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チュートリアル徳井さんのADHD疑惑について、芸人気質のADHD当事者として思うことを批判覚悟で書く

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どうも。
望月志乃です。

今日は、法人税の申告漏れにより芸能活動を自粛することになった、お笑い芸人コンビ・チュートリアルの徳井さんが、ツイッターで「彼はADHDではないか?」と噂になっている件について、いち個人の感想を書かせて頂きたいと思います。

これから書く私の考えはおそらく、多くのADHD当事者にとって共感を得られるものではないと思います。そのことをよくご理解いただいた上で、この先をお読み頂ければ幸いです。

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「想像を絶するルーズさ」により問題が生じることが多いADHD

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3812659.html

徳井さんは会見の中で問題の原因について、自分の「想像を絶するルーズさ」によるものだとコメント。
「明日にしよう、明日にしようと思って先延ばしにしてしまった」とも証言しています。

これらは、ADHDの症状のひとつ「先延ばし癖」に悩む、多くのADHD当事者達によって「わかるわ〜〜」という共感の嵐を呼ぶものでした。

最初は「もしかして、お仲間かも〜〜?」という、仲間意識のようなもので、親しみを込めて語られていたのですが、この盛り上がりが様々な波紋を呼ぶことに……。

「ADHDを言い訳にするな」問題

ADHDだからって脱税が許されるわけじゃない。ADHDは言い訳にならない。

まず、こちらの批判。
これに関して言えば、まったくもってその通りですよね。

この法治国家で、社会の一員として生活するためには、法律というルールをしっかりと守らなければならない。そうして社会の秩序は保たれるわけだし、ルールを守ることで、自分たちも守られている。

ただ発達障害者の多くは、本人の意思に反して、ルール違反をしてしまうことが多々あり、その特性が生活する上で大きな障害となっている。そこをどう解決していくのか、自分と社会、それぞれに取り組むべき課題がある。

重度のADHDは、地域に多大な迷惑をかけてしまうこともあるし、犯罪に手を染めなければ生きて来られなかった発達障害児もいる。目を背けてはいけない、社会の大きな課題のひとつだ。

徳井さんが「ADHDかどうか」は置いておいても、法治国家では実際に「言い訳にならなかった」。
だから社会的制裁を受けることになったわけで、社会としては当然のあり方だと思う。

ただ、ツイッターで共感をもって騒いでいたADHD当事者の誰が、「ADHDだから、(脱税を)許して〜」と発言したのだろうという疑問はある。

おそらく、「ADHDだから分かるな〜、そういうことって、あるある!」と親しみを込めて盛り上がる様が、ある層には我々が「ADHDなら仕方ない」と脱税を肯定している様に感じられたのかもしれない。

「共感」が、受容を意味することもある。
仲間たちによって、彼の行いが許されたように見えたのだろうか。
それも正直、分からなくはない。

でもまあ、誰も犯罪を肯定はしてないよね。

医師でもない素人が「あいつ、もしかしてADHDなんじゃないか?」と決めつけるのはよくない?

医師でもない一般人が、一部の特性だけを見て、会ったこともない人を無責任に発達障害だと決めるなんて、ありえない!

(当事者男性)

これもまあ、その通りなんだけど。
そう結論づけて終わらせてしまうことに、少なからず疑問が残る。

じゃあなんで、「あなたの周りに、こんな人がいませんか?もしかしたら、発達障害かもしれません」と啓発してるの?

昨今NHKをはじめ、いろんなメディアにおいて「安易に人格否定する前に、自分にはどうにもできない困難さを抱えた、発達障害かもしれないと想像してみてほしい、そういう人がいるんだということを知ってほしい」という発信をしている。

「ADHDで困っているのかも……」という暖かい想像の目で見てくださいと啓蒙しているのに、「あの人ADHDなんじゃないの?」という発言はして欲しくない、ということになる。

ADHD全体の今後を考えてみた時に、気軽に受け止めてほしいのか、反対に重く受け止められるべきなのか、それは当事者によって望む形が違うのだと思う。

で、それにもそうなるだけの背景がある。

「発達障害かも」と決めつけられ、偏見により傷つけられてきた私たち

「こいつ、『アスペ』だろwww」と、ネットで蔑称のように扱われ、差別が蔓延していた時代があった。
「あのママ、ちょっと変だよね。発達障害かもよ?関わらないようにした方がいいよね〜」なんて、私が当事者とも知らず無邪気に伝えてきた人もいる。

避けるべき人種のように扱われてきた歴史があって、それは今も続いている。

「障害者だと認定されること」自体に負のイメージが染み付いている?

