「みんな違って、みんないい。」
“他人との違い”を「おもしろさ」や「刺激」と捉えて、お互いの多様性を認め合えるようになればいい。
このブログでも繰り返し書いてきたテーマです。
娘に対しても、旦那と共にそのように伝えてきたつもりだったのですが、いくら家庭内でそのような方針でいたとしても、「幼稚園でバカにされる・からかわれる・イジられる」という経験は、娘にとって強烈なものだったようです。
引っ越す前に通っていた幼稚園は、のびのびとした園風だったこともあり、そのギャップもあって、転園してからしばらく、娘は登園拒否をしていました。
(幼稚園選びを失敗した私の責任では…?)と自分を責め、思い悩んだ時期もあったのですが、これは日本で子育てをしていく上で、遅かれ早かれ直面する問題だとも思います。
「みんなと違う材料」で「作品をつくる」のが恥ずかしい?
幼稚園のプリントに書いてあった持ちものの説明がよく分からなくて(ビーズ※細かいものでなく星型やハート型のもの)、これかな?と思ってスパンコールを買って持たせようとしたんたけど娘は納得がいかないみたい。こういう時に同じ園にママ友がいたら良かったんだろうな〜(転園時に諦めモード突入)
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
「みんなと同じじゃないと恥ずかしい」と言われ、やっぱそこに行き着いてしまうかー。そうだよなー。「みんなと違ってもいいと思うけどな〜」と伝えたけれど、嫌だという気持ちも尊重したい。先生にも見てもらって大丈夫なことは確認済みだけど…
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
「こう書けば普通、分かるだろ」と思っているのかもしれないけど、アバウトな説明文でプリントに書かれても、私は分からないんだなと。
(ビーズの定義とは……?)という哲学の世界に心が旅立ってしまった
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
先日、娘と一緒にダイソーや手芸店を回ってみたのですが、他にそれっぽいものが見つけられず。すっかり日も沈んでしまったし、家に置いてきた子猫のことも気になってしまい、「これはビーズじゃない…」と嘆く娘の意見をないがしろにして、諦めて帰ってきてしまいました。
娘にとっては、それがとても辛く、「みんなと一緒じゃないと恥ずかしい」と泣いていたと、後から旦那づてに聞きました。
「みんなと違ったら可哀想だから」と言いながら、母が良かれと思って用意してくれる持ち物が、ことごとく「みんなと違く」て、嫌だと言いづらく、嫌だと言っても聞き入れて貰えないということが続いて、クラスで恥ずかしい思いを何度もしたことを思い出した。同じことしてたんだなと反省。
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
考えてみると、幼稚園から持って帰ってくる工作物のほとんどが、「作り方が決まっていて、みんなで同じ手順で、同じように同じものを作る」ようなものばかり。
一方、娘は元々、0から自分で自由に作るのが得意なタイプ。
幼稚園の教育方針と合わない…というだけの問題かもしれませんが、それに加えて、担任の先生の認識では、うちの娘は「工作が苦手」ということになっていて、旦那と一緒に「え……得意だよね?」と驚いたことを思い出します。
みんな一緒の材料を使って、みんな一緒の作品をつくる。なんだかなあ。
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
前の幼稚園では、教室の壁に、黒いクレヨンで髪の毛を塗った絵が並ぶなか、自画像の髪色を好きな色(ライトブルー)で塗りたくった娘の絵が、堂々と飾られていたことを思い出して、切なくなってしまいます。
でも、いつまでもそんなことを言っていても、始まりませんよね。
大事なことは、これからのこと。
親として何が出来るのか、考えないといけません。
「みんなと違う」のは恥ずかしいと思わせる日本の教育
「ほら、みんなちゃんとしてるよ。〇〇ちゃんだけ恥ずかしいね。」と言って子どもに言うことをきかせようとする大人の姿を、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
それが良いとか悪いとかいう話はひとまず置いておいて。
日本は「恥の文化」とも言いますし、大人の社会でも「羞恥心」が「日本人の礼儀正しさ」を生み、秩序を保っているのだと思います。
この「恥の文化」の恩恵のために、多様性の否定というデメリットごと、日本社会の深いところまで浸透していて、根深い問題だと思います。
そして、子どもは親の鏡ですから、耳が痛い話でもあります。
幼稚園年長からもう「みんなと違う」→「恥ずかしい」の価値観が出来上がっちゃってるのか…と思うと、日本の教育ってそういうものなんだろうけど、なんかなあって。
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
家庭では旦那と真逆のことを教えてきたつもりだったんだけど、幼稚園社会の前では無力…。
いくら諌めてもジェンダー差別なことも言う(「男の子なのに変なんだよ〜」とか「ピンクは女の子の色!」とか)。なんかこう、その流れには抗えないのかしらとちょっとゲンナリ— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
娘には、多様性への許容と、自由さを学んでほしい。金銭的な不安がないのなら、インターナショナルスクールに通わせたいと思ったわ…(それすらもう「みんなと違う!嫌!」と言われそう…)
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
親の言葉は無力なのか?
わたしはチビ乃の感性が好きで、何をどう奇抜に作ろうが「オリジナリティがあって、おもしろいね」と褒めてきた。それも環境の前には無力なのかしら…。先生も「チビ乃は工作が苦手」と認識してる。彼女の感性を生かせる場をつくってあげたい。https://t.co/BiC4pfEZD1
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
もしかしたら(ママは褒めてくれたけど、みんなバカにする、ママの言うことは信じられない)となってるのかなー。
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
【育児絵日記】5歳娘が、自作品に♡1000いいねを貰った日 https://t.co/b0X51lPFBG
現在、♡1500…。この時のことがよほど嬉しかったようで時々話題にだします。その節はありがとうございました。
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
パンがないなら作ればいいじゃない
そうか。つくればいいのか。ヒャッホウ。
— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
何のことはない。
のびのびできる居場所を、家庭以外にも作ってあげればいいだけの話。
旦那は「みんなと違う」ADHDの人を「おもしろい」と思う人。変な意味でなく、「刺激的」という意味でだと思う。
みんなと違うことがバカにされる風潮が幼稚園から既にあるということを受け止めた上で、親としてやれることをやるしかないね。— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
誰がなんと言おうと、わたしは彼女の感性が好きだし、これからもそれを伝えていくことに変わりはない。
「みんなと違う」ということで、バカにされたり、けなされたりした、沢山の”わたし自身の記憶”から、つい「娘にも同じ思いをさせたくない」と思わされてしまうけれど、大切なのは「自己肯定感」で、誰に何を言われようと、本人に自信が持てればそれでよいのだった。
「違う」ということを「バカじゃねーのw」と嘲笑する人もいれば、「面白い」と爆笑してくれる人も必ずいる。わたしはそのこともよく知っている。
しかしまあ、「子育てとは自分育て」とはよく言ったもんで。
掘り下げてみるとまた全部、わたしの問題だったってオチ。
#チビ乃作品 #art #childart
色のバランスが気に入って、わたしの仕事用机のホワイトボードに貼ってる。 https://t.co/Na7MSDPTEP pic.twitter.com/brwvZfJ5ff— 望月志乃🐈 (@shinoegg) 2018年1月26日
コメント