆が求めるのは、たいてい勇者タイプ。

なんでもそつなくこなし、大きな欠点もない。

使う側としても、不安要素が少なく、とても使いやすい。

魔法でしか倒せない敵もいる

ただ、魔法使いでないと出来ない仕事もある。

得意分野をじっくりと育てれば、レベルが上がるにつれて、勇者には使えない、強力な魔法を覚えることができる。

勇者を目指すのもいいけれど

誰にでも、向き不向きはある。

自分が勇者でないからと言って、卑屈になる必要は全くない。

凸凹はあるものの、トータルで見れば、勇者と「総パラメータ値」は同じかもしれない。

それに、パーティの全員が全員、勇者では面白くないし、画一的で怖い。

能力値に凸凹がある特殊能力者の、得意分野をきちんと知ってもらい、パーティの一員として、誇りをもって冒険に参加できるような、そんな世界になればいいなと思う。

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コメント

  1. すごくわかりやすかったです!
    なんらかのステータス異常は耳が痛い・・・笑

  2. 非常にわかりやすい分析で、イラスト入りでポップに読めますね。発達障害があろうがなかろうが、特別な支援が必要な子が増えてきているような世の中だと感じます。何だこの不思議な現象は、と思い考察している次第です。今後も楽しく拝見させていただきます。

  3. 凹凸があるのが当たり前、それをおかしいと思う方がむしろバランスがとれてない気がすると常々感じているものですが。
    文中の「なんでもそつなくこなし、大きな欠点もない。使う側としても、不安要素が少なく、とても使いやすい。」にもしかしたら集約されているのかもしれません。

  4. わかりやすい!枠内が社会の認知で、枠外は可能性を秘めてる感じがします。天才といわれる方々は魔法使いに属するのかな、、個性は大切ですね。見る人の認知度によって状態異常に見えたりもしますし、そうじゃない見え方もあるのかなって気がします。わからないですが、、

  5. なんだかうるっとしてしまいました(笑)
    私は自分の空気の読めなさや上手く人に物事を伝えられないことに悩んでいました。一時期先生に障がい者と笑われていた事もあります(笑)
    やっと精神科に行き、カウンセリングとお薬で前に進めそうです。
    もっと沢山の人にこの記事が広まりますように。

  6. 学校に通っている時からたくさんの苦労をしてきた人が多いと思います。それは周りの理解不足からくるものも多い。
    勉強が得意苦手、運動が得意苦手、身長が高い低い、目がいいわるいなどと同じことだと捉え、勉強が苦手な子どもには個別に教える、目が悪い子どもは席を前にするという当たり前の支援と同じく、一人一人に合わせて周りが支援できる社会を目指したいです。

  7. そもそも、定型発達、なんてものはあるんでしょうか。前提から否定するようで申し訳ないのですが、「世の中には定型発達の人と発達障害の人がいる」という概念そのものが疑わしいとわたしは思っています。
    ヒトという動物はもともと、社会で認識されているよりももっとずっと(体内で分泌・生成されるもの含めて)多様なのに、わたしたちの社会が「これが定型発達/これが正常値」と、都合のいいところに線を勝手に引いたに過ぎないんじゃないか、と思うんですよね。
    今のように多くの人(当事者含め)が「定型発達」と「発達障害」の間に線を引き続けようとする限り、「定型発達」のひとの生きづらさは「発達障害」のそれと区別され続けてしまうのでしょう。でも、それは多様性の受容という概念には逆行するものだと思います。

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