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発達障害者は「ありのまま」でいてはいけないのか問題

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ツイッターで、「大人の療育」について話題になっていました。

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 発達障害者の生きづらさは「環境」にも大きく左右される

私が発達障害支援センターで初めに言われたのは、発達障害は「本人の特性」以外に、「生活障害(環境に適応できるかどうか)」にも大きく左右されるものであるという旨のお話でした。

つまり、どんな特性の持ち主であれ、それが許される環境であれば、「障害」とはならないとも言えると思います。

「治す治さない」ではなく、生活障害を大きくしない工夫が重要にもなってきます。

 

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※副作用は体質によるもので個人差があり、全ての人に表れるわけではありません

 

 ADHDの治療薬には、「コンサータ」と「ストラテラ」の2種類がありますが、緑内障の傾向がある私は、どちらも使用が禁止されています。神様に、外堀を埋められている感じがあります。

自分を削らないと生きていけないわけではない

どんな自分でも、好きだと言ってくれる人はいるし、ありのままの自分を受け容れてくれる世界がある。

 

社会に馴染むことを優先すると、自分がどんどん削られていく。

わたしの凸凹が研磨されて、ツルツルになった時、残ったものは誰だろう。

自分の心と身体を壊すまで社会に馴染む訓練をしても、それでやっと「当たり前」のスタートラインに到達するだけ。

 

それで「生きていて楽しい」と、笑顔でいる自分が想像できない。

 

本当に「マイナスからのスタート」なのか?

他を黙らせるほどの才能が私にあったなら、きっとこんなに悩まない。

 

死ぬまで「普通」を目指すのか、開き直って「変人」として生きるのか

そして実際に、「おかしな子」という目で見られ、集団の中で孤立し、陰口を叩かれ、悲しい目に遭ってきた歴史もある。

 

「普通」の基準はいつも理不尽

悪口から常識を学び、傾向と対策を学習しようとするが、陰口の理由が理不尽だったり、非合理的だったり、全く理解できないことも多く、ただただ、「普通の人」がどんどん怖くなる。

 

迷惑をかけない人なんているのかな

※正確には「黒焦げになるところだったんだぞ!」「ならなかったでしょ!」です。

アナと雪の女王では、「愛さえあれば」の中で、そのアンサーを歌っていますね。

愛さえあれば (日本語歌) / 杉村理加, 安崎求 の歌詞 (1006257) – プチリリ

 

 

「他人に迷惑をかけないために」生きていくのか?

 

 

自分のままで、出来ることはある

この体と脳を持って生まれて来たからこそ、出来ることがきっとある。

そしてそれが、誰かの、社会の役に立つかもしれない。

だったらわたしは、それを探しながら生きていきたいと思っています。

 

だから、元気だしていきまっしょい。

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