「時間は誰に対しても平等だ。」
「時間は巻き戻せない。」
「時間を有効に使えるかどうかで、人生が決まる。」
「人生の貴重な時間を、無駄にするな。」
「明日どうなってもいいように、後悔のない時間の使い方をしろ。」
わたしがこれらの言葉に抱えている違和感について、まとめます。
「人生を無駄にしないため」に生きてるの?
「人生は一度きり。時間を無駄にするな」と、よくいうけども。「人生を無駄にしないため」ではなく、「幸せになるために生きている」ので、私にとっては「無駄こそ幸せ」なのです。ダラダラするには、色んなものが必要で、本当に贅沢な時間なのです。
— 望月志乃|ひびわれたまご (@shinoegg) August 25, 2019
そもそも、人生は一度きりなのかどうかすら、本当のところは分からないし。
「時間を無駄にしないため」に生きているわけじゃないし。
わたしは、「幸せになるため」に生きている。
「時間を無駄にする」ってどういうこと?
わたしは一度、人生を自分の手で終わらせようと、本気で思ったことがあって、そこからUターンしたので、「もしあそこで終わらせていたら」と思えば、今ある人生の全てが(あの時点から見れば)プラスでしかない。生きようと思った時点で、「人生の時間」は、無駄になりようがないんだよね。
— 望月志乃|ひびわれたまご (@shinoegg) August 25, 2019
「考えてる時間が無駄」も、よくわからない。
よく「失敗した。時間を無駄にした!」と言う人がいるが、「失敗は成功のもと」なのに、不思議なことを言うのだなあ、と思う。
意識を失い、死を迎える瞬間まで、私たちは生きて「考え続ける」。
生きるということはきっと、思考するということ。
悩んだり、他人を思ったり、何かに感動したり、誰かと笑ったりするということ。
それら全てに意味があり、未来につながっていくのに、「考えても無駄」ってどういうこと?
「時間を無駄にしないこと」が“あなたの幸せ”なの?
「効率的、計画的に人生設計し、限りある人生の時間を、充実させたい。」
そう願う人が多いから、こういう「人生は有限だ、時間を無駄にするな。」というような、要約すると「もっと焦りと危機感を持って生きろ!」という言説が、多くの日本人に支持されるのかなあと思う。
南国でのんびりした生活を送る自由人に「もっともっと働いてお金を稼げば、いい暮らしができるぞ!」とけしかけて、「いい暮らしとは、どんなものだい?」と問われ、それに対して、「あくせく働く必要もなくなり、南国でのんびりした生活ができるようになるぞ!」と答えたという、有名なジョークがある。
時間を無駄にする(=ダラダラ過ごす?)のが問題なのではなく、
時間を有効活用した先に、自分がどういう暮らしを求めるかが大切なんじゃないの?
寝れば寝るほど「人生の貴重な時間が減る」?
人間は、人生の3分の1を睡眠時間に費やすという。
「意識のある時間」を、有効活用するほど良い人生になるのなら、寝れば寝るほど損をするということになるが、睡眠時間が多い人ほど「幸福感を得られやすい」し「長生きできる」という現実もある。
なんだか、「起きている間は、焦りと危機感を持って生きろ。」って、おかしな話じゃない?
早逝してしまった人だって、人生を無駄にしたわけじゃない
「時間は、人生でもっとも貴重なものだ」とはいうけども。
生きている時間の長さで、その人の人生の価値が決まるわけではない。
生きている間、誰かに影響を与えたものが、世界のどこかで波紋のように広がり、何かの形で残っていく。
人生というのは、自分自身だけで完結しているものではない。
「明日死んでもいいように、後悔のないように生きろ」も、ナンセンスだ。
不慮の事故で亡くなったとしても、その人の人生は、色んな形で生かされていく。
ただ生きているだけで、そこに意味は生まれていく。
「人生を無駄にしている」と焦り、傷つく人がいる
「時間を無駄にするな」とか「しっかり生きろ」的な話は、引きこもりだったり、うつ病患者の気持ちを、深く傷つける。別に、好きなことしていればいいよ。何もしていなくなって、生きている限り、良くも悪くもどこかで誰かに影響を与え続けている。消費で誰かを救うこともある。
— 望月志乃|ひびわれたまご (@shinoegg) August 25, 2019
生きるために、ご飯を食べる。
そのご飯は、どこかで誰かが生産したものだ。
生産者にお金を払うことで、私たちは生きている。
家賃だってそう。
生きているだけで、私たちは消費者だ。
たとえ生産者になれなくたって、消費だけだって、生きているだけで、どこかで誰かの役に立っている。
ただ生きているだけで、どこかの誰かの役に立つ。
どんな時に「幸せ」を感じるかが大切
わたしは、旦那と娘と、2匹の猫と、何をするでもなく、ボーーーッと過ごす時間が好き。
何度も読んだ本を、(内容が分かっていても)読み返したりもする。
そういう時間を作り出すためには、お金や労力が必要で、とても贅沢な時間のように思う。
「ああ、またダラダラ過ごしてしまった…!」と考える人と、
「ああ、ダラダラ最高…!」と考える人では、
同じ時間の使い方でも、後者の方が、圧倒的に幸せそうなんじゃないかなあと思う。
幸せを感じて生きろ
そのための消費は、絶対に無駄にはならない。
ただし、「浪費」に罪悪感をおぼえたり、それによって不幸になるようなら、より幸せを感じられる方向に、少しずつシフトしていけばいい。
幸せになることを目指して生きている限り、無駄な時間なんてないよ。
私はそう思う。
では、また。
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