最近の社会は、すぐに障害扱いされる。
徳井さんがADHDかどうかで話題になっているけど、そもそも知り合いでもない他人の性格を医者でもない人間が安易に障害扱いできるの普通に気持ち悪すぎる

意地悪な読み方をしてしまえば、つまるところ「障害者扱いされたくない」「ADHD呼ばわりされたくない」ということでもあって、当事者の私からしてみると、えらい失礼な話だな〜と思う。

オイ、ADHD呼ばわりがそんなに嫌か、という。
まあ実際、一緒にされたくないんだろうなあ。

でも私にもプライドはあるし、このブログでも繰り返し「ADHDであることに胸を張りたい」というメッセージを発信してきた。
【大人の発達障害】ADHDとして産まれたことに胸をはりたい

「あの人、もしかしてADHDなんじゃない?」という目で見られることを、気持ち悪いと感じる人もいるということだし、上記のツイートは4桁以上も拡散され、大きな共感を呼んでいた。

「普通に気持ち悪すぎる」に対して「普通に失礼すぎる」と反論する権利を、私はここに主張したい。

発達障害の診断済みかどうかに拘る当事者たち

ただの無能が、安易に俺たちと同じADHDを名乗るな

「自分たちは特に困っている障害者であり、少し似ているからと言って一緒にして欲しくない」と感じる当事者が多くいて、定期的に話題に上る。
「ADHDだと思い込んでいる低スペック人間が多過ぎる」?自称ADHD批判へもの申す

自分たちの苦しみが、軽く見られては困る。それも分かる。
「うっかりミスなら、私もよくあるよ〜!気にしなくていいんじゃない?」と第三者から励まされることで、(気の持ちようでなんとかなる軽いレベルではないから、病院で診断がついているのに……)と傷つく当事者も多い。

いろんな意味で、いろんなところで、「一緒にされたくない」という願望が見え隠れ。

発達障害には個人差があり、医師の判断基準もあいまい

このブログで何年も伝えてきたように、発達障害を語るうえで重要なことは「発達障害はスペクトラム(グラデーションのようなもの)で、個人差が激しい」ということだ。

どこで線引きをつけるかは、医師の判断に任される。
同じ知能検査結果を見せても、医師によって診断がついたりつかなかったりする。

「あなたは発達障害ではありません」と言われて、激しいショックを受けてしまい、自分が望む診断を貰えるまで、ドクターショッピングを繰り返す人もいる(それが悪いということでもない)。
精神科で「あなたは発達障害ではありません」と言われるのが怖いあなたへ

そのような需要に応える形で、ビジネスとして「適当に診断名をつけて、ストラテラでも飲ませておけ」と考える精神科医院も存在する。
【大人の発達障害】精神科医から内部告発と「主治医の選び方」等のアドバイスを頂いたのでシェアする

発達障害の診断がつくことで、支援を受けるチャンスを得て、一つ一つの困りごとに対処していくことができる。「私が悪いわけじゃなかったんだ」という自己受容につながり、自己理解を深めることができる。

「あんたの辛さ、甘えなんかじゃないよ!」という医師のお墨付きを得られるかどうかで、人生が大きく左右される。

発達障害者と医師の診断

「怠け者だ」と迫害されてきた私たちADHDが、「お前のは発達障害じゃなくてただの甘えだ」とでも言うように、自分よりも軽度だと感じる人間をマウンティングするのって、なんだかおかしくない?

