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保身と悪口

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書く前から分かる。

こんなことを考えるから、きっと生きづらいんだろうなと。

でもまあ、考えてしまうのだから仕方がない。

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 守りたいものがある時、攻撃的になる

出産直後の母親を「ガルガル期」と呼ぶ。

子を守ろうとするために、時には家族も信用できない存在になる。

これは分かりやすい例だが、守りたいものは家族だったり、お金だったり、地位だったり、名誉だったり、プライドだったり、人によってそれぞれ違う。

を守るのが精一杯の世界もある。

守りたいからこそ武器を取り、守りたいからこそ攻撃をする。

命ほどではなくても、守りたいものと、それを脅やかす危機が、日常に溢れている。

悪口で守られるもの

卑怯な手段でもなんでも、ライバルの足を引っ張れば、自分の地位は安泰だ、と考える人がいる。

相手を加害者に仕立てあげ、自分は被害者であると主張すれば、周囲の同情が買えると理解している人がいる。

 

「悪口を言ったり、マウンティングを取ることに必死な人は、実は自信のない人間である。」

 

まあ、そうだろうね。

攻撃的な人ほど、不安を抱えているんだろうなと思う。

 

「人様を見下して悦に浸ったところで、一時的にはスッとしても、何にも自分のためにはならない。」

 

まあ、そうなんだけど。

本人的にはきっと「一時的だが防衛できた」ということでもある。

 

ちっぽけなプライドを守るために、時には理に敵わないことをしてしまうのも、人間ってやつなんじゃないのかしら。

そういう人間を「見下して」「悦に浸ったところで」「一時的にはスッとしても」「何にも自分のためにはならない」。

 

悪口を言ったことがない人なんて、お目にかかったことがない。

悪口を言う人間を見下せるほど、きれいな人間なんていない。

 

悪口を言わないと守られないもの

悪口を言わないことで、身が危険にさらされる場面もある。

共通の敵をつくって、味方の結束を強め、身を守っている集団において、加担しようとしない人間は攻撃を受けやすい。

敵側に回ってしまうのではないか、密告されるのではないか、自分だけ綺麗なままでいようとしているのではないか、こいつは内心で自分たちを見下して、バカにしているのではないか。不安は尽きない。

 

「悪口に必死になっちゃって、くだらない連中。自分は違う。」

 

といった具合に、実際に見下している人も多いだろう。

そういう態度は、言葉にせずとも、相手にしっかりと伝わるものだ。

 

「よってたかって悪口を言うような連中に、どう思われようがどうでもいい。」

きっと理想は、そういうスタンスなんだろうね。

誰もが、「守りたいもの」の執着を捨てて身軽になれば、不安に感じることもないし、攻撃的になる必要もない。

被害者は被害を公表しないと理解されず、すると同時に加害者になる

例えば私は、「全世界に向けて、あまり家族を悪く書きたくない」と思い、毒親に悩まされた過去を綴りながらも、具体的な描写を書くことを避けていた時期があった。

どう書いたって、内容は過激になってしまうし、(本人達は私の執筆活動を把握していないだろうが)両親の名誉を傷つけ、恥をかかせることになる。

わたしは、わたしが受けた精神的虐待を、ここで具体的に描写した時点で、加害者になると思っていた。

ただ、そうやって両親の立場を守りながら「被害者としての心情」を書いていると、お叱りも多く飛んできた。

 

「どうせ大したことはされてない」

「この人の言い分を読んだけど、大したことはされてなかった」

「被害者ぶっちゃって、大げさ」

「ご両親が可哀想」

 

まあ実際、されたことを「書いてない」んだから、そうなるよね。

(全ては書いていないが)書ける程度には書くようにしてから、そういうことを言われることもなくなった。

綺麗事を言ってみたって、加害者の立場にならないと、守られないものがあるのも事実なんだ。

たぶんそれは、誰にも責められるべきことではない。

 

