志乃作:題「ホットケーキ」
どうも。志乃です。
前回の記事を読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。既に記事へのアクセス数は15,000を超え、たくさんのご意見・ご感想をお寄せいただきました。どれも有難く、大切に拝見させていただきました。
今回はお寄せいただいたご意見や、その後考えたことなどについて、以下にまとめさせていただきます。だいぶ長くなってしまいましたので、お時間のある時に読んでいただけますと幸いです。
- いただいたご意見・ご感想いろいろ+コメント
- 多くの人に知ってほしい。でも、誤解は広めたくない。
- ADHDの人を、一括りには出来ない。でも、共通する悩みもある。
- 「ADHDのことをよく知らなかった人」は、私の記事を読んで、どう思ったのか。
- 「障害」って知っちゃったらやっぱり笑いづらいよね。
- ADHDは「劣っている」、「可哀想な存在」なのだろうか
- カミングアウトすることは、同情、免罪符、特別待遇をされたいという「甘え」なのか?
- 様々なご意見を聞き、さらに考えたこと。「『自分は』どうしたいのか」
- あるある叱責、「反省しろ」。これ以上誰にも、迷惑なんてかけたくない。人と関わるのが怖い。
- それでも分かろうとしてくれる人、好きだと言ってくれる人はいる。
- 多様性を認めてもらいたいのはみんな同じ
- おわりに
いただいたご意見・ご感想いろいろ+コメント
本当にたくさんのご感想をお寄せいただき、全てを追いきれない状況です。発見できた中から、代表的なものを、いくつかご紹介させていただきます。
発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/qGOmQtqKPO
“「子どもの発達障害」への理解は広まってきましたが、「大人の発達障害者」への理解は、今も遅れていると感じます。”
辛い・・・・— せせらぎ塚@発達障害啓発週間 (@tsukaline) 2016年4月5日
それな。大人の発達障害は、相談窓口も少ないんですよね。
発達障害支援センターに通っていると話すと「大人も対象なの!?」と驚かれます。
発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/NdWXzcoVNE
内容に関してはこの深夜に変などつぼにはまりそうだから触れないけど、最後の写真と添えられた一行で泣きそうになった。
— はにわ@かPは主催会改めMAINDISH (@820y) 2016年4月5日
失敗は成功のもと
泣いちゃいました。
言いたいことを代弁していただいた気持ち。ありがとうございます!って言いたい。
失礼かな? https://t.co/UBOTkl7gHu— ma. (@maki4577) 2016年4月6日
周囲に迷惑をかけている分、自己弁護しづらいし、複雑な問題だけに説明が難しいんですよね。この方と同じように、発信したこと自体にたくさんの御礼の言葉を頂き、とても意外でした。ありがとうございます。
「共感した」という声を多く寄せられる一方で、当然ながら「共感できなかった」というご意見もいただき、改めて、感じ方は人それぞれで、それが当たり前なんだということを、再認識させていただきました。
発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/6AqTv1Xwbr
…ステキな記事だなあ。戸惑いや考えること、人はいろいろ。— たけぞー (@signe705) 2016年4月6日
人生いろいろ男もいろいろADHDだって色々咲き乱れるの(主に部屋とか思考とか)
あたりまえだが、ADHDだって人によって性格が違う。現象として同じでも、受ける印象が全然違ってくる。こういう人は好き。ADHDでなくても好き。→発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/OHpDvcvKty
— hirosachiya (@hirosachiya) 2016年4月6日
人格者ではないですし、好き嫌いが別れるタイプです。友人からは「珍味」って言われます(ありがとうございます)。
「ちょっと困ったところもあるけど、そのままのあなたが私は大好きだよ」という寛容さを持つのに「障害の知識」って果たして必要か?と改めて思った。>発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/poNvwZLN1a
