もし願いが叶うなら漫画喫茶に1人でこもって漫画本を浴びるように読み、その後スーパー銭湯に行って垢すりやマッサージのフルコースを受け、昼間から日本酒をかっくらって休憩室で仮眠し、起きたら一人カラオケに行って、天下一品ラーメンを食べて帰って来たい。母親という立場を忘れて不摂生したい
— 志乃★陣痛なう発売中 (@shinoegg) 2015, 5月 7
親業にゴールデンウィークはない
— 志乃★陣痛なう発売中 (@shinoegg) 2015, 5月 7
私は自分の母親が「あんた達のため」と言いながら、いつも不幸そうに自己犠牲するのを見ているのが辛かったし重かったんだけど、私の深層心理のどこかに「母親とはそういうもの」という価値観が根強く残っていて、自分の好きなように振る舞うことに対して、なんとなく罪悪感をおぼえてしまう
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子どものためと言いながら母親に犠牲になられても「自分のせいでお母さんが不幸なんだ、私だけ幸せになって、抜け駆けするわけにはいかない」とか「ずっと一緒にいて親孝行をしなきゃ」とか思っちゃって、子の足枷にしかならないし、母親の方も無意識のうちに自由な娘に嫉妬してしまう場合がある。
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自己犠牲が過ぎても厄介だし、自由奔放過ぎても問題だし、母親はどう生きるのが正解なんだろうね。正解なんてないんだろうけどさ。ほどよいラインって、どこなんだろう。どうしても、自分の母親が基準というか、モデルになってしまうね。
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「母親は子どものためなら自分がどうなったって構わない。全てにおいて子どもが1番。そのためなら何だって出来る。だって、それが親だもの。」
このハードルを越えられないものは、母親失格なんだろうか、とかたまに考える。
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仮に誰かに母親失格だと責められたとしても、妊娠した時点から私は既に母親だし辞めるつもりもないし目の前の日々やるべきことをやるだけなんスけどね。問題は責めるのが「誰か」じゃなく、いつも自分自身ってとこで、ひとり相撲っぷりがアホらしい。
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自己犠牲は美徳って価値観に異議を申し立てたい気持ちが強くあるけど、全てを否定はできないし素晴らしいことでもある。誰かのためと自己を犠牲にするなら、その誰かには「そうすることが幸せ」なんだと伝えたい。演じるのではなく、心からそう思えるような自己犠牲をしたい。被害者意識は持ちたくない
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不幸な人が不幸っぷりを相手にアピールしながら恩着せがましく奉仕をしても誰も幸せにならないと思う。
「私はこんなに自分を犠牲にして頑張ってるのに」
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…と、自己正当化をしてみるのだけども、はてさて、将来、こんな親をみて、娘はどう思うのかねえ。
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私のためと思って、自分の母親がやってくれたこと全てが嫌だったわけじゃない。とても嬉しかったこともある。自分が親になってみて初めて、母の強さや辛さを、「分かったつもり」ではなく、実感を伴って知ることができたように思う。だから以前ほど、母を批判する気持ちはないし、尊敬もしている。感謝している。
だけどやっぱり、私は母のようにはなれないし、なりたいとも思わない。
ただ、「母親とはこうあるべき」という価値観が、いつも私を苦しめる。
旦那や子どもに何と言われようと、「お母さんはやるだけやった」って、胸を張れるような母親になりたいな。やだなあ、その台詞も母の口癖じゃないか。
さあ、ブックオフにでも行ってくるか。
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