発達障害の情報をネットで調べてみると、出るわ出るわ、当事者たちの悲痛な叫び。
“自分達がどれだけ困っているか”を表明することは、「発達障害者の苦労を、正しく知ってもらい、認知を広める」上で、必要なこと。
ただ、当事者の話を調べれば調べるほど、不幸話ばかりで、暗い気分になってくるのも確か。
それらを見た若者たちが「お先真っ暗だ」と思うのは、避けなければならないと思う。
世間に苦労を広める役は、他の方に任せて、私は私の考えを発信していく。
応援したくなるのはどっち?
卑屈で、苦労話ばかりするAさんと、
謙虚で、前向きな話をするBさん。
Aさんにどれだけ「そうなるだけの理由」があっても、人がつい応援したくなるのは、Bさんの方。
困難があっても笑顔で、前向きに人生を歩こうとする人が愛される。
まったく理不尽な話だけれど、実際のところ、そういうものだと思う。
でも、私たちは、誰かに苦労をアピールするために不幸でいるわけでも、
他人から応援され、認められるために生きているわけでもない。
大切なのはむしろ、他者からの評価を気にせず、自分らしく生きること…なんだよねー。
本当はみんな、わかっているけど、現実にはそう思えなかったり、困難に直面することばかり。
幸せを実感することは「現実から目を背ける」こと?
「発達障害があっても、幸せになれる」という話をすると、必ず反発がある。
「たまたま運が良かっただけ」であるとか
「生存者バイアスだ」であるとか
「環境に恵まれているだけだ」であるとか
「軽度か、もしくは自称しているだけ(偽者)だ」であるとか
(なぜか)「発達障害者に苦労させられている人の気持ちを考えていない」だとか。
「辛い現実から目を背けているだけだ」とか。
運もある。だけど、それだけではなかった。
確かに、私は恵まれている面があるのだろうし、周りの人には感謝をしている。
「運じゃない!私は恵まれていない!」と否定することは、恩人の気持ちを否定することにもつながる。
まあ、薬(ストラテラ)は笑っちゃうくらい高いし、天気が悪いだけで1日動けなくなるし、夜は眠れないし、子育ては困難なことばかりだし、終いにゃ「うつ病」が再発してしまったしで、大変なことも多い。
大学は中退するし、就職もうまくいかないし、家族には日本語が通じないし、付き合っていた男には4股されるし、友達には裏切られるし、ド鬱になって引きこもり、孤独をこじらせて自殺寸前まで追い詰められるしで、
20代までは、我ながら悲劇的な人生だった。
けれど、出会った人たちのおかげで、学んだことが多かったのも確か。
恨みがましく思ったこともあったけれど、今は申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいだ。
それらを経たからこそ、今の環境に心から感謝できるし、旦那と出会ってからの人生を、気に入っている。
紆余曲折の末に、理解者を得られた私は、恵まれているんだと思う。
「みんな」に認められるのではなく、大切な人を大切にしよう
あなたにも、大切な人はいないだろうか。
あなたにとって理想的な関係ではないかもしれないけれど、あなたを気にかけてくれる人はいないだろうか。
家族でも、友人でも、ネットの友達でも、近所のおばさんでもいい。
あなたの話を、聞いてくれる人はいないだろうか。
「人は1人では生きられない」とはよく言ったもんで、
「全くいない」と思っている人も、誰かの愛情を受けて生きている。
今日食べる肉も、野菜も、お米も、飲み物も、どこかの誰かが心を込めて作ったもので、それらを食べて、生きている。
感謝の芽は、探そうと思えばいくらでも見つかる。
あなたもきっと、どこかで恵まれている。
ただ、それに気づかないだけだ。
いつか出会う誰かのために、今できることを考えよう。
いつか出会うかもしれない大切な人を、カサンドラ症候群にしないために、今できることを考えよう。
治療中の人は、しっかり養生して、
認知に歪みのある人は、カウンセリングを受けて、
大切だと思える人に、「いつもありがとう」と伝えよう。
「世間の人」の気持ちはコントロールできない
これからどんどん、発達障害の認知が広まっていく。