— 元ひきこもり、自閉症児のパパになる (@pori313) 2016年4月6日
寛容さを持つためには余裕が必要。苦手なことが分かれば気持ち(感情)も落ち着き、理性的になれるかもしれない。
発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/qdycGqUPrt
すっごいシンパシー感じる。私の場合、笑いを取ることから人間界への道が始まった感、ある。笑いを取ることに味をしめる前はもっぱら人外と付き合ってた。— Cook/リス&ADHD素材ピン留め中 (@CookDrake) 2016年4月5日
ADHDは(悪気はないのに)信頼関係を築くのが困難で、対人トラブルからコミュニケーションに苦手意識を持つケースが多い。
息子のことを見てたらこれは我がことと気づいて暫く。人を笑わせるのに世間話をするでなく自虐ネタを発するあたりはあるあるだな → 発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/diJgpK0E1H
— Masumi@前世は猫。来世もねこ。 (@Mas_Mii) 2016年4月6日
周囲の反感を買わないための処世術として、自虐ネタは使いやすい(ダメな時は本当にダメだけど…)。マウンティング合戦に先手を打ち、争いを避ける効果も。
タルトタタンで一世を風靡された方の記事。
概ねそうだそうだと読んだのですがひとつだけ、「オチの解説」ってそんなに白けるようには感じなかったけどみんなどうなんだろう。
「改めて」書くと白けるなら、先に章題として設けるとか、(続)→ https://t.co/sy6XzZBNEc— 紫嶋桜花 (@as_wwwit) 2016年4月6日
漫画にしてタイトルを解説にするなど、面白く伝えるための工夫の余地はありそうですよね。
精神科医の某Y医師(ADHDっぽい…)が、わかりやすい無料WEB漫画で解説。
教える仕事を長くしていれば発達障害の生徒さんを指導する機会もあります。その行動に瞬間的に頭にくることはありますが、そういう行動をする子だからこそできる限り受け容れたいし認めてあげたいと思いながら下手くそなりにやってきたつもりです。https://t.co/JyFSAoNpLP
— エデュケーター・ラボ 根岸 大輔 (@elab_negi_chang) 2016年4月6日
私も歴代の先生方に相当なご迷惑をかけていたんだろうに、当時の通信簿を見返すと愛のある言葉が並んでいました(そうでない場合も勿論ありましたけどもw)。あたたかく見守って下さる先生方には、本当に頭が下がります。
多くの人に知ってほしい。でも、誤解は広めたくない。
会社に一人みんなから気持ち悪いくらい気を使われている腫れ物扱いの先輩がおる。ふとした時に話を聞いたらゴニョゴニョと「○○とか変な薬飲んでるからかな」と。ピンと来たので「ADHDの薬ですかね」と聞き返したら見たことない笑顔で「知ってるの!?」と。
— やじろー(90kgまで落とす (@streakingpig) 2016年4月6日
先輩曰く腫れ物扱いがキツかったが人事も含め誰も理解してくれなかった、と。初めて知ってる人がいた、と。すごく嬉しい、と涙目で。
— やじろー(90kgまで落とす (@streakingpig) 2016年4月6日
「普通の人」として扱われない辛さ。ADHDのことを知ってくれているだけでも嬉しい。
自分たちの内情をただ知ってほしいだけでは多くの人の興味を引くものではありません。あのタグを一般の人にもなにそれ面白そうと思える形に少し手を加えられたらいけるんじゃないかと思いました。ただそれには様々なハードルがあります。志乃さんが記事で書かれたとおりのことだと思います。
— なないお🍀 (@Nanaio627) 2016年4月6日
面白さのためには犠牲にしなければならないものが沢山ある。「嘲笑」される危険性も。これ以上、自分達のプライドを傷つけられたくない人たちもいる。
私がやろうとしていた多くの関係外の方に読んでもらうには数字が必要。その数字をたたき出すためには志乃さんの書かれたような、不快に思う当事者の方々の気持ちをある程度無視する形でしか私には書けないと思っていました。
— なないお🍀 (@Nanaio627) 2016年4月6日
志乃さんの記事で、仮にもし数字が取れる記事を書いたとしても、もう一つの目的である「周りの困ってそうな人」に対して考える機会になる人と、不快に思う人、どっちが多いのだろうと考えさせられました。この場合、1:1では話にならない。3:1以上でないと書く意味はない。
