どうも。志乃です。
今日は度々話題にのぼる「女の発達障碍者はいいよな、いざとなったら専業主婦に逃げられる」に対するアンサーのようなものを書きます。
ちょっと、こみいった(?)お話になるかと思います。
立場が違えば悩みも変わる&隣の芝生は青く見える
まず最初に申し上げておきたいのは、「女の方が辛いのよ!キー!!」ということではございません。
大きな括りで辛さ比べをしてみたって、「俺(男)の方が」「私(女)だって!」とムキになってしまうばかりで、誰も幸せになりませんし。不毛。
自殺者の割合が、若い男性が多いことを見ても、男性にとって大変な時代なのだろうとお察しします。
それに私は恵まれている部分も大きく、旦那に感謝しても仕切れません。
じゃあ何で、この記事を書くのか。
立場は違えど、誰もが精いっぱいな中で生きていて、「逃げている」わけではない。
「楽な逃げ道」なんてないし、女に産まれたからって無条件でイージーモードなわけはない。
みんな大変だけど、出来る限りで頑張っていこうってことをお伝えしたいです。
「発達障害もってても専業主婦になればいいから女はいいよな」に対していつも思うんです。あなたが女だったとして、家事育児を人並みにこなす自信はあるのかと。家事を満足にできない専業主婦を黙って養い続ける男性がどんだけいると思うのかと。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年12月21日
男のADHDにできないことは、女のADHDにもできない
ADHDがまだ今よりも認知度が低かった頃、「片付けられない女」というキャッチフレーズで話題になりました。
私もそれで自覚したクチです。
バラエティ番組などで、「汚部屋住人」が面白おかしく取り上げられ、笑いものにされているコーナーをよく見かけます。最近だと「女性なのに」という部分をクローズアップする要素も加わりました。
ああいうのを見かけるたび、差別的な扱いに哀しくなります。男性だったら「もう~、だらしないんだから~!、男の人って、しょうがないわね!」で済まされていることが、女性になると「女のくせに、だらしない!信じられない!」という、糾弾の対象になったり、嘲笑の対象になる…ということが、よくあります。
離婚の理由になったりね。
「そんなんじゃ、お嫁の貰い手がいないよ!」も、よく言われました。
片付けられない。
段取りが組めないから料理も苦手。うっかり焦がし、食材を無駄にしてしまって自己嫌悪…なんてことも、しょっちゅう。
※料理が得意なADHD女性もいます。好きなことになら集中できるのもADHDの特徴。
身だしなみを整えるのも、あまり得意ではありません。
対人が苦手で、ご近所づきあいも、満足にできません。
「ちゃんとした母親」になりたいのに、なれません。
陰口を叩かれたり、説教をされたり、笑われたりもします。
だらしのない自分に、落ち込んでしまう毎日。
そういう「ADHDあるある」は、男だろうが女だろうが関係ありませんよね。
ADHDの症状に、個人差はありますが、「性差」って一体どれくらいあるんでしょうね。
家事ができない専業主婦の行く末
考えてみたことはありますか。
「家事をするのが仕事」なのに、その家事が人並みにできない。人並みにできたとしても、維持にはかなりの労力がかかる。
無理をしなければ、生活が成り立たない。
何のためにここにいるのか。
自分はここにいてもいいのか。
人はただ生きているだけでお金がかかるのに、何の役にも立たない自分。
ただの、ごく潰しなのではないか?
愛する人を支えることもできず、負担にしかなっていない気がする。
自分は必要のない人間なのではないか?
このままじゃ、きっといつか捨てられてしまう。
離婚されたらどうしよう。
ADHDを抱えた主婦の多くが、多かれ少なかれ、同じような不安「離婚されるかもしれない」を抱えていると私は考えます。実際に、心無い暴言を吐かれ、離婚されてしまう人もいます。
知らず知らずのうちに、依存してしまい、パワーバランスがおかしなことになったりもする。
「女は股を開けばいい」に対する反論
突然、下品な話で申し訳ありませんが、少々お付き合いください。
どうも、そのように考える若い男性が多いようなのです。実際は、そんなに甘いものではありませんよね。女の股力を、ずいぶんと高く見積もってくれているのだなあと感じます。
妻子を一生涯面倒みるのに、いったいどれだけのお金がかかるのか。
ウン万円があればいくらでも性欲が処理できる時代に、同じ女との性行為に、そこまでの価値があると思うのか。
特にこの国では、「女は若い方がいい」という、若さが持てはやされます。
妻は老います。にんげんだもの。みつを。
30過ぎればババア呼ばわり。晩婚化がすすみ、20代後半で結婚すれば早いほう。
つまるところ、賞味期限は数年?
