今から少し前、うつ症状が回復の兆しを見せた頃、思い切ってパートの仕事を始めた。
かねてから目標にしていたこととはいえ、決断にはそれなりの勇気がいった。
最初のうちは、朝目覚めるたびに「なんで私は、応募なんかしちゃったんだろうな…、躁状態だったんかな」と、うつ期に後悔していたけれど、それでも働くこと自体は楽しいと思った。
励まされるのは仲間の姿
ハードな環境で働くADHD仲間の友人が、「3ヶ月は頑張るって決めてた」と言って、その通りにやり遂げている姿を見て、私もそれくらいは頑張ってみようと思い、励まされた。
私の周りの、ADHDを持った友人たちは、過酷な状況に弱音をこぼすことはあっても、次に見かけた時にはしっかりと前を見て、「生活を営んで」いる。
そんな姿が、とても眩しい。
卑屈になることもなく、素直に自分も頑張ろうと思えるのは、仲間意識があるからだろうか。
誰かを励ます姿というのは、きっとそういうものなんだな、と思った。
他人と比べて卑屈になることもある
とても有り難いことに、「いつも頑張っている志乃さんの姿に励まされています」という、愛の込もったメッセージをいただくことが多くなってきた。本当に心の底からありがたいのだが、わたしの心の底には常に「…でも私は、本当はぜんぜん頑張ってない」という意識がある。
お気持ちを否定するようなもので、失礼極まりないのだが、「(“みんな”に比べて)何もまともにできていないから」という、生来の劣等感がしこりのように残存している。
周りのペースについていけない、自分の歩みの遅さに、焦る気持ちもあるのかもしれない。
「頑張り過ぎないで」と言われても、走らなきゃ皆に追いつけない人生
「他人と比べていたって仕方がない。これが自分で、この私で生きていく。」
とっくの昔に「私は私。他人と比べるなんてナンセンスだ」と悟ったつもりでも、自分がまともに人生を歩けていないと感じる中、周りがキラキラと前進している姿を見ると、心の奥底で眠っている「私なんて」と言いたい弱さ・幼さが顔を出しそうになる。
でも本当は。
それだけじゃないということも分かっている。
「私にしては頑張っている」それで十分
「私もパートを、せめて3ヶ月は続けることを目標にしよう」と思っていたのに、気づけばスルッと通り過ぎていて。
「週2回、3時間だけでもいい。無理はしない。」と決めて始めたパートが、いまや「週3〜4回、4時間」になっていた。
体調と相談しながら、少しずつ、少しずつ負荷を増やして、無理のない範囲でシフトを広げていった。
遅刻もせず、いつも10分前には職場にいた。
大多数の社会人には、「え、それくらい出来て当然でしょ?」と言われるような、ちいさなちいさな、私の躍進。
それだって、抗うつ剤や、気分安定剤や、ストラテラを毎日 計7錠も飲んでいて、やっとこさ、この状況。
私は、他人に尊敬されるような人間でもないし、本当に情けないことこの上ない有様なんだけど、ただ自宅で鬱々と寝込んでいた日々を思い出すと、「働いてお金をいただく」という、ただそれだけのことが、今はとてもありがたく、心から嬉しく思う。
パートを始めたばかりの頃、体調を不安に思って主治医に相談した際、「でも、できたらきっと自信になりますよ。」と言われた通りになった。
こどもを産み、7年近く社会から離れていたので、まともに働けるか自信がなく、勇気がいることだったけれど、無理さえしなければ、私にもやっていけるんだという自信がついた。
働くこと自体は、嫌いではなかったと思い出すことができた
思えば、学生時代は3つもバイトを掛け持ちした上、サークル活動(演劇)をして、ノリにノっていたのだった(当社比)。
私の接客で、笑顔になって帰っていくお客様の顔をみて心が満たされると同時に、私という人間は、他人の笑顔を見るのが生きがいみたいなもんなんだということも、思い出すことができた。
働きたくないのではない。普通の人よりも、心身に負荷がかかる
でも今は、働ける。
社会に貢献できる。
他人から見たら、ちっぽけな私の前進。でも、私は嬉しかった。
この気持ちは他人と比べるものではない、確かな私の感覚。
この、「出来たことが嬉しい」という達成感が、1番大切なもので、そういうことの積み重ねで、自己肯定感は育まれていくんだってことを、私はよく知っている。
だから私は、その知識のおかげで前を向ける。
『今の自分にできることを、できる範囲で、できる限り。』
私は、それだけでいい。
人生は短い?
ダラダラしてる時間がもったいない?
そうでもないよ、焦らず行こう。
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