— なないお🍀 (@Nanaio627) 2016年4月6日
啓発活動で認知を広める過程で、「誤解」と「不快感」の方が多く広まったら意味がない。
あとは笑いと屈辱の境目、共感で笑えることの意味、そのあたりをどう考えるかの決着が私の中でついていませんでした。その答えを志乃さんの記事でなんとなく教えてもらったような気がしました。結局、私の今の表現力では手が出ない。書くことは出来てもどっちつかずで結果は出せない。
— なないお🍀 (@Nanaio627) 2016年4月6日
キャッチーさか、正確さか。勢いか、慎重さか。
「キャッチーさ」や「分かりやすさ」が数字を取る(多くの人に見てもらえる)カギで、それらのためには犠牲にしないといけないものもある。キャッチーさのためにはインパクトを。インパクトのためには極端さを。極端さのためには正確さを犠牲にすることになる。正確さを失えば偏見が生まれる。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月6日
そう、そこのバランスをとる自信がない。うまい人なら出来るんだろうけど。
— なないお🍀 (@Nanaio627) 2016年4月6日
みんな、あのタグを見た人達に「自分たちのことをよく知ってほしい」けど、バカにされて笑われたいわけじゃない。あるあるネタとすることで「開き直ったような印象」になる可能性もあり、各自「そうならないようにしている日々の努力」を否定されたくない。
ADHDの人を、一括りには出来ない。でも、共通する悩みもある。
それでも強引に、ADHDを一口でものすごーーく分かりやすく言うと「うっかりさん症候群」。同じうっかりさんでも、うっかり度合いが違かったり、得意不得意があったり、別の種類の発達障害も同時に併発していたり、与えられてきた環境が違かったりと、性格や考え方も異なる。楽観的な人もいるし、悲観的な人もいる。ただ、発達障害をめぐる時代背景や、他人のミスを許さず完璧を求められがちな現代社会において、「うっかりミスはただの努力不足によるもの」と見なされ、信頼関係を築きにくく孤立しがちになってしまうなど、共通する悩みも多くある。
だから私にできることと言ったら、いち事例として自分の話を「なるべく分かりやすく」「なるべく面白く」「なるべく正確に」「なるべく誰も傷つけずに」「なるべく興味をもってもらえるように」書くしかないと思った
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月6日
ADHDを一括りにすると誤解が生じ、傷つく人が出てしまう。「自分”たち”のことを知って欲しい」ではなく一人ひとりが「”自分のこと”を知ってほしい」と、知ってほしい大事な人たちに伝え続けるアプローチの仕方になる。
ただそのためには、結構な勇気が必要。特に私、母親ですし。炎上も覚悟しないといけない。実生活や、子どもへの悪影響もあるかもしれない。今回の記事に書いたことは、私がずっと考えていて、ずっと書きたかったことなんだけど、同時に書けなかったことでもある。自分のことを話すだけなのにそんな有様
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2016年4月6日
ありのままの自分を否定され続けて育った人間は、自分のことを話したら激しく批判されると思っていたりします。
でもやっぱり、そんなのおかしいと思うので、「こりゃいい機会だ」と思い、軽率にのっかってみたわけですが、現時点で、思った以上にポジティブな反響が寄せられていて、今すごく安心していますwwwフィ~wwwwありのままの自分や、自分の気持ちを話すことに、心理的な抵抗がなくなればいいですね
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2016年4月6日
アナと雪の女王があんなに流行りましたし、発達障害関係なく、本当はそうしたいのにできない人が多いのでは。自己開示をしていく中で、当然ですが、批判0%、好意的な解釈100%というわけにはいきませんので、伝え方には十分な配慮が必要になる。受け手の感じ方は人それぞれ自由であり、価値観をどうにかする権利はありませんが、「伝え方の問題による誤解」を減らす工夫と努力は大事。
その難しさが分かっているからこそ、多くの人は口をつぐんでしまう。