「自分には分からないけれど、この人はこの人で、困ってることがあるのかもな」の方が、平和じゃない?

自分を語る時の主語は「I」で、それ以上でも以下でもない。定型発達(発達障害でない人たちのこと)だって、薄いグレーというだけだ。薄いグレーの人にとって優しくあることは、自分たちのためにもなるのではないのか。

発達障害は身近であってはならないのか?
普通の人とはかけ離れた存在でなければ、許されないのか?

特別に可哀想に見える人たちだけが、ADHDなわけではない。

「誰にでもうっかりミスはあるけど、お前のそれと俺のこれは違うからな」よりも「誰にでもうっかりミスがあるから分かって貰えると思うんだけど、それが尋常じゃないから辛いんだよね〜」とつなげる方が、明るい未来を感じる。

人間は誰だってミスをする生き物だから、もうちょっとユルい社会にしませんかと、そういうアプローチをしたいと私は思う。

発達障害であるとレッテル貼りされることは、芸人にとってマイナスでしかない?

さて、話をチュートリアル徳井さんに戻そう。

彼が本当に発達障害者であるかなんて、誰にも分からないし、勝手に断定もしちゃいけない。
彼もADHDを疑われ、噂されることを望んでいないかもしれない。

それというのも、私は以前、こんなことを記事にした。
発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと)

かなり文量がある上に、わたしの幼少期まで遡る、重く暑苦しい内容なので、要点を掻い摘んで説明すると。

小さな頃から「他人を笑わせることが大好きだった」私。
テキストサイト全盛期には、「ドジっ子芸人」と名乗り、ネタ日記サイトを運営していたという黒歴史もある。

どんなにピンチなことも、俯瞰して見てみるとシュールで面白かったりもして、それをお笑いとして昇華し、ギャラリーに笑ってもらうことで、充実感を得ていた。

で、これは別に私に限った話ではなくて、発達障害を持つ人は「他人のためなら頑張れる」という研究結果も発表されていたりする。

あなたのクラスにも一人は、周囲を笑わせることが得意な、やたらと落ち着きのないお調子者がいたんじゃないだろうか。

発想力・表現力に優れたタイプのADHDは、エンターティメントの世界で真価を発揮することが少なくない。

ただ、お笑い芸人の場合、ADHDをカミングアウトすることは(現状では)リスクが大きいといえる。

サザエさんを読む前に、「この主人公、発達障害者じゃないかな」と言われてから読むのと、そうでないのとでは、見方が変わってしまうだろう。

それも当然のことだとも思う。

「天然」は笑えるけど、「発達障害」は笑っちゃいけない気がする?

わたし自身も、サザエも、やっていることは以前と何も変わらないのに、自分の属性を伝えた途端に、周囲の反応が変わってしまうというのがあった。

周囲を笑顔にする人気者か
笑っちゃいけない可哀想な存在になるか

発達障害のラベルがつくかどうかで、世間の印象は変わってしまう。
ならば、問題の本質はどこにある?

ADHDは特別な方がいいのか?

私たちはどこにでもいる、ありふれた存在だ。
宇宙人っぽいところもあるけれど、地球に住んでいて、一応自分を同じ人間だと思って暮らしている。

わたしはこれまでずっと、「自己紹介で血液型をいうように、ADHD型ですと表明できる社会になればいい」というビジョンを持って、このブログから何年も発信してきた。

同じ血液型だって、色んな人がいるように、
同じADHDだって、色んな人がいる。

「一緒にされたくない」し、「個人差が激しく一概に言えないもの」ならば、
「自分の周囲」に向けて「自己紹介」をすることで、理解の輪が広がっていくんじゃないかと思っている。

「ADHDだということを黙っていた方がメリットがある社会」は、いったいいつまで続くのか。

一般人の感覚では推し量れないほど重度の症状を抱え、特別な支援が必要な当事者もいる。
一方、わたしのように、「脳がADHD型である」と捉え、ただ当たり前に社会に存在することを望む当事者もいる。

