引きこもり時代に人から言われて、心に響いた言葉。「助けてって言いなさい。勝手に遠慮して諦める前に言いなさい。今は、助けたくても、お節介が焼き辛い時代なの。伸ばされた手は取れるけど、手を伸ばしてくれないと掴めない。必ず掴んでくれる人はいるから、信頼できる人を探す努力をしなさい。」
— 志乃☆ストリエ連載中 (@shinoegg) 2015, 8月 2
@Kapydijke 引きこもり脱出までには色んなことがありましたし、この言葉1つで心境や環境が、劇的に変わったというわけではないです。要約したもので、このままの口調だったわけでもないです。
— 志乃☆ストリエ連載中 (@shinoegg) August 5, 2015
@Kapydijke 言うは易し行うは難しで、それができずに苦しんでいるけれど、人は1人では生きていけませんし、助けたいと思っている人も必ずいるから、傷つくのは嫌だろうけど、誰かと信頼関係を結ぶことを諦めるなというメッセージだと私は受け取りました。実際、旦那と出会い、今に至ります
— 志乃☆ストリエ連載中 (@shinoegg) 2015, 8月 5
このツイートに「でも私の時は誰も助けてくれなかった」と絶望のコメントが多数寄せられてるんですが、私が一番大事だと思うのは最後の一文で「信用できる人を見極める」ってとこなんですよ。信用しちゃいけない人に期待して痛い目みるってよくあるhttps://t.co/5Vw2nuK5b8
— 志乃@大したことないよ (@shinoegg) 2015年8月9日
「引きこもりの心理がわかってないのでは」とか「偽善」とか「綺麗事だ」とか、かつての私も間違いなくそう思ったと思うし、個々人の感想を否定するつもりもないけど、人は独りでは生きていけない以上、綺麗事を自分の人生に取り入れるのが一番だと思うのよ…
— 志乃@大したことないよ (@shinoegg) 2015年8月9日
他人への絶望が深ければ深いほど、あのツイートの言葉が受け入れられないだろうなと思う
— 志乃 (@shinoegg) August 9, 2015
毒親に苦しめられてきた人ほど、信用していい人の見極め方が下手だと思う。 「悪い見本」しか知らなくて、それが当たり前になってたり、不当な扱いをされても、自分には妥当だと思ってしまったり。家庭以外の場所で、大人になるまでに、どれだけ良い見本に触れることができるか。
— 志乃 (@shinoegg) August 9, 2015
育児を始めてから、親側の苦悩も知るようになって、なんだか複雑。虐待防止プログラムの講師によると「どの親も必死である」そう。だからといって深い傷を与えていいことにはならず。苦しむ親子が減ればいいなあ…としか言えなくて。綺麗事でもなんでも、救いがあればいいなあと思う。
— 志乃 (@shinoegg) August 9, 2015
コメント
はじめまして。私も「助けて」と発信することが大切だと思い、ブログをしたり書き込んだりしています。結果として「どうなった?」というとなにもないのですが、外に声をどんな形でもいいから出すことで、救われる部分もあると思っています。