「ADHDのことをよく知らなかった人」は、私の記事を読んで、どう思ったのか。
自分もそそっかしくて物が覚えられなくて人の話理解するのに時間がかかって落ち着きもなくうっかりミスがやたら多くて情けなくなって死にたくなるんだけど、もしかして志乃さんと同じなのかな…って気がだいぶ前からしてる。どこに行けば診断してもらえるのかな。
— ブウ (@Marucco1126) 2016年4月5日
読んでてすごく合点が行くことばかり。
そっか、だから自分では普通にしてたつもりでも人から疎まれたり嫌われたりしてたのかなって…でもそうだと思いたいだけなのかな…— ブウ (@Marucco1126) 2016年4月5日
「私もそうなのかも…」と、自覚を促された人が多くいた様子です。
私も、うつ病にかかった時、ADHDを疑った時、そんなふうに感じました。ダメな自分への言い訳として使いたいだけなんじゃないか、甘えたいだけなんじゃいかと。全ては、知って、疑って、調べることで始まります。ADHDの診断を受けて感じることは本当に人それぞれですが、自分のことを知り、傾向と対策を考えるために、専門家の助けを借りることに遠慮はいらないと思います。まずは下のサイトをご覧になってみてください。
@hippopo_tamu_s ねー。自覚を持って、無理をしないようにするのも大事。
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2016年4月6日
発達障害と分かったら、その時点で市役所の障害福祉課などに相談し、障害者地域生活支援センターなどのケースワーカーをつけてもらうことをお勧めします。大体どこの自治体にも障害者の生活相談に応じてくれるNPO法人は存在しますのでそこに登録しておくと、後々便利なことが多いです。
— 発達障害者の背中を支える妹bot (@isam3lbot) 2016年4月5日
鈴城さんは学生時代にハンディキャップを持ったクラスメイトと接する機会があり、その方が周囲から笑われている様を見て、心を傷めた経験があるそうです。その時に周囲と一緒になって笑わなかったのは、彼が「障害者だから」「気を使って」笑わなかったのではなくて、単に「自分には面白いと感じなかったから」笑わなかったんだということに気づいたんだそう。
興味をもち、考えてくれる人が増えることで少しずつ認知が広まっていく。
「障害」って知っちゃったらやっぱり笑いづらいよね。
一方で、「…なんか良くわかんないけど志乃さんイジると面白いしとりあえず煽って遊んどこwwwww焦wげwてwるwwww」なノリの人も多くいるのが、私のフォロワーです。納豆まみれになればいいのに。(いつもありがとうございます)
発達障害にしてもなんにしても、本人が笑わないで!て言われたらそうかごめんね、てなるけど笑い話として本人が話してるようなら面白かったら笑ってしまうなあ。大事なポイントは「本人が」なのだけれど。
— 200 (@niou200) 2016年4月7日
そう。キャラ、距離感、信頼度によると思います。笑いをとりたがるのは、ただの私の趣味なので、積極的に笑い話にしていくべきだぜ!みんなネタにして明るく楽しくポジティブに生きてこうぜHAHAHAHAHA…ってことを言うつもりは全くないです。
私自身は障害の有無に関わらず「誰か」を笑う事にはためらいがあって、財布を忘れるという「現象」は気兼ねなく笑えるけれど「ADHDだから財布を忘れて」って言われた瞬間、その人を笑って(嗤って)しまうことになるのを恐れて笑いづらい、という気がする。
— ぼのきち (@bono_kichi) 2016年4月7日
それは多分、相手がどうとかではなく自分自身の無神経さへの恐れかなあ
— ぼのきち (@bono_kichi) 2016年4月7日
単に慎重で、優しいんだと思うなあ
ADHDは「劣っている」、「可哀想な存在」なのだろうか
発達障害というラベルが、ぺたりと私に貼られる前も今も、何も変わらず、わたしはわたしなのに、ラベルが貼られた途端、周囲の見る目が変わる。それが同情によるやさしい配慮だったとしても、それが偏見であり、差別なのかなとも思う。途端に「可哀想な人」になってしまう。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月6日
私は私を可哀想だと思っていないのに、同情されて気を遣われることの違和感。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月7日
