発達障害診断テスト前に訓練をさせる親心
子どもに、発達障害があるかどうかを見極めるテストがある。好成績になるように、事前に訓練をさせる親御さんがいるらしい。
理解を深めるために受けるテストで、わざわざ理解から遠のこうとするのは本末転倒ですよねえ… https://t.co/DSCTfx1kdV
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月4日
「発達障害だと困る」んだろうなあ。それで困るのはお子さんなんだけど…
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月4日
うちの母は「発達障害」と聞いても「知的障害」との区別がつかないのか、「あんたは昔から賢かった!そんなんじゃないから大丈夫よ!」と拒絶反応を起こして、シャットアウトする。「そんなものなわけない」と、ありのままを拒絶されるのは切ないものがあるわね
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
IQが高かったら安心なのか?
知的障害と併発している人もいれば、そうではない人もいるし、
IQが高い人がいれば、IQが低い人もいる。
IQが高いという理由で、生きる上での困難さを、正しく理解されない子どももいる。
私が精神科で医師に言われたのは「IQ高い人は、生きるのが大変です。」というもの。
周囲から理解されにくく、絶望と孤独を深めてしまったり、感じたくないものを感じ取ってしまったり、脳の処理に心と体が追いつかず、ダウンしてしまったり。
IQが高めなせいかどうかは知らんが、余計なことまで考えて、エンストを起こす。頭では正解が分かっていても、心や体がついていかないことが多々。ある意味では恵まれているぶん、「もっと大変な人もいる」「恵まれてる」と生きづらさがあんまり理解されない。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
「わかってるのに、なんで出来ない!!?」の繰り返し#ADHDあるある
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
発達「障害」という言葉のインパクトが相互理解を遠ざける
発達障害を悪いものとして扱ってしまうのは言葉の力が強いせいもあるんだろうなあと思う。ADHDとかASDというワードも今じゃ強く「障害」のイメージがついてしまっただろうし、なんともなあ。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月4日
定型発達者を普通車、発達障害者をレーシングカーに例えるの好き。公道には向かないけど特化型っていうのがわかりやすい。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月4日
理解されなくても、愛を感じることはある
旦那がダウンした私を見てよく言うセリフ第1位
「難儀な子……」
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
「(俺にはよく分からないけど、貴方が大変なことはなんとなく分かったし、無理しなくてもいいと思うんだけど、俺がそう言ったところで簡単にはいかないんだろうな、)難儀な子…」
くらいの意味合いを感じるので、
「(面倒くさいし迷惑な)厄介な子…」とは全然違う
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
弱者って何?強者ってどういう人?
わたしは「弱い人間」なんだろうか、と自問自答することがある。
「強い人には厳しく、弱い人には優しくするのが自分の正義だ」って言い切ってる人がいて、その人のフォロワーも「素晴らしいです!」と絶賛してる人ばかりなんだけど
①完全なる主観で他人をジャッジする
②弱い人認定の基準は何
その傲慢さと危険性に気づかないのかとぞっとした。— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月3日
社会的に地位がありながら思いやりのないことを言う発言者に対して「強者の理論だ」とか言うけど、人間の強さって何なんでしょうね?
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
どんな状況、どんな立場にあっても驕らず、他者への思いやりを忘れない人を「強いなあ」と個人的にはよく思う
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
他人を批判したり、粗探しをするのは簡単なんだよな。だって、欠点のない人間なんていないわけだし、叩きどころなんて探せばいくらでも見つかる。ありもしないことを捏造して叩く人もいる。相手の立場になって、長所に目を向けて、長い目で見つめることの方が何倍も難しいし、精神力を使う
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
「発達障害者は生きているだけで周囲に迷惑をかけている」?
「それをもっと自覚しろ」と、知らない人から強要されることもある。
ブログの批判コメントでよく頂くのが「貴方には、発達障害者に迷惑をかけられている人の気持ちが分からない」といった類のもの。むしろ鈍感でいられたら、自分の加害性に落ち込むこともなく、こんなに生きづらさを抱えることもなかったんだろうなあ。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
「迷惑をかけたくない」という気持ちが強く、真面目なために、大人の発達障害者の多くが、鬱病などの二次障害に悩まされがち。「貴方には相手の気持ちが分からない!」という人ほど、こちらの気持ちには無頓着なふしぎ。— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
優しく、真面目な気持ちからくる苦しみなら、まあ、そんなに悪いもんでもないのかもね
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
一番辛いのは、孤独による絶望
結局のとこ、人間の心にとって何が一番辛いかって「孤独」なんじゃないのかなーと思ったりするわけです
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
うちの旦那も(口には出さないけど、私のこういうところが理解できないんだろうな〜)っていうのが態度で分かる時が多々ある。ツイートとかブログで辛い気持ちを書くことで、自分も整理できるし、ほかの誰かに伝えることもできる。言語化、大事。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
理解あるパートナーを見つけられるかどうか、もしくは理解のないパートナーから理解をどう得るかで、幸福度がめっちゃ左右される…
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
全員から理解されようとしなくていい
(あーーーこの人なんかやだなーーー)と思いつつも(でも色んな人と付き合った方が自分の見識が広まるのでは)とか考えちゃって無理しちゃうやつ、いざ離れてみるとそうやって悩んでいたのが笑っちゃうくらい快適なのでさっさと離れちゃう方がいいんだろうなと思う
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
そんでやっぱり見識は広まるので、無駄ではないんだろうけど、苦労やストレスに対してあんまり見合わない。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
誰に対しても優しく、誠実な人間でいようと思うと、自分が傷だらけになるんだよなあ。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
八方美人を意識してやめてからの方が楽になった…
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
ただ自分らしくあるだけで誰かを救っていたりする
「言いたいことを黙っていられない」のが、私の欠点だと思っていたけれど。
そんな私の言葉に「救われた」と御礼を言ってくださる方もいる。
ここのところ立て続けに嬉しいコメントを頂いていて、有難い限り。他の誰かと比べてたって仕方ないし。がんばろ。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) June 5, 2018
その人がその人らしくいることで、他の誰かが救われていたりする
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月5日
それは別に、私に限った話ではなくて、これを読んでいる貴方にもきっと、当てはまることなんだろうと思う。
現に、「ありがとう」というブログへのコメントで、私が救われている。
幸あれ
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年6月6日
ただ、気の合う仲間に囲まれて、自分らしく生きたい。
コメント
志乃さんのブログ、いつも楽しく読ませて頂いてます。
「人に迷惑をかけているんだから、そちらの気持ちも考えて」は、小さいころから散々、本当にいろんな人から言われてきてました。
人の気持ちを知ろうとするからこそ、感情移入しやすいからこそ、何度も自分を責めに責めて深く傷つき、「次はもっと気持ちを考えよう、失敗しないようにしよう」と、四苦八苦して出来たのが、八方美人な自分です。
結婚し、定型発達の夫がストレートに気持ち(嫌だ、疲れたなどネガティブな言葉も)を表現することに戸惑いました。
こちらは、気持ちを汲もうと努力しているのに、お構い無しに発言する夫は思いやりにかける人なんだと思ったこともあります。
しかし、夫は私を傷つけたいわけではないことに気づきました。夫が「疲れた」と言えば、こちらの気持ちを押し殺すことが善だと信じており、
私も「〇〇で疲れた」この会話が許されると思っていなかったのです。
志乃さんのおっしゃるように、八方美人をやめて、楽になったという気持ちにすごく共感しました。
私は志乃さんが、ADHDの気持ちを言語化をしてくれることで、本当に救われています。これからも、楽しみにしています!