大人の療育について話が回ってきて、正直ポカンとしてる。
何に?って、「これから出会う誰かのために/今側にいる困らされてる人のために自分を変える」って前提。
今側にいる人を大切に思うための療育なら受けてみたいけどさ。— どす恋 (@makumaan) 2016年6月7日
ツイッターで、「大人の療育」について話題になっていました。
成長って何だ?
— どす恋 (@makumaan) 2016年6月7日
子どもの発達障害の療育と大人のそれの違いは何だべな。
どうも型にはめる…んー、定型社会にはめる為の訓練のような気がする。
本人が楽に生きる為の訓練じゃないなら、どこかで歪み生まれる気がするの。だって言語外メッセージで「普通になれ」って、ハッキリ言って「治れ」ってことだよね— どす恋 (@makumaan) 2016年6月8日
わたしの気持ちもこっち寄り。向上心や、周囲に迷惑をかけないための努力は必要だが、「今のままではいけない」という自己否定からのスタートは、努力すること自体が自分を傷つけるものになってしまうから注意が必要
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月7日
発達障害者の生きづらさは「環境」にも大きく左右される
私が発達障害支援センターで初めに言われたのは、発達障害は「本人の特性」以外に、「生活障害(環境に適応できるかどうか)」にも大きく左右されるものであるという旨のお話でした。
つまり、どんな特性の持ち主であれ、それが許される環境であれば、「障害」とはならないとも言えると思います。
「治す治さない」ではなく、生活障害を大きくしない工夫が重要にもなってきます。
わたしはADHDの治療薬が2つとも使えない体質なので、薬に頼ることもできず、もうホント、開き直って自分を認め、前向きに暮らすしか方法がない。そうやって暮らせる環境に感謝。
— 志乃 (@shinoegg) 2016年6月4日
最近聞いた話で、忘れられないもの。「絵を描くのが好きな、とあるADHD当事者が、治療薬を飲むことで落ち着き、生活するのがだいぶ楽になった。だが代わりに、副作用で『閃き』がなくなり、自分の創作活動ができなくなった」と。良いとこ取りはできないというか、神様は試練を与えるのが好きだな~
— 志乃 (@shinoegg) 2016年6月4日
※副作用は体質によるもので個人差があり、全ての人に表れるわけではありません
ADHDの治療薬には、「コンサータ」と「ストラテラ」の2種類がありますが、緑内障の傾向がある私は、どちらも使用が禁止されています。神様に、外堀を埋められている感じがあります。
発達障害支援センターでも「自分を変えることを考えるより、環境を自分に合わせる努力をしましょう」っていう支援のされ方をしているし、「まずは自己肯定感を持とう」というところにいるので、「成長しよう!変わろう!なじもう!頑張ろう!」なノリは何だかしっくりこない。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月7日
自分を削らないと生きていけないわけではない
自己肯定感の捉え方なのかなぁ(´・ω・`)多分ね、一回本気でズタズタに自己肯定感無くなった経験あるからだと思う。
何もかも失った時に、残ったものの有り難み。人の優しさ。それが宝石。
で、万が一それを失ったとしても、わたしには美しいと感じられる世界がある。— どす恋 (@makumaan) 2016年6月7日
どんな自分でも、好きだと言ってくれる人はいるし、ありのままの自分を受け容れてくれる世界がある。
昨日からの話続いてるな。
えっと、改めて呟くと、人に合わせられるように不快な思いにさせないようにと徹底的に訓練して、成功体験も積んだら、気付いたら体壊してた。
好きな人を増やすのも大切にするのも楽しいけど、定型社会に馴染む為に訓練するのはもう止めたって話よ。どんなに訓練しても無理— どす恋 (@makumaan) 2016年6月7日
社会に馴染むことを優先すると、自分がどんどん削られていく。
わたしの凸凹が研磨されて、ツルツルになった時、残ったものは誰だろう。
自分の心と身体を壊すまで社会に馴染む訓練をしても、それでやっと「当たり前」のスタートラインに到達するだけ。
それで「生きていて楽しい」と、笑顔でいる自分が想像できない。
本当に「マイナスからのスタート」なのか?
「発達障害を持って生まれたことは、マイナスからのスタートで、社会(家族も社会)の中で生きるためには、何らかの形で補わなければならない」という前提を感じることが多くて、本当にそうなのか?としばしば感じる。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月7日
例えば、苦手なことはアウトソーシング(片付けられないなら業者に頼るなど)しちゃえばよくない?磨耗するくらいなら、おカネで解決しちゃえばよくない??どうやって自分の特性でお金を稼ぐか考えたほうがよくない???
