ご覧の通り、今回は「宗教」に関するお話です。
過去のトラウマなどにより、この手の話題がとても苦手な方もいらっしゃると思います。
心穏やかに過ごし、お互いに不快な思いをせずに済むよう、ここから先の閲覧はしないよう、お願い申し上げます。
ことの発端は1つの“煽り”ツイートだった____?
わたしのことを「ガイジはガイジだろ」と書いた、そこのあなた!あなたより私のほうが徳は高そう!!ありがとうございます!!!ブロックしたけどありがとうございます!!!!
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月2日
それとですね!ガイジとは「障害児」のガイジだと思うんですけどもね!わたくし…その、ね!37歳でございましてね!なんかすいませんね!ブロックしましたけどもね!!
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月2日
40に近づき
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月2日
37にもなって何やってんだろうという数字の重みを感じる
この秋、徳を積もう 2018
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月2日
そこへ浄土真宗の僧侶の方からのコメントが…?
このノリ、すきです。
— 久保龍雲@ゼロからわかる浄土真宗 (@ryuun_kubo) 2018年11月3日
おもしろい人を見つけました。https://t.co/nGWpTQJvuu
この人のブログが素晴らしく、ADHD・人間関係・自己評価などヒントがもらえました。https://t.co/LFOarILOjH
マンガがあって読みやすく、理解しやすいブログです。
記事の最後にあるプロフィール写真は一度見たら忘れられません。— Ryuun Kubo 久保龍雲 (@ryuun_kubo) November 3, 2018
「わたしの方が徳が高そう!」と呟いたら僧侶の方から有難いコメント。わたし、徳、積みます。 https://t.co/E1x8NacY6d
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月3日
なんで志乃さん、僧侶の方にフォローされてるの、、、
— にゃんきち (@enjoyadhdlife) November 3, 2018
割といらっしゃる…(知ってるだけでも3名はいる…) https://t.co/hkevO7sJSM
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) November 3, 2018
フォロワーさまの中に〜〜、お坊さま、お坊さまはいらっしゃいませんか〜〜
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月3日
生涯の中でこんな呼びかけをするのは世界でも私だけのような気がする
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月3日
ダメ人間にも優しい仏教
『秋の 徳トク!キャンペーン実施中✨今ならポイント4倍!』みたいなのないですかね
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月3日
すごい発想ですね(笑)
— 久保龍雲@ゼロからわかる浄土真宗 (@ryuun_kubo) 2018年11月3日
もっとすごいのがあります。仏教では基本的に「成仏するため、自分が修行して徳を積む」ですが、中には「徳を他からもらう」教えがあるのです。
こうやって救われた人々を妙好人(みょうこうにん)といいます。
「妙好人 なり方」で検索をかけなければ…! https://t.co/KdNMqyAPqX
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) November 3, 2018
妙好人は農民や大工といった一般人でしたが、禅の悟りを得た高僧と同質の言葉を残しています。
— 久保龍雲@ゼロからわかる浄土真宗 (@ryuun_kubo) 2018年11月3日
そのため研究書も残され、鈴木大拙(学者で禅僧。ノーベル賞候補)や柳宗悦(民芸運動の中心人物)が妙好人に関する書物を出しています。
現代では古武術家の甲野善紀さんが興味を持たれていますね。
何やら難しい気がするけれど、つまり
「他力本願」の真髄を極めた、そのへんの一般人が、
修行の末に悟りをひらいた、とっても偉いお坊さまと似たような発言をしていて
後世の賢い人たちが、「これは一体どういうこった!?」と、今でも研究を重ねているということ…?(とてもアホっぽい説明)。
修行といえば千日回峰行などの荒行がありますが、あれはスーパーマンのように体が丈夫じゃないと無理でしょう。
— 久保龍雲@ゼロからわかる浄土真宗 (@ryuun_kubo) 2018年11月3日
妙好人はいわゆる「他力信心」と呼ばれる世界に入っていました。法然や親鸞が教えたものです。妙好人の中にはADHDと思われる人もいましたよ(讃岐の庄松とか)。
ADHD、妙好人になれる才能がある…?
ありがとうございます。「他力信心」について、すこし調べました。私は「引き寄せの法則」と俗に言う考え方が好きなのですが、(ご気分を害されたらすみません)いろんな宗教に、同じエッセンスや、共通する部分を感じます。「他力信心」「信ずるものは救われる」興味深いです。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月3日
わたしの考える「引き寄せの法則」とは
とても簡単にいうと、仏教の「因果応報」の考え方に近いもの。
善いことを行えば、善いことが返ってくるし、
悪いことを行えば、悪いことが返ってくる。
ポジティブなことを考えれば、良いことが起こるし、
ネガティブなことばかり考えていると、その通りの未来を自分から引き寄せてしまうというもの。
「きっと何やってもうまくいかない…」
→「ほらね、やっぱりそうなった…。何やってもダメなんだ…」
→ポジティブな挑戦をしなくなる。
というように、悪循環が起こる。
無自覚のうちに、ネガティブな意識が、自分の行動にも影響を及ぼし、
無意識のうちに、自分からそうなるように行動してしまうわけです。
よくも悪くも、自分の思考と似たものを、引き寄せることになるという考え方。
追記: 厳密に言えば、どの体験も自分の成長や発展に必要なものであり、悪いことは起こらない。
信仰対象は人それぞれで、神でも、仏でも、天使でも、高次の何かでも、何でも良く、強く信じることで、幸運を引き寄せる(ような行動が取れ、チャンスが訪れる)。
「信ずるものは救われる」
「神を疑うな」
というのは、そういう効能(?)があるからかもしれませんよねえ。
わたしは無宗教なのですが、いろんな宗教で似たようなことを教えており、共通項を見つけるたび、面白いなあと感じます。
特に、引き寄せの法則について調べていると、仏教の教えと似たような表現が、よく出てきます。どうして共通するのか、源流はなんなのか、そういうところにロマンを感じるわたしです。
さて、話をまとめますと、つまり、
何も不安になることなく、ポジティブな意識を持ち続け、心の底から信じることができれば、望むものが勝手に手に入る、というお話。
で、浄土真宗の「他力信心」とは
ここまでの話を読んで、
「うさんくさッ」とか、
「ほんまかいな」とか
「は?仏とか信じちゃってんの?」とか
「そんなことあるわけないじゃーーん」とか
「え、ちょっと志乃さん?急にこんな記事書いてどうしたの、大丈夫?」とか
ちょっとでも疑ってしまった人には無理だよ〜ん、という話みたいです。
徳は積むものじゃなく、空から降ってくるものだった?
