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漫画の「女性軽視表現」に対する違和感について女オタク+母親の立場から考えてみた

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「当たり前のこと」と思って、特に違和感もなく楽しんでいたコンテンツが、誰かにとっての有害コンテンツになることがある。

ウマ娘の何が問題視されているかについては意見が分かれるところらしいです。

ウマ娘プロジェクトは、名馬たちの尊厳を損なわないために、今後も皆さまとともに競走馬やその活躍を応援してまいります。

引用元:応援してくださっているファンの皆さまにご注意いただきたいこと|ウマ娘 プリティーダービー 公式ポータルサイト|Cygames

美少女キャラ化による蹂躙から、名馬たちの尊厳を守ろうとする関係者たち。

「2次元と3次元をゴッチャにするな」と、よく言われるが、この場合はどうだろうか。

蹂躙されるキャラのモチーフは女性であっても、実在の女性ではないから大丈夫だろう、という建前がある。

実在の名馬を、関係者の事情に配慮せずに好き放題やってしまったから問題になったのであって、架空の馬をどうしようが問題はないはずだと言われれば、まあ確かに、3次元の馬は何をされようが怒らないだろうなと思う。

それとは別に、「架空の美少女キャラをどうしようが、何も問題ではない」という共通認識があるような気がする。

本当にそうだろうか?

 

 

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少女誘拐をモチーフにしたドラマ「幸色のワンルーム」が放送中止に

(あらすじ)14歳のある少女は、声をかけられた青年に「誘拐」された。少女と誘拐犯の青年は寄り添う生活で心を通わせ、徐々に絆を深める。生活に慣れると少女は「二人で逃げ切れたら結婚しよう、捕まったら一緒に死のう」と提案し、「結婚」を前提として「同居生活」を始める。

引用元:幸色のワンルーム – Wikipedia

 少女のストーカーだと自称する青年が、両親から虐待を受けて居場所を失った少女を誘拐し、一緒に暮らし始める中で心を通わせていくというストーリー。

誘拐というのは単なるレトリックで、実際は「毒親から保護した話」であって、誘拐を美化しているものではないという主張もあるようです。

 

《幸色のワンルームをクレームにより放送中止に追い込んだ女たちが、中止したら中止したで「英断だ」と認めることもせず、今度は「まるで私たちがクレーマーみたいじゃないか!」と批判して騒いでいる》とされ、ネットではずいぶんと話題になっていました。

ドラマの全国放送が世間に与える影響力を考えると、わたし個人としては、放送中止は妥当だったと思います。

その作品に感動し愛している人からしたら、放送中止に追い込まれてしまったことは、作品を全否定されたようで不快だろうとも思う。

(追記)「ドラマ化が中止」ではなく、制作局である関西では放送し、東京では放映中止が正しいようです。

なぜ私が「幸色のワンルーム」の全国放送が問題と感じたか

まあ、誘拐は誘拐だよね?

まず、日本の法律では、保護者の許可なく未成年者を連れ回したら、それは誘拐であって、毒親からの保護のつもりだろうが誘拐は誘拐。

毒親から未成年者を助けたいと思うのなら、然るべき手順を踏む必要があって、愛があるから個人の裁量ですっ飛ばしても構わない、なんてことにはならない。 

「AVの見過ぎ」「漫画の読み過ぎ」で認知が歪む人もいる

ストックホルム症候群の存在

「愛があるから合意だ、だからOKだ」とするにも、ストックホルム症候群というものがある。突然、拉致監禁などの犯罪に巻き込まれた際に、被害者が極限状態の中で正常な判断力を失い、生き残るために加害者に好意を持ち始めてしまう現象のこと。

洗脳の恐怖‼︎極限の心理状態が作り出すストックホルム症候群とは? – NAVER まとめ

「被害者の女性も、俺のことを好きだと言っているから、これは合意だ」と簡単に言えるものではない。

拉致監禁されていた少女が、「女性の泣き声が聞こえる」という近所の人の通報により救出された、という一文だけのニュースに対して、「家出娘が合意の上で利用しただけだろ?保護してやったのに逮捕されるなんて、世の中狂ってる。ジジイやるな」と、被害者が誹謗中傷され、加害者が評価されている様も、見かけたことがある。

本当のところはわからないが、少なくても「通報されるレベル」の泣き声だったというのは確か。

 

「自分はそういう“作られたイメージ”や”先入観”に、絶対に影響を受けない」と、言い切れるんだろうか。

 

