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「時間を無駄にするな」に対する違和感と反論

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「時間は誰に対しても平等だ。」
「時間は巻き戻せない。」
「時間を有効に使えるかどうかで、人生が決まる。」
「人生の貴重な時間を、無駄にするな。」
「明日どうなってもいいように、後悔のない時間の使い方をしろ。」

わたしがこれらの言葉に抱えている違和感について、まとめます。

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「人生を無駄にしないため」に生きてるの?

そもそも、人生は一度きりなのかどうかすら、本当のところは分からないし。
「時間を無駄にしないため」に生きているわけじゃないし。

わたしは、「幸せになるため」に生きている。

「時間を無駄にする」ってどういうこと?

生きてるだけでまるもうけ図

「考えてる時間が無駄」も、よくわからない。

よく「失敗した。時間を無駄にした!」と言う人がいるが、「失敗は成功のもと」なのに、不思議なことを言うのだなあ、と思う。

意識を失い、死を迎える瞬間まで、私たちは生きて「考え続ける」。

生きるということはきっと、思考するということ。
悩んだり、他人を思ったり、何かに感動したり、誰かと笑ったりするということ。

それら全てに意味があり、未来につながっていくのに、「考えても無駄」ってどういうこと?

「時間を無駄にしないこと」が“あなたの幸せ”なの?

「効率的、計画的に人生設計し、限りある人生の時間を、充実させたい。」

そう願う人が多いから、こういう「人生は有限だ、時間を無駄にするな。」というような、要約すると「もっと焦りと危機感を持って生きろ!」という言説が、多くの日本人に支持されるのかなあと思う。

南国でのんびりした生活を送る自由人に「もっともっと働いてお金を稼げば、いい暮らしができるぞ!」とけしかけて、「いい暮らしとは、どんなものだい?」と問われ、それに対して、「あくせく働く必要もなくなり、南国でのんびりした生活ができるようになるぞ!」と答えたという、有名なジョークがある。

時間を無駄にする(=ダラダラ過ごす?)のが問題なのではなく、
時間を有効活用した先に、自分がどういう暮らしを求めるかが大切なんじゃないの?

寝れば寝るほど「人生の貴重な時間が減る」?

人間は、人生の3分の1を睡眠時間に費やすという。

「意識のある時間」を、有効活用するほど良い人生になるのなら、寝れば寝るほど損をするということになるが、睡眠時間が多い人ほど「幸福感を得られやすい」し「長生きできる」という現実もある。

なんだか、「起きている間は、焦りと危機感を持って生きろ。」って、おかしな話じゃない?

早逝してしまった人だって、人生を無駄にしたわけじゃない

「時間は、人生でもっとも貴重なものだ」とはいうけども。
生きている時間の長さで、その人の人生の価値が決まるわけではない。

生きている間、誰かに影響を与えたものが、世界のどこかで波紋のように広がり、何かの形で残っていく。
人生というのは、自分自身だけで完結しているものではない。

「明日死んでもいいように、後悔のないように生きろ」も、ナンセンスだ。
不慮の事故で亡くなったとしても、その人の人生は、色んな形で生かされていく。

ただ生きているだけで、そこに意味は生まれていく。

「人生を無駄にしている」と焦り、傷つく人がいる


生きるために、ご飯を食べる。
そのご飯は、どこかで誰かが生産したものだ。
生産者にお金を払うことで、私たちは生きている。

家賃だってそう。
生きているだけで、私たちは消費者だ。
たとえ生産者になれなくたって、消費だけだって、生きているだけで、どこかで誰かの役に立っている。

ただ生きているだけで、どこかの誰かの役に立つ。

どんな時に「幸せ」を感じるかが大切

わたしは、旦那と娘と、2匹の猫と、何をするでもなく、ボーーーッと過ごす時間が好き。
何度も読んだ本を、(内容が分かっていても)読み返したりもする。

そういう時間を作り出すためには、お金や労力が必要で、とても贅沢な時間のように思う。

「ああ、またダラダラ過ごしてしまった…!」と考える人と、
「ああ、ダラダラ最高…!」と考える人では、
同じ時間の使い方でも、後者の方が、圧倒的に幸せそうなんじゃないかなあと思う。

幸せを感じて生きろ

そのための消費は、絶対に無駄にはならない。

ただし、「浪費」に罪悪感をおぼえたり、それによって不幸になるようなら、より幸せを感じられる方向に、少しずつシフトしていけばいい。

幸せになることを目指して生きている限り、無駄な時間なんてないよ。
私はそう思う。

では、また。

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