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お金よりも、経済力が欲しい。もっと言うと、アレが欲しい。

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金運 ゴージャスイメージ

もちろん、お金も欲しい。
でもきっと、それだけじゃ足りないんだと思う。

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お金が欲しいというより、“その先”が欲しい。

例えば、
プレゼントを贈ったら、好きな人の笑顔が見られたとか。

好きなアーティストの活動に、役立てることが嬉しいだとか。

旅費を奮発して、ガイドブックを片手に飛行機へ乗り込む時の気持ちだとか。

高額な医療費を払って、愛する人が病を完治した時の喜びとか。

保育料がかかってもいいから、働けることに感謝したいという気持ちとか。

寒くてひもじい時に味わう、1杯のカップラーメンとか。

働いて稼いだお金で、ずっと欲しかったものを買えた時の気持ちとか。

お金と引き換えに、時間や、ものや、喜びを手にいれる。

お金そのものよりも、その先の「体験」が欲しいのだと思う。

お金から得られるもの、お金だけでは得られないもの

お金を稼ぐということは、誰かのそういう「体験」の役に立てたということ。

誰かの役に立てたと感じると、嬉しくなったり、そのことが自信につながる。

誰かの感謝の対価として、賃金が発生し、そのお金でまた、体験をする。

社会貢献をすることは、同時に自分のためになる。

お金はただ、人と人を介するもので。

そこに自分や誰かの「感謝の気持ち」がなければ、意味のないものになってしまうのだと思う。

私は、誰かの役に立ちたいし、その対価としてお金が欲しい。

そして、たとえお金を全て失ったあとでも、そこから何度でも立ち上がれる力が欲しい。

自分でも、誰かの役に立つことができるんだという、自己効力感が欲しい。

「役に立ちたい」という気持ちが裏目に出ると死にたくなる

実家に引きこもって、何もできずに、ただひたすら横になっていた頃、「私はこの社会に必要のない人間だ」と考えていた。

「私なんて、居ても居なくても変わらない」とは思わなかった。

なぜなら、生きているだけで迷惑という悪影響を与えているわけだから、自分がいなくなることは、周囲にとってメリットでしかない。なんの役にも立たない私はいない方がいいし、社会のためにも、今すぐ消えた方がいいと思っていた。

でも不思議なもので、そんなことを考えながら、一方では「私が死んだら、みんなが悲しむ」という気持ちもあって、それがいつも私を、ギリギリのところで踏みとどまらせていた。

一見、矛盾しているようだが、今にして思えば、「周囲への思いやりで死にたくなり、周囲への思いやりで死ぬわけにはいかなくなる。」そんなジレンマを抱えた状態だったのかもしれない。

人の役に立たない自分。迷惑でしかない自分。
裏を返せば、本当は役に立ちたい自分と、本当は迷惑をかけたくない自分がいた。

お金の先にある、本当に欲しいもの

生活が困窮している場合は、お金がないことで、メンタルだけでなく、フィジカルも生死に直結してしまう。

でも、そんな中でお金だけを手に入れても、それを管理する能力や、生活力、経済力がなければ、すぐに泡となって消えてしまうだろう。

「お金が欲しい」と、言う。

得たお金で、具体的にはどういうことをしたいのか、あまり考えずに言っている時もある。

きっと私の場合、

お金を手に入れるための、経済力が欲しい。

経済力を手に入れるための、生活力が欲しい。

生活力を手に入れるための、自己管理力が欲しい。

自己管理力を持てるだけの、余裕が欲しい。


余裕を持てるだけの、心身の健康が欲しい。

人と人とをつなぐもの

いろんなものを得た先に、結果としてお金がある。

先ばかり見ていても、自分の足元がおぼつかなければ、転んでしまう。

じゃあ今、足元を見下ろした時に、何が見えるのか。
この足で今、越えるべきものは、なんなのか。

いくつもの障害を超えていった先に、お金を得る未来があり、
さらにその先に、自分や誰かの「感謝」がある。

お金も、感謝も、同じように人と人をつなぐもの。

それらがなければ、こころも体も、健康ではいられない。

人は独りでは生きていけない。

今の自分に、何ができるのか。
どうすれば、誰かの役に立てるようになるのか。

きっと私は今、人生で何度目かのスタートラインに立った。
そんな私に今、必要なものは。

おやすみなさい。

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