ただ、きっと私たちへの偏見がゼロになることもないだろう。
世間の人がどう思うかは、この際置いておいて、あなたの大切な誰かを大切にできたら、あなたはきっと幸せになれる。
ただ一言、「ありがとう」を伝えることから、すべてが始まっていく。
わたしは、そう思う。
きっと、なんとかなるよ
何の根拠もないけどさ。
私たちは、生まれた時代が悪かったのかもしれない。
それでも、戦時中よりはマシかもしれない。
私たちは、一般の方々よりも、苦労が多いのかもしれない。
一般の方々に、迷惑をかけ、疎まれることもあるかもしれない。
それでも、私たちは幸せになれるし、なっていいんだよ。
井戸の底のような、ドン底の気分だとしても、顔を上げて、空の光を探すしかない。
現実の困難から目を背けるでもなく、
視野狭窄になって誰にも感謝できずに、孤独をこじらせるでもなく、
生まれた環境や、今いる環境を嘆いてばかりでもなく。
同じ障害を抱えながら、幸せにやっている誰かを、妬むのでもなく。
前向きに諦めよう
だって、しょうがない。
この自分を愛して、生きていくしかないんだもの。
周りがみんな暗い顔をしていたとしても、あなたはいつでも笑顔になることができる。
幸せを見つけている当事者も、たくさんいる。
あなたもきっと、今のあなたのままで、幸せになれる。
それを信じることを、どうか諦めないで欲しい。
辛いことがあっても何とか生きていこうと、毎日頑張っているあなた。
他人から色々と責められることもあるだろうけれど、私がここから、応援しています。
続きを書きました。
この記事を読んだ後に、どうか、こちらも合わせて読んでください。
コメント
読んだ上で一言言わせていただくなら常人よりやれる事が少ないだけで不幸ですよ。
id:PYU224 さん
ブコメも合わせて拝見しました。まずは、感想ありがとうございます。
では、発達障害に生まれたが最後、
いつまでも幸せになれず、
ずっと不幸なままの方がいいのでしょうか。
「こいつはただ、運が良かっただけ」の方が、
都合がいいのでしょうか。
旦那と出会うまでに努力したことも沢山ありますし、
関係を続けるために今も尽力していますよ。
なぜ「不幸だ」と主張したいのか、
なぜ、コメントで私にわざわざとそれを伝えたくなったのか、ゆっくり考えてみてください。
幸運を祈ります。
定時帰宅さん
うわー!何やら凄く有益なコメント、そして嬉しいメッセージをありがとうございます!
差し支えなければ、記事でご紹介させて頂いても構いませんか?
その際に注意すべきことなど、何かありましたら、hibiwaretamago@gmail.com にご連絡いただければと思います。
いかがでしょうか。
不幸かそうでないかは個々人にとってそれぞれ違うと思いますが?
あなたが不幸ではないからといっても他の発達の人が不幸ではないかというとそうではないでしょう。
能力や人間関係によって別れるとは思います。
より能力がなくて人間関係にも経済的にも恵まれてない人は往々にして不幸を感じやすいですよ。
ブログ主は人間関係にも能力的にも恵まれている(と思われる)ので不幸であるとは思いにくい状況だからだと思います。
これは発達とか以前に状況に左右されると思います。
名無しさん
コメントありがとうございます。
記事中にも書きましたが、私も過去に人間関係で、かなりの苦労をしました。こちらには書けないことも沢山あります。
経済的にも、親子関係(精神的虐待を受けました)にも、人間関係にも、苦労があり、不幸を感じていました。
今の環境を手に入れるために、様々な努力を重ねてきました。
自分で言うのも何なので詳しくは書かなかったのですが、運だけではない、影の努力があったりします。
どんな状況下においても、些細なことにも感謝し、恵まれているんだと思うようにしたのも、その努力のうちの一つです。
そもそも、不幸を感じやすいから、なんなのでしょうか。そこで終わりにしたら、いつまでも不幸なままですが、それでいいんでしょうか。
どんな時でも、周りに感謝をしよう、前向きに何とかやっていこうよというメッセージを込めたつもりです。