「愛があれば何のその!」は流行らず、「結婚はコスパが悪い」などと言われる始末。
相手次第ですし、実際はわかりませんけども、世間に(特にネットの世界では)そういう風潮が強く、女性たちはそのプレッシャーを肌で感じることが多いのです。
「日本は女尊男卑だ!」という人がいますが、それも勘違いでしょう。
正しくは、「日本(のネット社会)は美少女尊その他卑」のことが多いです。
そんなもんです。
言っている方も、本当は心のどこかで、分かっているんだと思いますが。
「対等」でなければ夫婦生活は破たんする?
昨今、家事労働や専業主婦の価値が見直されつつありますが、なんだかんだで「稼いでいる方」が家庭内でイニシアティブをとりがち。
専業主婦になりたがる女性は批判されたりと、「共働きが当たり前」の時代です。
ADHDだから家事も苦手。
ADHDだから育児も下手。
ADHDだから就労も難しい。
あれもダメ、これもダメ。
でもそれは「ADHDを言い訳にしている」と受け取られ、全てが「甘え」と見なされる。
そのことに文句を言いたいわけではなくて、当然の心理だとも思う。
何の役にも立たない女が、家でダラダラしてても、だらしなくても、何だかんだで面倒をみてくれるのは、いるとしたら、自分の母親か、共依存の相手だけでしょう。
男性の場合、しっかり者の奥さんをお嫁さんに貰えたら、お母さんの代わりにやってもらえるのでしょうが、今のご時世、それも嫌がられるでしょうね。
パートナーは、人生を共に歩む人であって、無償の愛を与えてくれる存在ではありません。
で、無償の愛がもらえなかったかといって、相手を責められることでもない。
女に産まれてもイージーモードではないけれど
「アナと雪の女王」の挿入歌、「愛さえあれば」の歌詞にあるような世界が、きっと理想の世界なんだろうなと、よく思います。
「愛さえあれば」は、作中、ヒロインのアナと、クリストフの結婚を祝うためにドワーフ達が歌う歌で、「欠点があるもの同士の愛」をテーマにしています。
「人は簡単に変わることは出来ないけども、愛の力にはパワーがある」とか
「お互いに完璧じゃないけれど、問題もあるけども、それでいいんだ」であるとか
たくさんのメッセージを感じることができます。
でも実際は、そんな理想通りにいくとは限らない。
そんなに甘いものじゃない。
誰もがそんな温かい愛情に包まれているわけでもない。
最初にどんなに大きな愛があったって、どちらかに負担の重さが偏ってしまえば、関係も簡単に壊れてしまうものなのかもしれない。
「愛」に甘えて自立することを忘れてしまったら、愛する人の負担になってしまう。
愛と依存。依存と負担。負担とバランス。
なんだかんだで人間関係は、ギブ&テイクで成り立っている部分が大きいのではないかと思ってしまう。
たぶん、パートナーを大切に思うほど、不安になってしまうんでしょうね。
今の自分にできることを、やっていくしかない
薬に頼るのもいいし、家事代行を頼むのもいい。
自分に甘すぎてもダメだし、厳しすぎてもいけない。
「ありがとう」を大事にして、常に伝え合ったり、お互いに尊敬の気持ちを表明したり。
テイクばかりの自分に、自己嫌悪して押しつぶされそうになっても、得意なことで家庭に貢献したらいい。
それが人によっては「働いてお金を家に入れること」かもしれない。
十分な経済力が自分にあれば、「捨てられたら、どうしよう?生活できない」という、大きな不安も減るわけですし、パートナーの顔色をうかがって情緒不安定にならずに済む。
でももしかしたら、
「ありがとう」と言われるだけで心が満たされたり、
「頼りにしてる」と言われるだけで意欲が湧いたり、
「ただそばにいてくれるだけでいい」と思う旦那さんも、いるのかもしれない。
家族に「あげられるもの(=ギブ)」がなんなのか、いつも考えています。
「ここにいてもいいんだ」って、自分に自信を持てるように。
自分に自信が持てないと、他人も信じられなくなってしまうというのもあると思う。
色々困難もあるけども、頑張って生きましょうね。
現場からは、以上です。
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