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
「普通じゃない」「普通そんなことしない」とか言われても、実際、普通じゃないから仕方ないと思ってる。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
圧倒的な才能があるおかげで、「変である」ことも個性として許されている人もいて。でも大多数の人は、そこまで突き抜けてはいない。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
他を黙らせるほどの才能が私にあったなら、きっとこんなに悩まない。
死ぬまで「普通」を目指すのか、開き直って「変人」として生きるのか
しぬまで「普通」を目指すより、開き直って「変人」として生きていった方がいいのかもしれない。ただ問題なのは、わたしが「母親」ってことなんだよね…。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
それ、私もずっと考えてます。とりあえず幼稚園関連のときだけ本気だして普通ぶる努力してます。世間に許される方向性とか突き抜け具合は今までの人生でなんとなく感じてるので今後も許される空気作りが目標ですかね。公私ともに普通を目指すのはどう頑張っても病むだけなので。
— 仮面たいがぁ (@kamen_tiger) 2016年6月8日
「擬態」ですねわかります。やるやる。そしてドッと疲れるw https://t.co/NYQXZC2G1E
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
社会は「普通じゃない」人に冷たいし、「普通じゃない母親」にはもっと冷たい。それを被害妄想だと言う人もいるけど、守るべきものがあると臆病になる。 https://t.co/chvt3sGFu9
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
そして実際に、「おかしな子」という目で見られ、集団の中で孤立し、陰口を叩かれ、悲しい目に遭ってきた歴史もある。
「普通」の基準はいつも理不尽
「普通」を学ぶのに、一番効率的なのって、他人の悪口なんだよね。(…へぇ~なるほど、これって『ナシ』なんだ、まだやってなくて良かった。気をつけよう)と、他人のふり見て我がふり直せる。そうして沢山の「普通」を学んできたけど、本当にキリがないし、予想もつかない文句も多くて、もうやめたい
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
悪口から常識を学び、傾向と対策を学習しようとするが、陰口の理由が理不尽だったり、非合理的だったり、全く理解できないことも多く、ただただ、「普通の人」がどんどん怖くなる。
前にもブログに書いたけども、「普通」にこだわる人って、とても残酷。そして同時に、こうやって「普通になろう」とこだわる私もまた、まったく同じことなんだよねー。https://t.co/RJVEHlDGvC
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
迷惑をかけない人なんているのかな
ありのままの自分を受け入れて、自分自身でいようとすると生まれる反発。「ありのままでは周囲に迷惑」「大切な人に迷惑をかけてはいけない」「普通になれば生きやすい」。そういうのウンザリというか、本当にそうなのか?「迷惑はお互い様だよ」という関係性をいかに築くかなんじゃないのか?と思う。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
「アナと雪の女王」のテーマは、まさにこれなんだよね。「エルサが巻き起こす迷惑」に焦点が当たっているけど、よく見るとアナが周囲に迷惑をかけまくっている描写が多い。そんでアイツ、「死ぬとこだったんだぞ!」と言われて、平気で「死ななかったでしょ!」とか言う。つよい。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
※正確には「黒焦げになるところだったんだぞ!」「ならなかったでしょ!」です。
アナと雪の女王では、「愛さえあれば」の中で、そのアンサーを歌っていますね。
愛さえあれば (日本語歌) / 杉村理加, 安崎求 の歌詞 (1006257) – プチリリ
ズートピアも、アナと雪の女王も、ベイマックスも、根底にあるテーマは同じだと思った。多様性と受容。自分を認める力が、ずっと弱かった私は、他人を認める力も弱い。今はその訓練中。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
「他人に迷惑をかけないために」生きていくのか?
「社会に溶け込むために、自分を変えないといけない」という前提だと、つまりは死ぬまで、生まれ持ったものを否定し続けることになって、ずっと卑屈でいなくてはならなくなるんだよね…
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年6月8日
だからこそ、先日聞いた「ADHD治療薬を飲んで『普通の生活』を手に入れた代わりに、大好きな絵が描けなくなった絵師の話」が心に残る。凸凹している私たちは、凹だけじゃなく、凸もある。
— 志乃 (@shinoegg) 2016年6月8日
「変わってほしい」という他人の期待に、応えるのも応えないのも自由。ただ根底に「自己肯定感」がないと、「他人のために」歪んでしまう。「ありのままの自分を認めよう」という話と、「他人もありのまま認めろ」という話は別のもの。
— 志乃 (@shinoegg) 2016年6月9日
自分のままで、出来ることはある
この体と脳を持って生まれて来たからこそ、出来ることがきっとある。
そしてそれが、誰かの、社会の役に立つかもしれない。
だったらわたしは、それを探しながら生きていきたいと思っています。
だから、元気だしていきまっしょい。
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