自分から出た悪口から「何を守りたいか」がわかる

旦那の愚痴なら、子どもや、生活を。

上司の愚痴なら、社会的立場を。

お金、プライド、立場。

守りたいものは、時に執着となって、少しでも脅かされた時、攻撃性を帯びてしまう。

 

わたしは、両親から受けた被害を公表した時、「世間から好き勝手に言われない立場」を手に入れた。

だが同時に、今度は両親が、世間から好き勝手に言われてしまう状況を作り出した。

 

自分の世間体を守るために、他人の世間体を傷つけた。

そう考えると、何をやってるんだろうね。

 

ちっぽけなものを守る、ちっぽけな存在

「あらゆる執着を手放せ」と言われても。

それが簡単にできたら苦労はしない。

 

自分を守るために、他人を傷つけることもせず。

攻撃をしないことで受けた攻撃にも、どこ吹く風で。

どんな大切なものを失っても、平常心で。

究極的なことを言えば、生死すら厭わないということ。

 

でも、それが出来た時、きっと人間ではなくなっている。

それらを多くの宗教家が説くのも、行き着く先は同じだからだろうか。

きれいな薔薇にはトゲがある

きれいな薔薇にもトゲはある

保身と悪口

自分を守るために、他人を見下したり、相手を加害者に仕立て上げたり。

被害者の立場を利用して、加害者の立場になったり。

人間は本当に忙しいね。

 

執着を手放せるに越したことはないけれど。

あまり現実的ではないようにも思う。

 

「大切なものを守りたい」という、純粋な願いを否定する気にもならない。

ただ黙って、被害者のままでいることが良いこととも思わない。

 

大切なものを守りつつ、誰も悪者にしない。

そんなことが出来ないからきっと悩むのだな、と

明け方にぼんやり考えた。

 

コメント

  1. こんにちは。
    志乃さんの記事を全て読んだ訳ではないのですが、
    共感する所が凄く多いです。
    私は45才で3人の子供がいます。
    2人は独立し、末っ子と旦那さんと猫と暮らしてます。
    長年うつを患ってますが、転院をきっかけに
    初めて詳しく心理検査をしました。
    ADHDとアスペルガーの特性があり、尚かつ
    自分では気付かないくらい、過去の出来事に深く傷付いているらしく。
    人格に歪み・・・専門的には人格障害と言うですって・・・
    沢山の抗うつ剤で治るものでは無く、年単位の長いカウンセリングが必要と言われました。
    自分で自分の感情がよく分からない。
    上手く言えないけど、何か人と違う。
    でも、何が人と違うか分からない。
    ずっと自分自身を責めていました。
    心理検査の結果を聞いて、あぁそうかぁと
    納得した反面、45才にもなってから過去の出来事と向き合うのは、正直混乱してます。
    影の様にいつもハッキリしない自分自身の感情と
    何とか折り合いをつけて来たと思っていたので・・・
    今回のこの記事に関係ないのかもしれませんが、
    私は読んだ時、親からの被害を認めてしまえば
    私が子供達にとって加害者である事を認める事になるんだな・・・って思いました。
    私が発達障害。子供達も発達障害。
    私が摂食障害。次女も摂食障害。
    私自身の事も、子供達の事も、もしかしたら
    誰のせいでも無いかもしれない。
    むしろ誰のせいでも無いと思い込みたい。
    自分にも自分以外の人にも、怒りの感情を持ち続けるのは、心が摩耗しますね・・・
    インフルエンザが流行る時期ですね、疲れを溜めないようにして下さいね。
    お身体をお大事に・・・。

  2. 私も自分の保身のために他人の悪い部分を見てしまいます。いくら直そうとしても性格としてこびりついてしまっているようです。
     志乃さんがおっしゃっているように、自分を保身すればたとえ毒親であれど他人を傷つけることに結局自分が傷つきますよね。かと言って、他人を守れば自分が傷つくという、、、辛いですよねいろんなが気になりすぎて。

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