人は見たいように見て、聞きたいように聞いて
事実ではないことも、事実と思い込んでしまうことがよくある。
他人の歪みはすぐに気づくのに、自分のこととなると、どうしてこうも気づくことが出来ないのか。
相手のことも、自分のことも「分かったつもり」にしかなれない
特に人間関係は、相手あってのことで、どれだけ自分の中で想像を膨らませてみても、本当のところは相手にしか分からない。
相手のことを非難しているつもりで、相手を鏡にして、そっくりそのまま自分のことを言っているなんてこともよくある。
知識は持っているはずなのに、いつも注意深く自分を観察していたつもりなのに、わからないものだなあ。
相手の気持ちは聞いてみないと分からない
自分の殻に閉じ籠って、他人との深い関わりや、対話することを避けているから、きっとこうなってしまうのだろう。
対話をしたとして、素直に聞く姿勢がなければ、歪んだ解釈をしてしまう。
感情をフラットに、視点をニュートラルに保とうと心がけていても、人間はどうしたって感情で動いてしまうし、自己を客観視するにも限界があって、主観でしかものを見ることができない。
ならばせめて。
その主観の視野を広くするには、どうしたらいいのだろう。
自分の殻を破るとは
自分の殻に閉じ籠って、あれやこれやと考えたことを発露している、このブログ。
ひびわれたまごの名前の由来は、大昔に「デザイナーのたまご」から一人前のデザイナーになりたいと、【自分の殻を破って成長する】ことを意図し、テキストサイトのタイトルとして考えたもの。
出産・育児ブログとしても丁度よいネーミングで、そのまま継承させたわけだけど。
命名から20年近く経つのに、わたしときたら相変わらずで、人間の気質はなかなか変わらないものだなあと実感してしまう。
自分の殻にこもる癖も、度が過ぎると引きこもりになる。
自分の殻を破るために、心を開き、他人を信じ、前向きに明るく、成長することを目指しているつもりだったけれど。
なかなかどうして、自分の認知の歪みを客観視するのは難しい。
自分を完璧に客観視することはできない
でもだからこそ、「自分の殻の外にいる誰か」に、自分のことを見てもらって、素直な意見を伝えてもらうことが大切なんだ。
そう考えるとこのブログは、とても丁度よいのだろうな。
自分のことは、自分が一番よく知っていて、同時に自分が一番よく分かっていないのだ。
主観の視野を広げ、歪みの修正をしたいと思うのなら、誰かと対話をすることから逃げていてはいけないな。
大切なことは
感情をフラットに、
視点をニュートラルに。
でもきっと、それだけでは足りず、
意見を伝えてくれた他人への、敬意と感謝の心を忘れず、
謙虚さを持ち、素直に耳を傾ける。
たぶんこのへんが、わたしにはまだまだ足りていないのだな、と、自覚した次第です。
相手へ敬意と感謝の気持ちを持てば、大抵の人間関係のトラブルは解決するんだろうな。
分かっているつもりで、きっとわたしはできていないのだ。
このブログを読んでくださっている皆さん、感想を伝えてくださる皆さん、いつもどうもありがとう。
コメント
Twitter消されました…?
あれ?!と思ってブログに飛んできました。
いつも志乃さんの楽しいツイートに笑顔をもらい
考えさせられる内容に生きるヒントをもらってました。
また、ご無理のない範囲で活動して頂けるとこちらも励みとなります。
心身ともにご多忙の時期かと思いますが、どうぞご自愛下さい。
ありがとうございます!ご心配をおかけしました。
ツイッターは一時的にお休みしています。
また近いうちに再開しますので、大丈夫です。
お気持ちとても嬉しいです!
認知の歪みで苦しんでるのは、
志乃さんだけじゃないですよ・・・
私も自分自身の歪み、自分に押しつけられる
周りの歪み。
何が本当の自分なのか、自分はどう生きたいのか
何がそんなに苦しいのか・・・
暗中模索、もがきにもがいて、今だみつからず。
疲れちゃったw