どうも。志乃です。
先日、痴漢など性犯罪者に関するこんな記事を読みました。
まずはこちらの記事を最後まで読んでいただきたい。
否定していても仕方がない、「理想と現実のギャップ」がそこにはありました。
以下、記事の一部を抜粋させていただきます。
――(痴漢は女性を)自分の欲望を勝手にぶつけていい対象だと思っている?
斉藤:そうですね。本の中では、すべての男性が痴漢になる潜在的リスク、つまり加害者性を内在していると書きました。聞くところによると編集部内でもこの意見に男性側から反発や抵抗があったようですが、これは加害者臨床ではよくある反応です。その人の核心部分に触れると反発や抵抗が起こる。加害者臨床ではこのような反応を効果的に使い、自らの認知の歪みに気づかせるようなアプローチを行います。
引用:「性犯罪者は“マジック”で自己正当化する」 加害者臨床から見た“男が痴漢になる理由”(小川たまか) – 個人 – Yahoo!ニュース
※こちらの発言は、記事の流れの中で切り取ったものなので、ぜひ記事全文をお読みください。
記事の中で、「痴漢犯罪者の多くは、女性をモノのように見ており、被害者の心情や自分のしたことが相手にどのような深刻な影響を与えるかということへの想像力が貧困で、考えが及ばない」ということも書いてありました。
また、「すべての男性が痴漢になる潜在的リスク、つまり加害者性を内在している」ということについて、嫌悪感や拒否感を抱く男性が多いとのこと。
わたしも「ホンマかいな」と半信半疑でしたが、今日になってそれを裏付けてしまうような、興味深い現象を目にすることに。
「リアルで精巧なアンドロイド」のフリをした人間の展示が話題に
こちらの画像は、「東京ゲームショウ2017」に参加していた、とあるツイッターユーザーのつぶやき。「本物の人間と見分けがつかないほど精巧なアンドロイド」をイメージしたブースにて、実際の人間がアンドロイドの演技をするという催しだったようです。
【東京ゲームショウ2017】
本当にアンドロイドかと思うこの動きをぜひ動画で。
heavy rainのQUANTIC DREAMが手掛ける「DETROIT BECOME HUMAN」より、精巧なアンドロイドを模した展示。
(なっつ)#TGS2017 #PlayStation pic.twitter.com/ygYYss2FA7— GAME Watch (@game_watch) 2017年9月21日
つまり、「本物の人間」なのですが、アンドロイドだと騙されてしまう人が続出したわけですね。
「おっぱい触って」という冗談が飛び交う
もちろん、軽い冗談だと思いますし、みんな本気ではないのでしょう。
ただ、ここまでアンドロイドと見分けがつかないのであれば、実際にそのような行為に及ぶ客がいてもおかしくないだろうなと感じました。
「怒られないなら触りたい」という意識の表れ?本物かもしれないと分かった上で触る人もいそう…
意思も人権もない「モノ」だから何をしても構わない
はて。このフレーズ、どこかで見覚えがあると思いませんか。
そうです、痴漢は女性を「モノ」のように認識するという、冒頭の記事。
改めて考えると、本当に危ういラインにいるのだなと思った。「相手にも意思がある」「人権がある」という、認識の有無の差で守られているに過ぎないのだな。
— 志乃@最近は焦がしてません (@shinoegg) September 22, 2017
痴漢常習犯には「相手にも意思があり、人権があり、家族がいる」という認識が甘い(目を背けて認識できない)という記事を読んだばかりなので、アンドロイド(※本当は人間)なら胸を触ってもいいと冗談が飛び交っている様を見て、色々と考えてしまったわ。
— 志乃@最近は焦がしてません (@shinoegg) September 22, 2017
「すべての男性は、性犯罪者予備軍である」とまで言うつもりはありませんが、潜在的に「相手の意思や人格を無視してもいいのなら、好き放題やりたい」という欲望があるというのは、否定できないのかもしれない。
仮にそうだとしたら、完全に「男性のさじ加減」一つによるものではないのか。
「被害者側にも落ち度があったのだ」という話にされがちですが、こうなってくると運の要素が強いように思います。
いつ「モノと人間」のボーダーラインの曖昧な男性に遭遇するか分からないという現実があり、女性の身の安全というのは、首の皮一枚で守られているようなものなのかもしれない。
誰もが「俺は別だ」とか「私には関係のない話だ」という話にしたくなってしまいがちだけど、もしかしたら、まったく他人事ではないのかもしれない。
――私は自分にももちろん加害性はあると思っているのですが、斉藤さんは自分の中にも加害性はあると思いますか。
斉藤:ありますね。加害性を自覚していないと、加害行為をしている人と向き合う作業はバランスが取れなくなります。彼らはよく“マジック”を使うんですよ。自分の責任を軽くしようとしたり、相手が悪かったからやったとか責任転嫁したり、そういう話を巧妙に作り上げる。私も男性なので、知らないうちにその巧妙に仕組まれたストーリーに近寄っていく自分がいることに気づきます。定期的に被害者支援の方々にお会いしたり、被害者の方の話を聞いたりして自分の中にあるバランス感覚を見直していかないと天秤が崩れてしまいます。それが加害者臨床の中で最も難しいバランス感覚です。
――なるほど。
斉藤:私自身も、他の人を虐げることで自分が安全な場所に行けるならそうしてしまいたいとか、弱いものをいじめることで自分自身の安心を得たいという欲求は明確にあります。それは加害者と同じ気持ちなので、それが自分の中に確かに存在すると言葉にしていかないと知らないうちに取り込まれてしまう怖さがあります。でも加害性を否定したい人もいるでしょうし、気付いていない、気づきたくない人ももちろんいる。認めること自体が非常にしんどいことなので、だから反発や抵抗があるのかなと思います。引用:「性犯罪者は“マジック”で自己正当化する」 加害者臨床から見た“男が痴漢になる理由”(小川たまか) – 個人 – Yahoo!ニュース
「何をしても怒らない、人形のような女性」を前にした時、どれだけの男性が正気を保っていられるのか。
実際に、大変なことになった事例も過去に存在します。
目を背けたい現実に、向き合える人間か
私がこの記事を通して伝えたいことは、「男性は危険である」ということではなく、「目を背けたい現実に、まっすぐに向き合える人間」が、果たしてどれくらいいるのかということです。
アンドロイドか、人間か。そのボーダーラインも曖昧になりつつある現代。
匿名を利用してネットで暴れ回っている人もそうですが、科学の発展と共に、常識・非常識のラインを常に問われているのかもしれない。
自分の加害性とまっすぐに向き合える、強い人間ばかりでもないというのも(残念ながら)事実。安全な社会は、とても危ういバランスの上で成り立っている。
気づきたくないから、気づかない。
気づかないから、自覚がない。
自覚がないので、自分ではどうしようもない。
そう考えると、自分自身も決して他人事ではないという怖さ。
限界もあるでしょうが、なるべく客観的かつ冷静に自分を見つめるためには、一体どうしたらいいんでしょうね。
現場からは、以上です。
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