どうも。望月志乃です。
わたしはこのブログの中で、しきりに
「発達障害には個人差がある。全ての人にあてはまるわけではない。」
「当事者の多くは、発達障害を知ってほしいのではなく、自分のことを知って欲しいのではないか?」
「自分の身の回りの人に、自己紹介するのが一番大切なのでは?」
などと、主張してきたわけですが、一言で「個人差がある」と言われても、なかなかイメージが難しいでしょうし、そもそも発達障害がどんなものか、改めて説明する必要があると感じたので、自分なりに図解をしてみました。
今回は、大手メディアによる発達障害の啓発活動を通して「発達障害を紹介すること」に対する、当事者視点での不安を、説明してみようと思います。
「発達障害者とはこういうことで困っている人です」に対するモヤモヤ
例えば、私はなるべく規律やルールを守りたいと思っているタイプなんですが。
テレビや新聞で、ADHDの特徴の一つとして「列の順番待ちができない」などと例を上げていると、(私は待てるのになぁ…)という、居心地の悪さを感じます。
これは誰でも経験があると思うのですが、「マナーの悪い男性がいる。」ではなく、「男性のマナーが悪い」と言われた時のような感覚。
自分のことは自分で語りたいと思っているので、第三者によって属性を説明されることに違和感をおぼえてしまうのです。
発達障害と一口に言っても、持ち物に大きく差がある
とびきりの美人なら、本人が望もうと望むまいと、その美貌に助けられることもあるだろうし、天才と呼ばれる人なら、その能力で社会的に成功することもできる。
コミュニケーション能力があったり、愛嬌のあるタイプなら、人間関係で大きく失敗することもないかもしれない。
「発達障害者は、長所を伸ばして才能で生きていけばいいんだよ!」と励まされても、
「発達障害者がみんな才能があるわけじゃないし」と、ますます沈んでしまう人もいる。
個人差があるなら「発達障害」ってどういう状態をいうの?
文章だけでは伝わらない部分が大きいため、わたしのIQ検査結果を使って、図解してみることにしました。
恵まれた人か重症者が話題になりがち
メディアでは「特に重症で困っている人」や、「何かに恵まれている人」ばかりにスポットライトが当たりがち。一般視聴者の中では「テレビで見た当事者=発達障害のステレオタイプ」という印象になるのではないかという不安があります。
何かで目立っていたり、声の大きい発達障害者のイメージが先行してしまうと、自分の実像とは違った先入観が世間に広まってしまうということで、不安に思う当事者が多くいます。
発達障害者と生活水準の関係と、世間のイメージ
そして、これまでこのブログに寄せられた、「世間の方」からいただいたコメントを見ていると、「発達障害者とは知能水準が標準よりも低い位置にいる人のことである」というイメージを持っていらっしゃる印象がありました。
上から目線の意見が多かったり、「あなたと一緒にされたくない」という気持ちの表明だったり、「発達障害者は社会の害でしかない」であったり、何かと劣等種扱いを受けることが不思議でしたが、原因はその誤解にあるのではないかと思います。
恵まれているはずなのに、私は何でこんなに辛いんだろう?
知能検査を受けるまで、わたしはずっと「私は全てにおいて平均より知能が劣っている」と思っていました。
おそらくそれは生育環境による影響なのですが、こうして数値になって見せられたことによって客観的事実として受け止めることができ、大きな自信になったのを覚えています。
天才とは言えないけれど、自分に何の才能がないとも思わない。
昔はともかく、今は環境にも恵まれているはずじゃないか。
なのに、なんでこんなに生きづらいんだろう?
専業主婦なのに家事はまともにできないし
理想の母親像と自分はほど遠いし
パートも結局辞めてしまったし
自分より大変なのに頑張っている人はいくらでもいるし
才能で勝負するっていったって上には上がいるし…
天才にもなれなけりゃ、普通にもなれないし…
頑張らなきゃと思っているのに
全部全部わかっているのに
いくら頑張ってもミスは減らないし
天気が悪いだけで動けなくなるし
脳みその使いすぎか、何をしてても疲れるし
先延ばし癖で生活がえらいことになっているし…
「恵まれてるお前に何がわかる!」と言われると
本当に…そうですね……と素直に思う自分もいる。
「わたしの生きづらさは、ただの甘えなのか????」
そういうことを、よく考えてしまいます。
わたしはきっと、たいした苦労もしてないくせに発達障害を偉そうに語る何もできないボンクラなん…
そぉい!!!
二次障害という別軸の存在
ハイ、ご覧のように。
発達障害者の多くは、社会的なストレスや、自責の念から「うつ病」などの二次障害に羅漢しやすいと言われています。
わたしの場合、発達障害そのもので困っていることもあるけれど、うつ症状や双極性障害に悩まされ、生活に困難さを抱えている部分が大きいです。
特性そのものよりも、「生まれた環境」、「育った環境」、そして「今いる環境」に大きく人生が左右されているのかもしれません。
まとめ
私が「発達障害はこういうもので、こういうことで困っています」と表明したことは、
「発達障害者の一人である私が困っていることです。」という意味以上でも、それ以下でもない。
当事者の一人一人が、上の図解のように、周囲の関係者に対して「得意なことと、苦手なこと」を伝えることができたなら、どんなにいいだろう。
できないことは多いものの、わたしは「言葉で考え、伝える力」には恵まれているようなので、この能力を使って、誰かの自己紹介のお役にたてたらいいなと、願っています。
それでは、また。
コメント
逆だと思います。
個性でしかないものを個性として受容していないのは、社会よりも、志乃さんをはじめ、啓発活動をやっている多くの「当事者」のほうではありませんか。
ADHDや発達障害と名前をつけて「わたしたちは『定型発達』とは違う、その根拠は…」と
次々に挙げるその全てが、勝手な位置に線を引き、壁を作る行為だと思います。定型発達なんてものも、そもそも存在しなかったのに、『発達障害』の概念を作り出した人たちによって恣意的に定義されたわけですよね。
グレーゾーンという便利な言葉を使って表面上の矛盾を解決しようとする動きもありますが、そもそもが、グレーゾーンも、発達障害も、「定型発達」も、「ヒト」でしかないです。境目なんて、なかったのに。
ヒトが生来幅広い個体差をもって生まれているという事実に背を向けて、あたかも発達障害と定型発達があるかのように考えている人たちに、発達障害の中に個体差があることを受け入れない人たちを非難する資格がありますか?
項目2、3辺りに関連して↓
筑波大で「インタビューを通して、学生さんの障害特性や得意なこと、周りの人にしてもらえると良いことをオリジナルマンガにまとめる『あなたをマンガで伝えるプロジェクト』」という支援が開始されたそうです。
https://twitter.com/UTsukubaosd/status/1191919695370149888
「サポートブック」や「トリセツ」の一種に当たるかと思うのですが、漫画やイラストにまとめてあると個々の特性や支援ポイントが読み手にも伝わりやすくていいなぁと思いました。
こういった支援、学生さんだけじゃなく一般にも需要ありそうですよね。