人生なんだかんだで「しょうがない」の連続である。
いろんなものが「しょうがない」
父はこういう人だから、しょうがない。
母はこういう人だから、しょうがない。
兄弟はこういう人だから、しょうがない。
学校とはそういうところだから、しょうがない。
社会とはそういうところだから、しょうがない。
結婚とはそういうものだから、しょうがない。
育児とはそういうものだから、しょうがない。
大人は色んな「しょうがない」を抱えて生きている。
子ども時代には納得ができない「諦め」の側面
でも、子どもの頃は「諦めるなよ!」と燃え上がっていたはず。
「諦めてる大人ってカッコ悪い!」と感じたことでもあったはず。
出来ることがあるのに、やる前から諦めてしまうより、反骨精神で改革を起こす情熱が必要な場面もある。
でも思っていたより、「諦めること」はそこまで悪いものでもなかった。
諦めることはそんなに悪いことでもない
「しょうがない」というのは、「諦める」という、ネガティブな印象を与える意味の他に、「受け容れる」ことを意味する言葉でもあって、
大人になるにつれて、「寛容さを獲得した」とも言えるのだ。
「どうして自分の思い通りにならないんだろう!」と利己的に憤慨することをやめ、
「そういうものだから、どうにもならないことは受け容れて、前向きになんとかやっていこう」となる。
それでも「しょうがない」を連呼していると、たまに、たまらなく寂しくなることもある。
でも、それもまた、しょうがない。
ありのままを認め受け容れることで得る未来
ありのままの他者を認められない人間は、ありのままの自己をも認められない。
逆に、色んなことの「ありのまま」を、素直に受け容れて、しなやかに生きていくんだ。
例えば、
自分を捨てた元恋人が、どうしても忘れられず、泣く泣く諦めざるを得なくても
その相手はかねてから「その人はやめておきなさい」と周囲から反対されていた人だったりもする。
その失敗を経て、学んで、諦めた後に出会った人こそ、前よりも自分にふさわしい相手だったりするんだ。
そうやって、ネガティブな意味で「あきらめた」ことがあったとしても、きっと未来の布石になっている。
わたしはいま、パーソナリティ障害を抱えた母親に振り回されているけれども
「それが母という人だから、しょうがない。」
受け容れて、肥やしにして、またより強く、たくましく、優しい自分になって、進んでいこう。
まあ、しょうがない。
なんとか、やっていこうな。
コメント
こんにちは。
「しょうがない」読ませて頂きました。
家族や他人のことは、ある程度「しょうがない」と思えるのですが、自分のこととなると難しいです。
自分の能力なんだから度々のミスも、「しょうがない」。
だけど、周りからの苛立ちやガッカリした様子を見ると、もう、自分に付き合うの疲れるなーなんて、思ってしまいます。