発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/5xHhmDgFZJ
この方は自身からの発信がとてもわかりやすいから、すごく頭がいい方なんだなぁといつも思う。— 吐露 (@kotokihara) 2016年4月6日
自慢になってしまうので、公表していなかったのですが、IQは平均よりも高いです。
ええ、IQは平均よりも高いんですわたし。
大事なことなので2回言いました(言っちゃった★テフー)。
I
★
Q
★
は
★
平…
はい、やめますごめんなさい。
失敗が多いADHDは、定型の方よりも能力が劣っていると思われがちですが、IQは平均より高かかったり、そうではなくても感性が豊かだったり、短所を補うための長所が大きく発達したりと、凸凹はしているものの、環境次第では、得意分野で定型の方よりも活躍していたりします。漫画家さんはADHDが多いと言う精神科医もいます。本人も気づいてないところで、能力のパラメーター配分が「バランス型」でなく「特化型」のタイプが多いのかもしれません。私の場合は、「お母さんに自分の気持ちを伝えたい」のと「笑わせたい」という気持ちが大きかったのとで、言葉や絵にして説明する能力が、成長過程で鍛えられた可能性があります。あんだけアピールしておいて何ですが、IQが平均よりもちょっと高いくらいでは生活の中であまり役立つこともなく、自慢できることでもないんですが、IQテストの診断結果から、欠点を補うために長所が発達したことが、ハッキリと数値で分かった時、これまでの努力が無駄ではなかったんだと、とても嬉しくなりました。誰だって好きなことや、得意分野はあるはずで、その分野で頑張れれば、卑屈になる必要なんてないのかもしれない。
問題は、それが可能な恵まれた環境にいない人が、とても多いということです。
カミングアウトすることは、同情、免罪符、特別待遇をされたいという「甘え」なのか?
昔、乙武さんがネットで支持を集めてブイブイ言わせていたころの雰囲気が苦手だった。彼の言うことに疑問を抱いても「障害者だから」批判ができないし、文句を言おうものなら大勢の支持者からバッシングを受ける。彼自身もその力を理解している様子だったし、ずっとやり方に疑問を持っていた。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月6日
心ない批判に対して、軽妙なジョークでやり返す乙武さんは、当時大きな支持を集めました。一方で、彼に関するツイートは有志により常に監視され、支持者や乙武さん本人からの吊し上げを避けるため、彼に対して何か発言をする際は「乙●さん」とするなど検索避けが必要でした。乙武さんの正当防衛が、(意図したものかは分からないが)言論統制のような状況を作ってしまっていました。
※ちなみに私も以前、試しにそのやり方を一度真似してみたことがありますが、収まるどころか根に持たれ、ネットで悪評をバラまかれ続けるなんてことになりましたので、防衛手段としてもあまりオススメしません。(吊るし上げた人、あの時はごめんね…)
だから奇しくも「障害うんぬん置いといて人としてどうなのよ」と言える雰囲気になったのは、障害という垣根をこえて、同等に扱われるようになったことを意味していて、「障害者バリア」という免罪符はつかえなくなったとしても、喜ばしいことなのかもしれないと思う。「云々置いといて」ってすごい。
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2016年4月6日
ただ、発達障害支援センターの方にいつも言われるのは「みんながみんな、今の志乃さんみたいに前向きに考えられる状況じゃない。」っていうことで。それは本当にそうだと思う。話を聞くと、いかに自分が恵まれているのかが分かる。家族に理解されずに、辛い思いをしている沢山の人がいる。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月6日
配偶者が理解のあるタイプでも、難しい部分がたくさんあります。私も口には出していませんが、「妻・母親失格だ、離婚届を残して蒸発した方が家族のためでは」と、毎月2~3回ほど本気で考えます。パートナーが理解のないタイプだったとしたら……考えただけで恐ろしい。
わたしの今回の記事に対する感想も、本当に様々で。「発達障害者だから」という免罪符や、特別待遇が必要な人、環境、時期もあって。ハンデのある人も生きやすい、差別のない社会って、どういう社会なのかなって、今考えているところ。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月6日
