「出て行け!」と玄関前に閉め出されることに慣れてしまって、ある時、親への反骨心でそのまま外で夜までウロつき、両親が慌てたことを思い出した。山でそれをやったのかな
山林で7歳男児不明 しつけとして置き去り 北海道 | NHKニュース https://t.co/DPAz9pJstA
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
警察によりますと、28日午後6時前、この男の子の家族から、七飯町の駒ヶ岳のふもとの山林で、山菜採りをしていて男の子が行方不明になったと警察に通報がありました。28日夜から捜索が続けられていますが男の子は見つかっていません。
その後の警察の調べで、両親が28日午後5時ごろ、男の子へのしつけとして現場付近に車から降ろして置き去りにし、直後に戻ったものの見つけることができなかったと話していることが新たに分かりました。
引用元:山林で7歳男児不明 しつけとして置き去り 北海道 | NHKニュース
昔はよくあることだった
最近、閉め出される子を見かけないね。いいことだ
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
以前は、住宅地のあちこちで、玄関の前で泣きわめく子どもを見かけました。
子どもを懲らしめるために、「玄関に鍵をかけて家から追い出す」放流パターンの他、「蔵に鍵をかけて閉じ込める」など監禁パターンも。
「ごめんなざい、もうじまぜんんんん」と泣いて許しを乞い、それで「これで分かった!?言うこと聞かないと、こうなんだからね!」と脅されて解放される。
時代のせいか、それとも問題になったせいか、最近は周りでそういった話をあまり聞きませんでした。
もしかしたら、このニュースの親子のように、人目につかない方法で似たようなことを行っている親は少なくないのかもしれません。
どうしてこんなことになったのか?
渦中の親に、批判が集まっていることに対して、「小石を人や車に投げつけるような、どうしようもない子どもだから仕方ない」とするような、親を擁護する意見も目にしました。
そもそも、どうして小石を人や車に投げつけるようになってしまったのかが気になるよ…
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
同じ親の立場としては、どうしても経緯や背景が気になります。
警察に「しつけのために置き去りにした」と告げずに、隠していたところから考えると、しつけのためとは言いつつも、本当は良くないことをしているという自覚はあったのでしょうね。
(追記)虚偽の報告をしていた理由に関して、「日常的な虐待を疑われるのが嫌だった」と両親が証言。
同じ手はいつまでも通用しない
家から閉め出される→反骨心で逃走→親焦る→探しに来る→隠れる→親、二度と閉めださなくなる→隣の子が閉めだされるのを目撃→連れ出して逃走をサポート→「あの子と遊んじゃいけません」通告を受ける→隣の子、閉めだされなくなる
わたしは、良いことをしたのか、それとも、悪いことをしたのか
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
ある日突然、子どもが「いつもと違う」行動に出る可能性は十分にあります。子どもが相手といえども、同じことを何度も繰り返していればそのうち慣れ、学習します。
いくらその時は効果的に思えても、同じ手はそう何度も通用しません。
実際のところはまだ分からないですが、この7歳の子が「いつも」こんなことをされていたのではないかと、邪推してしまいます。
(追記。そう思われるのが嫌だからこその虚偽報告だったようですが…のん気だな…)
仮に、この置き去りが初めてだったとしても、性格次第や気分次第、状況次第ではそのまま逃走してしまう可能性があります。親に想像力が足りなかったのか、性格をよく知る親だからこそ、「こんなことにはならないだろう」と甘く見てしまったのか…。
山に置き去りにするのと、玄関前に閉め出すのでは、リスクは桁違いですが、親に反逆した時の自分の状況を思い出してみると、夜遅くまで女子小学生が1人でウロウロしていたわけで、今思えば危険なことをしていたような気がします。
私も、私が巻き込んだ隣の子(※)も、運良く何も無かったからこそ、今こうして書けるわけで…一歩間違えば今回のような事件に発展していたかもしれないと考えると、当時の行動にゾッとします。
※この時は親御さんが異変に気づくのが早く、明るいうちに何事もなく帰りました。
キツイ罰が必要だと感じる理由
母は「私が同じ失敗を繰り返すのは痛い目が足りないからだ」と思ったらしく、しつけと称した「罰」がどんどんエスカレートしていった。私が慣れた様子を見せると、もっと傷つけるようなことを言ったり、やることが過激になった。実は自分がADHD(発達障害の一種)だと知ったのは、つい最近のこと。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
必要なのは、思い通りにコントロールするための「罰」ではなく、「適切な対処」でした。
暴力という安易な方法に逃げることなく、自分の子どもの傾向と対策を知ることが大事なんですよね。
どんな痛みも、そのうち慣れてくる。「躾」として「力」を使ってしまうと、どんどんエスカレートしていくしかなくなる。虐待防止プログラムの講師は「しつけに暴力を使っていけない理由は、とても楽で、とても簡単で、必ずエスカレートしてしまうものだからです」と言った。ねじ伏せることはできない。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
自分の子どもと言えども、別の人格をもった1人の人間であり、親の思い通りにコントロールすることはできません。
暴力を使って、一時的にねじ伏せることはできても、いつか必ず反動がきます。
でも、それを分かってはいるのに…
親になって、その「とても楽で、とても簡単」なことに、つい頼ってしまいたくなる気持ちが、分かるようになってしまった。子どもは基本的に言うことを聞かないし、育児にはかなりの「根気」と「余裕」がいる。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
だからと言って、暴力による虐待を肯定したいわけではなく。虐待について調べれば調べるほど、親も、自分ではどうにもできない、一筋縄ではいかない問題を抱えているのが分かる。なんだろうね。どうしたらいいんだろうね。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
世の中は勧善懲悪でハッピーエンドに終わるほど、シンプルじゃない。
恨み言っぽく書いてしまったけれども、今の私は、当時の親に同情する気持ちも大きくなっていて、なんだか複雑な今日この頃です。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年5月29日
今回のこの事件、親が1番、よくないことをしたのは言うまでもないですが、ヤンチャをする子どもに対して、
「親がちゃんとしてさえいれば、子どもはいい子(=大人にとって都合のいい子)でいるはずだ」という声や
「親なら、ちゃんと躾しろ(≒コントロールしろ)」という声、
「俺たちが子どもの頃は、親たちがもっと厳しく(=ちゃんと)しつけていた」
…という声なども多くあります。
「厳しいしつけ」に対する世間のニーズが存在することも否めません。
しつけとは、コントロールすることではない。
大人にとって都合のいい子どもを作ることでもない。
厳しくすればいいってものでもない。
望もうと望むまいと、子ども(他人)は、自分の思い通りにはならない。
そこに抗っても仕方がなく、「そういうもの」なんだということを、忘れないようにしたいです。今回のこの事件は、最近の自分の態度を見直すきっかけになりました。
なんだか自分の幼少期の体験と重なって、色々と勝手な推測を書いてしまいましたが、ただただ、この子が無事に保護されることを、心から願うばかりです。
追記(2016/6/3 8:50)
行方不明だった少年が、無事発見されたとの速報が。
本当に良かったですね…!
北海道の不明男児を発見 無事(2016年6月3日(金)掲載) – Yahoo!ニュース
追記。関連記事を書きました。
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