それをこれからも伝えていきたいと思う。

https://shinoegg.com/entry/2019/04/04/090000

コメント

  1. こんにちは。ADHD当事者目線で記事全体まるっと共感いたしました。

    今回の件、会見の映像を見た直後にコレってもしかして?ってすぐにTwitter
    見たところ、同じように思った方がいて、ああやっぱりね、と思いました。
    当初「徳井 ADHD」で絞って全部読める状態で「ADHDだから許してほしい」と
    いう意見はなかったように思うんですよね。なのに、そういう意見が多数ある
    ことを前提に勝手に反論している書き込みには、ちょっとうんざりしてました。
    (同パターンの「病気だから~」「精神疾患だから~」という意見は、そもそも
    発達障害は病気でも精神疾患でもないと知っている当事者がそんな書き方をする
    はずがない訳で、書き込んでいる人はその矛盾にすら気づいていないという。)

    もちろん、医者じゃない人間が他人を発達障害認定することはできないが、
    あとから出てきたあれこれ全部ADHDを前提に考えると「どうしてこうなったか」
    の過程が当事者目線では全部想像できてしまうんですよね。
    「過去は全部払っていた最初の会見と矛盾」(→いわれるがままに支払っていた
    から、自分がいつの何を払っていたか全く把握できていなかったのでは?)や
    「タックスヘイブンに詳しい」(→申請とか煩わしい手続きから解放された
    かったからだけな予感…)や「2億円マンション購入」(→買っちゃえば家賃払い
    忘れがないもんね。管理費や維持費についてわかってるか不安だけど)などの
    続報も悪意あって申告漏れをしたという裏付けにはならないと思ってます:

    最終的にかれがADHDであろうがなかろうが、この社会で生きている限りは
    ルールにのっとって、やらかした部分についてのペナルティは受けるべきには
    違いないと思います。

    問題は自分ができないことは「手を出さない」か「外注する」というスキルが
    彼になかったことだと思っています。
    結果的として、仕事上の多くの人に迷惑が掛かり、思いっきり生活に支障が
    出てしまった。せっかく天職に就けたのにもしこのまま消えてしまったら
    ちょっともったいない気がしますね。

    最後に

    「発達障害」は蔑称でも何でもないという意見には思いっきり賛同します。
    確かにちょっと物事のとらえ方やアウトプットの仕方が人と違ったりして
    今の社会では生き辛さもありますが、そのおかげで面白い体験をすることも
    あるし一長一短。いまはたまたま「健常」と呼ばれる人が多い社会なだけで
    歴史が違えば逆転していた可能性もあると思うのです。(たとえばASDが
    マイノリティの社会だったらどんなコミュニケーションケーション手段が
    発達しただろうかと想像すると楽しかったりします。)

    私自身は割とポロっとカミングアウトするタイプなのですが、同じく発達
    障害をもつ自分の子には慎重になるように教えています。
    名称の認知はだいぶ進みましたが、さらに正しい理解が深まりオープンに
    できる世の中であってほしいですね。

    ※一応、脊髄反射的に書き込まず一呼吸おいて書いたつもりなのですが、
     読みにくかったりわかりにくかったりしたらごめんなさい。

  2. 自分の投稿、冷静に読み返したら、やらかしてました(><)

    訂正:
    たとえばASDがマイノリティの社会だったら

    たとえばASDがマジョリティの社会だったら

  3. 知りあいにADHDの気はあるけど、ADHDじゃないドジっこがいるので正直わからんって思います。

    他人が徳井さんをADHDだと決めつけて
    当事者が一回は味わう絶望を、無理に味あわせなくてよくない?と思います。

    ADHD、診断される前が一番しんどくなかったです?
    みんなあの時の気持ち忘れたのかって思う。判定が軽すぎる。

    安易に有名人をADHDだと決めつけるの嫌です。
    ADHD界隈に対して-にしかならない気もする。

    貴方○○だろ?って言われたら、誰でも反発したくなるし。徳井さんがADHDに対して憎しみを覚えないといいなって思う。スルーしてほしい。

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