@shinoegg 僕は発達障害は「個性」として認識してますよ。隠し通すこともできるし、告知することもできる。告知は、勇気もいるし、一方で甘えもある。隠すのは、自分に負担をかけるけどプライドを貫きたいという決意がいる。
なんだ、発達障害かとかぐらいで思われる時代がいいのかと思う。— アリソン (@arisonjp) 2016年4月6日
@arisonjp わたしも「なんだ、発達障害か、じゃあこの作業は苦手だろうから、こっちをやってくれ」みたいな扱い方をされるのが理想なのかなあと思っています。支援が必要な方もいるので、甘えという表現が適切かどうかは分かりませんが…
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2016年4月6日
@shinoegg 程度の差はあると思います。自立できる人、支援が必要な人。個性なんだから差はあると思います。一くくりにできないですね。
職場に適材適所に割り当てる管理者がいると発達障害とか関係なく、みんなが楽しく働けると思います。
世間の管理者は、万能な人を求めすぎ(笑)— アリソン (@arisonjp) 2016年4月6日
@shinoegg こっち(動く側)は何でもやるように努力してるんだから、管理者側も、組織と個人の成長に最適な活動場所を用意すべきだと。
管理者側が都合よく空いたところに配置するのは管理者側の怠慢だと思う。— アリソン (@arisonjp) 2016年4月6日
個人が社会に適応すべきか、社会が個人の多様性に適応すべきか、もちろん二択ではないけれど、確かに難しい問題 / “発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) – ひびわれたまご♥ADHD…” https://t.co/3L8dIrP7lP
— しかはん (@shikahan) 2016年4月6日
様々なご意見を聞き、さらに考えたこと。「『自分は』どうしたいのか」
私も自分が何をしたいのか、よく分からないので、「ジレンマ」という表現にしました。「笑いを取りたい、楽しませたい」その目的のためには、自分がADHDだということは隠した方がいい。でも、私がADHDに生まれたことは悪いことではないし、私は私なのに、隠さないといけないのが納得いかない。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月7日
@shinoegg なんかいろいろ考えちゃいますね。隠さなくて全然良いのだと思います。多分私は気は遣います。もしかしてすごく困ってるんじゃないかと思うから。でもその発言をきっかけに、その困り具合とか本人の受容の仕方が理解できれば、こっちも力が抜けてくるのかなと。
— ぼのきち (@bono_kichi) 2016年4月7日
各自が自分のために生きることは、本当に”自分だけ”のため?
「私はADHDです」とカミングアウトした時、ADHDのお子さんを持つお母さんに「うちの子があなたみたいな人と一緒にされると困る」と抗議されたことが、私の中でずっと引っかかっている。みんな一緒じゃないよ、って言う責任があると思った。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月7日
ADHDだから同じだというのは激しく違和感。
ADHDであるだけで、人は当たり前にみんな違う。
うちには3人ADHDが居るけど、全く違う3人。— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年4月7日
@shinoegg @fumikichi2525 初めまして。アスペルガー51歳男性です。一般ピープルも色んな方がいる様に高機能発達障害者といっても人それぞれです。ネットや入門書みたいのを数冊読んだからといって分かる分けありません。成功者以外のカミングアウトは慎重にと思います。
— 普通ではない人 (@BillfishIs) 2016年4月7日
理解してもらうために、一人一人が声を上げるべきか。誤解を生まないために、一人一人が黙っているべきか。声を上げるにしても、それぞれに慎重さが必要になってくる。
でもじゃあ、成功者の定義って?
結婚したら?
子どもを産んだら?
人望のある人気者になったら?
異性にモテモテになったら?
