私は幼い頃、大人を常に冷めた目で見る、とっても可愛くない子どもだった。
なので、テレビで有名人がよく言う、「ファンの応援のおかげです♡」は、表面上のものでしかないんだろうなと思っていた。
アイドルが売れているのは、アイドル自身が努力した結果であったり、事務所やスタッフが苦労して創り上げた結果なのではないかと。
アスリートもそうだ。
校内マラソン大会などで「苦しい時、沿道からの声援を受けてパワーが出た」経験が、私にはまったくなかったし、苦しいモンは苦しく、正直なんの気休めにもならなかったので、「金メダルを獲れたのは、皆さんの応援のおかげです!」というコメントにも、本当にそんなことがあるんだろうかと、疑問を持っていた。
いやいや、あなたとスタッフが、頑張ったからでしょうと。
アイドルと違って、人気商売でもないはずなのに、多方面にリップサービスしなきゃいけないなんて大変だなー、お約束のコメントばっかりでつまんないなー、みたいな。
我ながら、嫌な子どもである。
でも、逆に自分が「応援される立場」になってみて、それらは誤解だったのかもしれないと思い始めた。芸能人でもない、たいしたことのない私が語るのもおこがましいかもしれないが、正直な気持ちを、ここに残しておく。
目立つことは良いことばかりではない
つい先日、人気YouTuberである「はじめしゃちょー」がストーカー被害に遭い、犯人の女性が逮捕された。それがニュースとなり、大きな話題になっていた。
人よりも目立つ立場になると、メリットだけではなく、様々なデメリットに晒されることとなる。昔から、「有名税」と言われているやつだ。どんなに理不尽な目に遭っても、多くの場合「有名人なんだから、それくらい我慢しろ、有名税だ」と言われて、ファンでもない限り、あまり同情もされない。ただ、これまでは「テレビの中の、別世界の話」だったものが、時代の流れにより、一般人がネット発の有名人になるケースが増え続けているため、まったく他人事ではなくなっている。
「出る杭は打たれる」という視点に立ってみれば、別に有名人でなくとも、学校で怖い先輩に目をつけられるとか、職場で昇進して周囲からやっかまれるようになったとか、日常にありふれた問題であるように思う。
目立つということは「そういうもの」だと思うので、それを嘆いていても仕方がないとはいえ、当事者としては溜まったものではない。
そうやって、多数から否定され続ければ「自分が決めた選択」を疑いたくもなるし、自分の立ち位置も、足元も、目指すゴールもわからなくなってしまって、(本当に自分はこれでいいんだろうか?)とか、(このままでいいんだろうか?)とか、(どこを目指したらいいんだろうか?)と、途方に暮れてしまう。
ネガティブな意見は、ポジティブな意見よりも「印象が強い」
99の肯定の言葉より、1の否定の言葉の方が、インパクトが強い。
太古の昔から「不測の事態に備えた、慎重な臆病者」が長生きする理由がここにある。未来に起こりうる不安要素を洗い出し、排除しようと思うあまり、ネガティブな情報を重要視してしまう。
「批判なんて、気にしなければいいんだよ」と、受け手側の問題にされがちなことではあるが、これは本能によるもので、人として当然の心理。批判を受け流せないことで、「気にしてしまう自分」を責める必要はまったくない。
また、心理学的には「ピークエンドの法則」と言って、最後に見た情報がもっとも重要だと認識するとされているため、ネガティブな言葉をぶつけられて落ち込んでしまった時は、それ以上にたくさんのポジティブな言葉に触れて終わるのが良い。
つまり、目立つ存在になればなるほど「他者からの応援」が大きな力になるということ。
他者からの承認を必要としない自己肯定感が高いタイプは、そもそも承認欲求も低めなので、あんまり目立つようなこともしない。自己肯定感が高く、自然体のままで目立つタイプは、批判を受けても気にしない。ただ、それにしたって度が超えたバッシングを受けたら、誰だって精神衛生上、よろしくないと思う。
「ファンの姿は見えない」のが当たり前
大抵の場合、批判を言う人の声は大きくて、応援してくれる人の声は控え目だ。
わたし自身、大好きな有名人がいるが、なんとなく本人に伝えるのが気恥ずかしく、売り上げや再生数に貢献するだけで終わるなど、「陰ながら応援する」立場になってしまうことが多い。
このブログも、毎日3000を超えるアクセスがあり、記事を更新した時は万を超えることもあるが、感想を頂けるのはほんの僅かだし、継続的に好意を伝えてくれる人はさらに数が少ない。
ただ、姿は見えないけれど、アクセス数などで、応援してくれる人の存在を確かに感じることがある。誤解しないで欲しいのだが、「だからもっと、好きな相手には好きだって言うべきだ」と言いたいわけではなくて、「応援してくれる人の姿」は見えないのが当たり前なんだということだ。
今年引退する安室奈美恵さんも、ドキュメンタリー番組で「コンサート」にかなり重きを置いているとコメントしていて、(私なんぞが言うのもおこがましいが)少しだけお気持ちが分かるような気がした。
姿は見えないし、声も聞こえないけれど、どこかで応援してくれる人がいるから、先の見えない中でも、メッセージを届けたいと思うし、もっと役に立ちたいという気持ちになる。
「ファンの皆さんの応援のおかげで、活動が続けられます。」というのが、実際に表面上のリップサービスであったり、営業スマイルである人もいるんだろう。
ただ、沢山の人から支持される存在になるというのは、生半可な覚悟では成し得ないこと。上を見ていてもキリがないが、愛される人には、愛されるだけの理由があると、下から見上げていて、よく思う。
応援は霧の中の道しるべ
話を戻そう。
批判に晒され、応援の声も少なく、ファンの姿も、先行きも見えず、自分の形もおぼろげになりそうな、まさに暗中模索な状況は、霧に似ている。
「このままでいいのか?」「誰も私のことなんて見ていないのでは?」「この道で合っているのか?」と不安になる時、不思議なもので、狙いすましたかのようにタイミングよく、暖かなメールをいただいたりすることが多い。
自分のことも見えなくなっている時に、「あなたのこういうところが素敵だと思います」とメッセージをいただき、それが自分では思いも寄らないことだったりして、勇気が湧いたり、新たな発見があったり、活動の大きな原動力になる。
霧の中で、あたたかな声がする方に顔を向けてみたら、そこだけに光が射して、一本の道が見える。
本当に、そういうことの繰り返しだ。
だから、いつも応援ありがとう。
いつも応援のコメントやメールを下さる方、行動には起こさなくても、いつもブログを見てくださる皆さん、いつもどうもありがとうございます。色々と不安になることも多いけれど、霧に怖気づくことなく、これからも頑張ります。
現場からは、以上です。
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