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「困った人」をありのまま認められるか問題(対処法の考察)

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どうも。困ったちゃん地区ブロック代表(※自称)、志乃です。

 

日々、ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、心よりお詫び申し上げると共に、厚く御礼申し上げます。何といいますか、お気持ち、お察し致します。

 

さて。前々回、このような記事を書きました。

発達障害者は「ありのまま」でいてはいけないのか問題
大人の療育について話が回ってきて、正直ポカンとしてる。何に?って、「これから出会う誰かのために/今側にいる困らされてる人のために自分を変える」って前提。今側にいる人を大切に思うための療育なら受けてみたいけどさ。— どす恋 (@makumaa...

 この記事に対し、「普段、苦しめられている者としては、なかなか受け容れられない」という主旨のご意見をいただきまして、「そりゃそうだよな。」と思うと共に、「じゃあ、どうすればいいのか?」ということを、自分の経験を踏まえながら、考えてみることにしました。

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 「ありのままの自分を認める」ことと「ありのままの自分を認めろ」と周りに主張することの違い

自分は自分、他人は他人。他人の受け取り方は自由で、コントロールはできない。

そんな権利も義務もないし、赤の他人を「変えたい」と考えること自体、おこがましいと感じる。 

自己を認めることは、共存する努力の放棄なのか?

本人がどれだけ裏で努力し、苦悩しようとも、他人の目にうつるものは、表に出ているものだけになってしまうし、判断材料は人それぞれ。

「印象」が、「心象」を左右する。

 そして、他者の人間性を判断する時、事実がどうかよりも、心象が重要視されることが多いように思う。

当事者として、逆の立場ならどう考えるか?

ひっくるめて、魅力的なのですよねえ。

 

「欠点の指摘」は、多くの場合、相手を傷つけてしまう。

そして、欠点は見方を変えると「長所の裏返し」でもあり、自分がその人の欠点だと感じたものでも、他の人にとってはそうではなかったりする。

「相手のために言ってあげたい」と思う時、人は傲慢になりやすい。

そんな時こそ、価値観は人それぞれ違うということを頭に叩き込んだ上で、相手に対する思いやりと、敬意を持ち、タイミングに十分な注意が必要になってくる。

 (わたしは衝動的にペロッと言ってしまって、しぬほど後悔するタイプです)

「違い」を否定しない

 「他人は他人、自分は自分。」を徹底すると、他人の価値観がどうあろうと、自分への影響がないため、他人を否定する必要がなくなるのかもしれない。

自他を同時に尊重する

 

すごい

 「うんこ」と「すごい」しか言わない人みたいになったので、旦那の名誉のために一応書いておきました

承認欲求の大小と、表現力の関係について

自己肯定感が高く、自他の境界線がハッキリしている人は、自己評価に、他者からの評価が関係しない。つまり、他人に認めてもらう必要もない。

鼻で笑われます

外に向けて分かってもらう必要がないんでしょうね。

自己完結で終わってしまうと、そこから発展しにくい。

色んな人間がいることで、社会のバランスが取れているんでしょうね。

どんな人間でも「ありのまま」「全て」受け容れなければならないのか? 

 全ての他人を受け入れろ、というのも無理な話。

「干渉しない」という選択の自由がある。

関わる人間は、ある程度、自分で決められる。「合わない人間とは、距離をとる」というのが、自分と相手の価値観を尊重することに繋がるのだと思う。

自己肯定感がある人は、コミュニケーションが上手

「他人は他人」と尊重するためには、「自分は自分」と思うところから。

結局、このブログで何度か主張している答えに行き着いてしまうのですが、やっぱりこういうことなのだろうなと思います。

ありのままの自分を、まずは認めてあげられるといいですね。

わたしも練習中です。

 

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コメント

  1. 障害を受容して克服する為には、障害を仕方のない事として受け入れ、障害を持っているという事に囚われずに、自分なりの方法で、社会の中で普通に生きていく事が大事だと思います。(ある研究者の受け売りですが。)
    そうなると、「障害の自己受容」ってのは、自己の内面の課題なのだと思います。
    だから、障害を自己受容するという事と、「俺様は障害者だ!特別なんだ!」と、周囲に承認を強要するという事は、真逆の境地という事になるのだと思います。
    自分自身からは逃げられないですから、ありのままに受容する。(「俺様は特別だ!」は、実は本当の自分から目を背けている。)
    そして、他人とは適切に距離を取りながらうまくやっていく。
    そういう覚悟をしていても、傍に居て欲しいのが、受容したいのが、承認して欲しいのが、伴侶だという事なんでしょうね。

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