志乃です。本日2回目の更新です。(前回の記事:軽いノリで死にたくなる話 – ひびわれたまご )
みつばさんという、大人気ツイッタラーが、不特定多数からの悪意を受けて、ツイッターを引退されるという宣言を出されました。
それにのっかる形になってしまうのですが、私も日ごろから思うところがあり、ブログにまとめることにしました。
インターネットで目立つと嫌な目に遭うことも多い
「目立つと叩かれる」これ真理。悪目立ちすると、確率はさらに倍。不特定多数からの悪意を受けるのは「有名税」というお手軽な言葉にまとめられる。言った方は気楽。受ける側としては、たまったものではないけど、それでも「やりたい理由」があるかどうか。デメリットが上回ったら辞めるのは当然。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年12月19日
誹謗中傷などの嫌がらせを受けたり、あることないこと2ちゃんねるで悪評を流されたり、嫌なコメントで攻撃されたり。
目立つということは、それだけ沢山の人の目に触れるということ。そして、その数だけ価値観があるということ。
正しいとか、正しくないとか。面白いとか、面白くないとか。好きとか、嫌いとか。
影響力のある人間ほど、言動には責任が伴ってくる。多くの人の目に触れるからこそ、発言ひとつで、多大な迷惑がかかる人も出てくる。そのため、その影響力や、発言力に対して、とても不安な気持ちを抱く人もいる。
恐れや、文化の違いや、価値観の違いから、大なり小なり取り上げられて、批判をされる。それはもう、仕方のないことなんだと思います。
何のために続けるのか メリットは何なのか
Twitterでいくらバズっても、ぶっちゃけクソリプ(嫌なコメントのこと)ばっかり飛んできて、一銭にもなりませんからね?
子ども用の知育玩具だけど35歳もめっちゃほしい pic.twitter.com/kDZWiTidDj
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年12月12日
誰を傷つけるわけでもない、こんなツイートにも飛んできた(引用リツイートとかで)
それでも「ア~~承認欲求が満たされる~♥」っつって喜べているうちはいいですけども。
それにしたって精神的ダメージが大きくて、割に合わないことの方が多いです。
最近、制作に関わった育児本にしたって、あれ私、完全にボランティアですから。(紹介料も増刷費のため寄付することにしました)
一銭にもならないことに、なんでこんな苦労してんだろうなって、よく思います。
理不尽な悪意に胃をヤラれたり、家族を嫌な目に巻き込んでまで。
一体、何のために発信を続けるのか。
もうこうなったらブログで小銭を稼ぐしかないじゃないですか!!!!
冗談(?)はさておき。
いちいち書かないけども、私も色々ありまして。私ではなく、私の身内を使って攻撃をするタイプもいました。何がその人をそうさせたのか、本人に聞かないと分からないけど、全てのことは因果応報だと思っている。インターネットで発言することは、常にリスクが伴っている。いいとこ取りなんてできない。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年12月19日
何のために、ツイッターをやっていくのか。何のために、ブログを書くのか。何のために、発信するのか。いつも考えるんだけど、「楽しいから」とか「誰かの役に立ちたい」とか「いいこともたくさんある」とか、最後に残るものがポジティブなものだから、私はいつも続けようと思える。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年12月19日
自分の気持ちを素直に文章にしただけで、「代弁してくれてありがとう」と、泣きながら御礼を言われることもある。自分が自分らしくあることで、喜んでくれる人もいる。
自分の承認欲求を満たすためのつもりが、色んな人のおかげで生かされ、大きなものになって返ってくることもたくさんある。
人間の弱さと醜さ、それも一面
有名人に嫌がらせをしている人だって、きっと会社では一生懸命になって汗を流したり、家庭では頑張り屋のいいお母さんだったり、飼っているペットの頭を優しく撫でてたりするんだろう。人間って、なんていうか、不思議だよね。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年12月19日
性善説じゃないけどもさ。会って話してみたら、案外いい人だったりするんだろうなって、いつも思います。
悪口や陰口を言ったことのない、清廉潔白な人なんていないと思うし、今の時代、インターネットにそれを書き込めるようになったというだけ。
嫉妬から意地悪を言いたくなったり、憂さ晴らしにクレームをつけてしまったり、誰かをこき下ろすことで、承認欲求を満たそうとしたり、バカにすることで、ストレス解消をしようとしてしまったり。
でも、それが人間。
それだけではないのも、人間。
そして私も、同じ人間。
他人の「人間らしさ」はコントロール不能
わたしは完璧な人間ではないし、欠点もいっぱいあるし、人に言わせると「普通じゃない」みたいなので(凡人なのに…)、これからもきっと、いろいろあるんだろうなあ…。「いいとこ取りはできない」って、おまじないみたいに言っている。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年12月19日
誰に何を言われても、大事なのは、自分が何を思い、何をしたいと思うのか。
「Twitterを続けるのは何のため?」って、自分のためですよね。
感じ方は人それぞれで、ある人が全人格を否定しても、またある人は「それがいい」と言ってくれる。
他人の「人間らしさ」や「好み」や「価値観」を、自分に都合が悪いからと言ってコントロールするなんて、そりゃあエゴっていうものだ。
他人の気持ちをどうにもできないのなら、「自分の軸」をしっかりと持つしかないよねえ。
それも、とびっきり、ポジティブなもの。
それがネガティブさを下回ったなら、いつだって辞めていい。
大事なのは、自分が幸せであることだと思う。
それが誰かのためにもなるのなら、こんなに素晴らしいことはない。
現場からは、以上です。
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