周囲から見下されている気分の時、何のことはなく、自分で自分がイヤになっているだけなのかもしれない。
自分は誰もバカにするつもりがないのに、なぜか周りからバカにされる時もあって、そんな時は(どうして放っておいてくれないんだ!?)と疑問に思う。マウンティングをする人種は、自分に自信がないから、脅威に思う相手をねじ伏せようとするらしい。脅威に思って貰えるだけ、光栄に思うべきなのかしら。
余裕がない時は、1人か2人にバカにされたくらいで(どうせみんな、心の中じゃ私のこと見下してるんでしょ)という、いじけた気分になってしまったりする。
そういう時は、たいてい卑屈になっている。周りの問題であることも確かにあるが、自己イメージがそのまま「他者から見えている客観的な自分の姿」に思えて、自分で自分の首を絞めている。大事な人と対等な関係になりたくて、同時に「なれっこない」と決めつける。自分が信じられないから、他人にも信じてもらえる気がしない。でもまあ、そんな時もあるよね。にんげんだもの。
イジけていたって仕方ないと分かっていても、それでもイジけたい気分になる時はある。わたしはあまりお酒は飲まないし、気軽に飲みに行くような友達もいない。しみったれた子どものような愚痴を他人様に聞かせる気にもなれず、イジけた気分をもて余す。
大人にだってね、母親にだって、イジけたい時はあるんですよ、「どう思います?」とタロットカードを引くと「感情的になるんじゃないよ」とお達しが出た。子どもの頃からそうだったけれど、大人になってからは特に「感情のやり場」に困ってしまう。どうにかこうにか自己処理をして、みなさん毎日がんばっている。
自信を持てるようなことを、することにした。分かりやすい目標設定が、大人には必要なのかもしれない。学校はその点、とても分かりやすかった。定期テストがあって、部活があって、目の前のことに集中すればいい。サラリーマンも、一つ一つ、目の前のことを片付けていく。私にはそれが出来ていないのかもしれない。
子育てに正解はなく、プロジェクトとしてはとんでもなく長いスパンで進行している。あいにく、家事に達成感をおぼえるタイプでもなくて、自己効力感が弱まっている気がした。そんなわけで、ずっとやりたかった資格取得に、この際チャレンジしてみることにする。ADHDのいいところは、周囲からは無謀に見えたとしても、思い立った時にすぐ行動できるところだと思う。
わかりやすく将来のためになる目標を設定するほか、「夢中になれる好きなこと」に没頭してみた。
蒼居らん (@aoirunsun) | Twitter さん、ありがとうございました
頼まれていた名刺のデザインに没頭しているうちに、落ち込んだ気分がどこかに行っていることに気がついた。
「好きなことに没頭する」のが心にもたらす力は、計り知れないなと感じる。発達障害者は「過集中」と言って、集中力が一定時間、驚異的にアップする代わりに、使いどころを間違うと心身にダメージを負う特殊能力(?)を持っていることが多い。
そういう「夢中になれる好きなもの」が、いくつあるかで、気分転換の成功率が決まる。
無力感をおぼえるときは、「ものをつくる」のがいい。
それもできるだけ、わかりやすく形になるものがいい。生産性のある趣味は、それだけで癒しになる。
周囲から見下されている気分のときは、自分を少しでも大きくみせようと焦ったり、急いで成長しなければならないと思い込んだり、どれだけ傷ついているかアピールしたくなったりするけれど、本当はそんなこと必要ないし、すればするほどドツボにハマる。
ただただ、好きなことに夢中になっていればいいだけなのだ。別に生産性のある趣味じゃなくったっていい。好きなものがたくさんあるというのは、幸せなことだ。その点、オタクは「好きになる才能」に溢れているとわたしは思う。
自信を持つってどうすればいいのか分からないし、自尊心の正しい持ち方も分からないし、卑屈さからくる自己顕示欲で、いっぱいになるのもみっともない。だって、大人は、いつまでもイジけていられないのだから。
感情に任せて他人をどうこうしても解決はしないし。憂さ晴らしにはなっても、その後で自己嫌悪が待っているし。やるだけのことをやりましょう。やれることは少ないかもしれないけれど、やれるだけのことはやりましょう。そのためには、今の自分にできることを、まず把握するところから。焦る必要はない。
好きなことで気分転換をすることから始めてみようじゃないか。
そんなことを考える朝です。
コメント