「漫画の力」を過小評価してはいないか

※作品を全否定するつもりはなく、むしろ好きで毎週楽しく見ています。

世界基準ではもう色々アウト

「女=エロ」が馴染み過ぎていて「…ちょっと待って?」がとても言いづらい

※よりフィルタリングが強い「キッズYouTube」というスマホ用アプリがあるようです。フィルタリング機能を過信してしまった結果、もはや手遅れのような気がしますが、今後はそちらの利用も検討したいと思っています。

 

無菌状態で子どもを育てたいという話はしていないし、そんなことを望んでもいないのだけど。

性犯罪を身近に感じ、成人男性を信用しない女児たち

いまや、小学生も当たり前にネットを利用する時代。

女子児童が「ロリコン」「変態」「性犯罪」を、私達の世代よりも、はるかに身近に感じていて、成人男性を信用せず、警戒心を強めている。

その方が、犯罪に巻き込まれる危険性は下がる。

これを「そうなっても仕方ない、あなた方には、それだけの加害性があるんだもの」で済ませると、今度は男性側の人権はどうなるんだって話で。

「ちょっと考え直さない?」はどうやったら伝わるんだろう

 

この社会から、女性を性的に陵辱する表現を、完全に排除できると思っている女性の方が少ないのでは。

「せめてコンビニのエロ雑誌コーナーを何とかして欲しい」とか

「せめて電車の中吊り広告で、性犯罪を誘発させそうなものを外して欲しい」とか、そういう「ささやかな願い」を、声を荒げて伝えるしかないという現状。

 

それを例えば、「ブルマ」が廃止され、現代の少女たちが安心してスポーツに打ち込めるようになったように、少しでも良い方向に変えていけないだろうか。

※余談ですが、そのブルマも、もともとは女性解放運動から生まれたもの。ラピュタのドーラおばさんが履いているような形のもので、下着のようなデザインではなかった。いつの間にか露出度の高いものに変化し、女性を苦しめるものとして廃止されるとは、皮肉なものですね。

メディアが作る“イメージ”とその影響力

「女性の権利を訴える女=ヒステリーで神経質」という”作られたイメージ”。

 

イメージによる力は、とても強い。

メディアが与える力は、とても強い。

 

「子どもが真似する?親がしっかり躾をすればいいだけだろ、責任を放棄するな」という声が聞こえてきそうですが。

 

傘を使った「アバンス○ラッシュごっこ」や「牙○ごっこ」を、母親から「やめなさい!」と言われて素直にやめたことがある者のみ、石を投げなさい、というやつだ。

※るろう○剣心もダ○の大冒険も、素晴らしい作品です。

 

昭和の時代、メディアに影響を受け過ぎて、狂信的に危険な行為に至る民衆をメディアを通して見てきた人も多いのでは。メディアの影響力を重く受け止め、自殺に関する報道が厳しく規定されていることも知られていますね。

正直言って、親としてどうするのが正しいのかわからない

子どもは家庭だけで育てるものではなく、環境にも大きく左右される。

子どもには子どもの自由意志があって、親が介入すべきではない領域もある。

毒になるものを排除するより、適度に与えて免疫をつけさせた方がいいこともあるだろう。

子どもが摂取するものを制限したって、限界はあるし、力ずくで抑圧したものには必ず反動がある。

 

小学校での教育方針を見ていると、わたしたち世代の教育とは明らかに人権意識について変化しているのがわかる。

急激な時代の変化の中で、保護者としてのあり方が問われている。

 

男女差別をいけないことだと教育しながら、「男の人を信用しちゃダメよ」と教育しなければならない矛盾。

どこかで折り合いをつけていくしかないんだと思う。

 

 

手塚治作品の中には、「今だったら完全にアウト」な表現が「悪気なく」登場している。「今だったらアウト」という共通認識がある時点で、それだけ漫画を取り巻く諸問題も、確かに変化しているんだろう。

 

 「当たり前だったこと」に違和感を持つのは難しい

何が正しいかなんて分からないけれど

「当たり前のもの」としてコンテンツを享受する前に、少しだけでいいから、立ち止まって考えてみて欲しいと思ったのでした。

 

立場が変われば、「守りたいもの」も変わる。

尊重して欲しければ、相手のことも尊重しないといけない。

被害にあっているのは、別に女性だけじゃない。

誰の人権も尊重されていない日本社会。

 

親の一人として、大人は子どもたちに「人権の大切さを伝える」責任があると感じる。

社会の大きな変化の中で、親としてできることは限られている。

どうにもならない部分を嘆くより、どうにかできることを考えるしかない。

 

世界のなかで、女性差別が深刻なレベルだとされる日本。

その日本を選んで、娘を育てている自分の責任について考える。

 

これから、どうなっていくのかな。

大人として、これからの子どもたちに、一体何ができるのかな?

 

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