夢を叶えたら?
社会的地位を手に入れたら?
お金持ちになったら?
それら全てを手にしていた乙武さんが、世間から大バッシングを受けているのに?
「乙武さんと一緒にされたくない」と声を上げる障害者が、昔も今もずっと、後を絶たないのに?
私達は、いつになったら、胸をはることを許されるんでしょうか。
「一緒くたにしてしまう愚かな一般人」の存在が、すべての障害者の胸の中から消え去る日を待つしかないんでしょうか。わたしはそうは思いません。
カミングアウトするからには、代表しても恥ずかしくない理想的な人間でないといけないなんて、それ、わたしに求めたことと同じことを将来お子さんに求めることになるよ、それでいいの?
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月7日
障害者は人格者であり、成功者でないといけないのだろうか。
でもさ、同じ親として、自分の子の立場が悪くなるような振る舞いを、発言力や影響力のある人(自覚はなかったが私はそう見なされるらしい)にされることの恐怖はわかって。頼むから黙って大人しくしててくれって思うんだろうな。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月7日
私が私らしく、私の考えを述べたり、好きに活動したりすることで、困る人がいる。だったらその影響力とやらを使って(あるのか?)少しでも理解が広まるようなことをしようと思う。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月7日
お子さんの未来が少しでも明るくなるように、私は私にできることを頑張りますので、どうか見逃してくださいお願いしますごめんなさい顔はやめてボディにしな(三原じゅんこ)
あるある叱責、「反省しろ」。これ以上誰にも、迷惑なんてかけたくない。人と関わるのが怖い。
ADHDは人よりも迷惑をかけることが多いけど、麻痺なんてしないんですよ。毎回申し訳ないし、毎回自己嫌悪するんです。これ以上、誰にも迷惑かけたくないという思いが強い人が多いんじゃないのかな。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月7日
なんだ俺のことかRT
— キリノ@静かなる参謀 (@feat34buby) 2016年4月7日
まさに。麻痺なんてしない。こんな自分嫌だし、変わりたいのに変われない。でも気づくと、何故かそうなっちゃう。だから、自己肯定感が異様に低くなるときが今でもよくあります。 https://t.co/9IhSLHN8zl
— にゃんきち (@enjoyadhdlife) 2016年4月7日
ほんとこれです。毎回毎回一挙一動、失敗しないか相手を不快にさせないか気が気じゃないんです。そして注意される度申し訳なくて悔しくて自己嫌悪に陥るんです。感情はちゃんと生きていて、寧ろ定型の人達より敏感な人が多いんじゃないだろうか。
>rt— 美羽 (@miumind8) 2016年4月7日
ウワアアアアアアほんまこれなんです。迷惑かけるの怖すぎて友達作る元気出ません。言い訳だけどね。
— たちばな (@tachibana42) 2016年4月7日
誰かに迷惑をかけるたび、同じミスを繰り返す度に、関係各所に土下座をして回り、遠方の人には謝罪の手紙を書き、樹海への片道キップを握りしめて、いっそこのまま生命の旅に出てしまおうかという気分になります。
周囲に迷惑をかけて、責められて、誰よりも自分自身が許せなくて、反省しないわけがないんですよ。それでも同じことを繰り返してしまうから、「反省していない」し、「反省を生かす気がない」と見なされてしまう。簡単に、当たり前にできる人ほど、「気をつければ防げるはずだ、それができないのは気をつけていないし、反省していないからだ」と思ってしまうんでしょうか。
失敗を笑いに変えて生きてきた私だって、さすがにTPOはわきまえますし、迷惑をかけた張本人の前でヘラヘラ話したりはしないです。「反省しているように見てもらえない」「誤解されてしまう」というのは、ADHDの苦労あるあるかもしれないですね。誤解を避けるための工夫は、人よりも必要なのかもしれません。
迷惑ってのは誰だってかけるしかけられるものだと思うんですよ。でも、それと同じくらいその人の活躍できる場ってあると思うんですよ。
— 鈴城 (@evoluy515) 2016年4月7日