もう調べられたのですね。
— 久保龍雲@ゼロからわかる浄土真宗 (@ryuun_kubo) 2018年11月3日
仏教といえば、普通は自分の力で仏道修行する必要があるのですが、浄土真宗では視点が逆というか、他力にまかせてしまいます。
自力ではなく、阿弥陀仏という仏さまが徳のかたまりをプレゼントしてくださるという、コペルニクス的な教義です。
「パズ〜!そこで何やってる!」
「親方ぁ〜!空から阿弥陀如来が!!」
的な?
こと???(たぶん違う)
なんかすごくアレに似ている
徳のダウンロードですね。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月3日
斬新な表現(笑) さいこうです。
— 久保龍雲@ゼロからわかる浄土真宗 (@ryuun_kubo) 2018年11月3日
ダウンロードがうまくいかない理由(キャパがない、ブロックがある、回線がつながらない)ともリンクしてるなあと考えると面白いですね
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年11月3日
すごいなあ、それは浄土真宗の教義に当てはまりますよ。本質を捉えるのが上手な方なのでしょうね。
— 久保龍雲@ゼロからわかる浄土真宗 (@ryuun_kubo) 2018年11月3日
浄土真宗では、阿弥陀仏からのプレゼントをブロックしているものがあると教えます。専門用語になりますが、仏智疑惑心とか本願疑惑心というものです。
で、そのブロックが除かれると、他力信心の身になります。ブロックを外されることを獲信(ぎゃくしん)とか信心決定(しんじんけつじょう)といいます。
— 久保龍雲@ゼロからわかる浄土真宗 (@ryuun_kubo) 2018年11月3日
妙好人はすべて、そのブロックを除かれた人々です。
つまり、本当に願いが叶うのかと不安になったり、
本当に仏さまなんているのかなと疑う心(ブロック)がなく、
のんきに、「なんとかなるさ〜、だって俺には仏さまがついてるんだもの〜〜」と心の底から本気で思った人=妙好人(幸せダウンロードし放題キャンペーン対象者)ってこと?
そしてこうなった
私には、よくわかりません。
作りながらどんどん楽しくなってきちゃって、気がついたらこんなことになりました。
申し訳ございませんでした。
さておき。
宗教でなくても、宗教のように機能しているものもある。
「恥の文化」で社会の秩序を保ったり、
高学歴で、安定した職業につき、
経済的に恵まれれば、心に平穏が訪れると信じていたり、
アイドルを信じて応援に没頭することで心が救われたり、
2次元キャラに対して「尊い…」と、成仏しそうになりながら拝んだり、
心から何かを信じ、没頭することで、人は幸せな気持ちになる。
意外と、そういうことなのかもしれないですね。
だが決して忘れるな、「信者」と書いて「儲け」と読むってことを…
そういう気持ちを利用して、不当にお金儲けをしようとする人や団体も多いですから、搾り取られるだけ搾り取られて、後には何も残らなかった……なんてことにならないように、お互い気をつけましょう…。
個人的には、本人がそれで幸せで、周りに迷惑をかけなければ、まあいいんじゃない…と思わなくもないですが。
某宗教のように「心の底から信じさせた結果」、一種の集団催眠のようになり、社会に大きな害を及ぼすという恐ろしさもある。
「何を信じるべきか」
それは、慎重に考える必要があるのでしょうね。
参考にさせて頂いたサイト:
ゼロからわかる浄土真宗 – 他力信心について簡単に理解できるサイトです。
っていうか管理人さんだった
あ、これ今さっき見てたサイトです!!!!管理人さんだったんですね!!ご縁ですね〜〜〜
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) November 3, 2018
プロフィールから固定ツイートを見て気づきました。
ご縁というものは、引き寄せられるもので、偶然ではなく、必然なんでしょうか。
この記事の内容は、久保龍雲さんが意図するものとは違うのかもしれませんが、仏教の考え方と、引き寄せの法則の関係って、本当に面白いものがあるなあ、と思ったのでした。
心配すんなぃ、だいじょう仏教!
………。
では、また。
コメント
「パズ〜!そこで何やってる!」
「親方ぁ〜!空から阿弥陀如来が!!(?)」
↓
宮崎駿と手塚治の融合ですね、わかります(?)