ヤッホーみんな~~!悪口、楽しんでるぅ~~~!!!???
どうも。志乃です。
意味もなくアイドル風で始めてみました。
2階席も見えているよ。
さて。
ツイッターにて、また例によって垂れ流した思考を、ブログにまとめさせていただきます。
悪口は自己紹介(投影)
「なんかあの人って、自分をプロデュースするのがうまいだけっていうか」なんて悪口を言ってちゃダメ!/ブログ更新 有名人になりたくない! ーー大丈夫、ならないから https://t.co/u3eSRUXxgo
— 今泉愛子 (@aikocoolup) 2016年4月19日
有名人になりたくない! ーー大丈夫、ならないから | Desert Island
悪口は自己紹介って言うけど、ほんと抑圧している本心が浮き彫りになってしまうよなあ
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
心理学用語で「投影」といいます。
参考:カウンセリングサービス■心理学講座「投影とその活用方法〜人は心の鏡〜」
「自由にしたら叩かれるんじゃないか」?という恐怖
「人からこんなふうに(悪く)言われるかもしれないから、やめておこう」と思って我慢していることって、思い切ってやってみると圧倒的に良い反応ばかり返ってくる不思議
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
あれほんとなんなんだろう。経験から分かっているはずなのに、そうやってまた別のブロックを自分に設定する。次もそうだという保証はないしな…→次もそう
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
自分の「好きにする」と良いことばかり。ただ嫌なこともゼロにはならない
(こんなことやったら、こんなこと言われるんだろうなー)
→それ以上に、プラスになることが沢山起こる— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
ただし、嫌なこともゼロにはならない。
想定したことは、想定通りに起こる。ただ、自分が思っていたよりは、大したことじゃなかったことが多いです。それ以上に、新しい出会いや、チャンスがたくさん舞い込むので、やったこと自体にあまり後悔はしない。
旦那の叔母様から言われた金言。「何事も、良いとこ取りなんてできないわよ。」味わい深くて、たまに思い出す。欲張らないのも大事だけど、まず取ろうとしなければ、取れないんだよな。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
いいとこ取りなんてできない。全て取ろうとするか、最初から全て諦めるかでなく、良いところも悪いところも取って、多少の毒も食らって、免疫つけて、また強くなって、次に行く。そうやっていけばいいのかな?…なんてことを考えた。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
@shinoegg ちょっとわかりにくかった。「全てとろうとするか」というのは「完璧にこなして良いことだけ総取りしようとする」の意味。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
「他人は他人、自分は自分」。分かっていても実践できない理由
よそはよそ、うちはうち、他人は他人、自分は自分。各々好きにやっていい。
やっぱり、こんなふうに自分に言い聞かせなきゃならない程度には、自他の境界線が曖昧だ。— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
「悪口を言われた…」→「きっと私が悪いことをしたからだ、治さないと」と思いがち。それがまず誤り。他人と自分の価値観の違いを尊重しない、できない、されない。「みんな一緒に普通であろう」というように、自他の境界線が曖昧。ただ、それで身につくものもある。トラブルはある程度回避できる。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
日本の学校文化は(少なくても私の子ども時代は)協調性という名の社会性と「普通」であることで処世術を学ぶ場所。ここで言いたいのはその良し悪しでなく。
— 志乃 (@shinoegg) 2016年4月20日
学校はとにかく「普通じゃないことはしてはいけない」場所だった。周りから型にはめられ、時には自分から型にはまり、そして友達を、自分がやられたように同じような型にはめる。その型を破ったことで、酷い目に遭ったり、酷い目に遭わされている人を目の当たりにし過ぎた。
— 志乃 (@shinoegg) 2016年4月20日
すぐに誰もが集団の中で「普通」であることの安全性に気づく。でも「普通な人」なんて実際にはいないので、誰も安心できない。「自分では普通と思っていること」を「普通ではないと思っている複数」から叩かれる。
— 志乃 (@shinoegg) 2016年4月20日
でも、それって学校に限らず、社会でも、どこでもそうなんだよね。日本文化の予行訓練を、正しく学校で習ってるだけ。母子の距離も近い。自分と他人の違いに不寛容。「自分は自分」という境界線を引く訓練は、家庭学習。
— 志乃 (@shinoegg) 2016年4月20日
そしてツイート中にもある通り、日本では、母子間の心理的な距離が近い傾向(運命共同体になりやすい。親が子どものことを、自分とは違う、独立した別の人間として扱うべきところを、子どもの価値観を尊重しなかったり、過干渉になりがち)にあり、社会でも、家庭でも、自分と他者との境界線があいまいになりがち。
「自分は自分」としっかり思える人は、こんな人。
「浮かないように大人しくしてよう」という考え方から、得られるものが大き過ぎる。そこを破ってまで好きに振る舞うことができる人は、自分を肯定する力がある人。自分を肯定するのに他人を必要としない人。そして自己肯定感のある人は、他人を肯定する力もあることがわかっている。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
恥の文化で秩序を保っている国で、「失敗を恐れずに自分らしくチャレンジしろ」って言われても、恥をかかないで済むリスクとるよな。そんで、失敗をした人を見て「ダッセw」と笑って、コタツでぬくぬく。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
※訂正:正しくは「恥をかくリスクをわざわざ取らないよな」。
他人にやったことは、全て自分にはね返る
「バカにされたくない」という気持ちが大きいのは、普段から自分が他人をバカにしている思考の癖がついちゃった結果。鏡の前で自分に怯えてる。誰のせいというか、文化のせいだと思う。身を守るには「ふつう」を学習し採点する目を養うのが近道だから
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
採点基準が正確で細かい人から、どんどん不自由になっていく。
— 志乃 (@shinoegg) 2016年4月20日
人のやることにケチばっかりつけている人は、同じくケチばっかりつけている人と付き合うようになって、当然、その集団の中で守らなければならない「普通」ルールは厳しい。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
類は友を呼ぶ。自分が不自由になるルールを、自分でどんどん形成していってしまう。
ただし、その方が心地がよい人もいる。問題なのは、本心では「もっとのびのびやりたーい!」という欲求を抱えて鬱屈している場合。
自由になるためにはやっぱり、自分に、他人に寛容でなければならないんだろうなって、改めて思いました。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
「浮かないようにする」のが最重要課題になって自分を抑圧してしまうと、目の前で浮いてる人には困ったことになってくれないと困るから、悪口も言うし、失敗をつい願う。それが嫉妬とも分からずに。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
もう好きにしようよ…って気持ち。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
引っ張る必要がない足を、引っ張りたいのは何故か?
当たり前だが、「引っ張る必要のない足」は、「引っ張る必要がない」と思いませんか。それでも引っ張るのは、引っ張りたいからです。
じゃあ、どうして引っ張りたいのでしょうか。
困ったことにバカにするのって楽しいんだよなあ。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
わたしも性格悪いんでわかる
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
長い自己紹介終わり
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
なんかつくづく「普通とは」について考えることが多いので、わたしがそれだけそこに囚われているってことなんだろうなあ。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月20日
全ての問題は、きっとすべて、自分の中にある。
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