程度にもよると思うんですよね。ミスの頻度がどうしても多いので、相手に寛容さを求めるのも、なかなか難しい現状がある。社会の中で迷惑をかけないための努力は、最大限続けていく必要がある。ADHDとして生まれてしまった以上、それはもう避けられないんですよね。
それでも分かろうとしてくれる人、好きだと言ってくれる人はいる。
https://twitter.com/hirosachiya/status/717694407214891008
自分では大嫌いな「ADHDらしさ」を認めてくれ、好きだと言ってくれる人もいる。
ADHDは遺伝性のものかもしれないと知った時、もし娘に遺伝していたらどうしようと悩みに悩んで、思い詰めた末にそのことを旦那に謝ったら、
「俺みたいな旦那さん見つければいいんじゃないの?」
と、けろっとした顔で言われて、本当にこの人と結婚して良かったなあと思いました。— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年4月7日
同じマイノリティとして、ゲイの方がブログ記事を書いてくださいました
人が異質なもの、自分とは異なるものを受け入れるには二つの段階があって、だから人に受け入れてもらおうと思うなら、その二つそれぞれに働きかけるアクションが必要だ、というのは私の尊敬するゲイ友の談です。
二つのアクションの一方は「理解化アクション」、もう一方は「LOVE化アクション」と言います(これもそのゲイ友考案)
前述の錠前さんのブログ記事より引用
詳しくは錠前さんの記事をご覧ください。素晴らしい記事です。
多様性を認めてもらいたいのはみんな同じ
発達障害だとカミングアウトしたサザエさんを笑えるか問題(ADHD当事者として思うこと) https://t.co/79lx9AdAHQ
定型だって同じことなんだよ。みんな同じことなの
— こい (@koy__) 2016年4月6日
「定型」というのは、発達障害ではない人たちのこと。「健常者」ではなく、もっぱらこういう言い方をします。完璧な人間なんていないので、発達障害にかぎった話ではないんですよね。それが難しい世の中ではありますが…
世界に1つだけの花とか、レリゴーが大流行したわけだし、日本人は本当はそんな、多様性を尊重される世の中を望んでいるんじゃないのと思うんだけど、ヒットしたってことは同時に、実際はそうじゃないってことなんだろうね
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2015年12月17日
ブログでも何度も書いていることではあるんだけど、「多様性を認められるようになる」っていうのが、自分の課題のひとつ。人格の良し悪しのジャッジは主観で決まるし、「見方」次第で人の印象は変わる。正しいことなんて何もない。正義感はもっとも人を凶暴に、横暴にする。
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2015年7月3日
前にも書いたけど「多様性を認められないなんて、おかしいと思います!!」って言いながらそういう多様性が認められない人になる
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2015年12月19日
自分を認められない人は、他人を認めることもできないというのが、持論です。
「放っておく」という選択肢もあるのに、自分の価値観の正当性を確かめるために、攻撃をしてしまったりする。それらはたぶん、自信がないから。
他人はおろか、自分自身の多様性を認めることすら、本当に難しい。
多様性を認めるということは、自分の人間性を否定する人のことも認めるということで、なかなかに修羅の道。「色んな人がいて、みんな違って、みんないい。」その境地に達するには、まだまだ修行が足りないもよう。
— 志乃❤︎お仕事募集中 (@shinoegg) 2015年9月20日
まだまだですが、わたしも頑張ります。
最後になりましたが、ご意見をお寄せくださった皆さん、この度は本当にありがとうございました。
おわりに
ADHD当事者ママにオススメな本を教えていただきました
情報提供、ありがとうございました。
無料WEB漫画で解説しているオススメサイト紹介
私が最初に自覚を促されたサイトです。
「ブラックジャックによろしく」の作者さんが、4つのケースについて漫画で解説しています。
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コメント
「障害者だから笑ってはいけない」と言うのは、結構見えにくいし、自覚しにくいけれども、明らかに差別なんですよね。