お盆のこの時期はどうしても、トラウマがフラッシュバックしてしまう。
これから語られる内容を読み、連鎖反応で辛い思い出が蘇る可能性のある方は、この先の閲覧には十分注意して頂きたい。
“多様性を認め合う”ことの限界点
わたしは発達障害者だけれども、「多様性を認め合う」ということは、
パーソナリティ障害による生きづらさを抱えた人たちのことも、個性として受け容れるべきなんだろうかということを、母のことを思い出すたびに考える。
一方で、多様性を認め合うということは、全て許容するということではなくて、適切な距離を保ち、お互いの人権を侵害しないことだとも思う。
私は、母を認めるべきなのだろうか。
いや、どの文献を読んでも「距離を置け」という最適解が示されている。
なぜ、何度も痛い目に遭わされても、恩義と義務を感じ、優しくしたいと思ってしまうのか。
頭では間違っていると理解していても、30年来の洗脳を克服できない自分がいる。
悲劇のヒロイン(74才)による可哀想なわたし劇場
劇場型の母、義母にも情感たっぷりに「可哀想なワタシ劇場」を電話で披露していたらしく、もう、なんか申し訳ない気持ちでいっぱい…
— 望月志乃|ひびわれたまご (@shinoegg) August 9, 2019
義母「『わたし、一人ぼっちになってしまった…』って…。私、気の毒になってしまって。志乃ちゃん、元気づけてあげてね…」
尚、実家の近所に叔父、叔母が住んでいて、甲斐甲斐しく母の世話を焼いてくれている。
決して一人ぼっちではないのだが、そんな兄妹への感謝の気持ちは薄く、最初は調子のいいことを言っていても、だんだん「ああ見えて、とんでもねぇ女だ」と妹をこき下ろし始める。
きっと自分以外の人間が、目の前で褒められていることが面白くないのだろう。
被害者意識が強くて感謝の気持ちが希薄な人と付き合いたくない。それが母でも。
— 望月志乃|ひびわれたまご (@shinoegg) August 9, 2019
父が亡くなる前夜、意識のある本人の前で、父への恨みつらみを語り、人格も、世話になったことも全否定し、私が何度も叱りつけてもやめなかった。
この父も父で、なかなかに問題のある人だったのだが、母に尽くし、母を甘やかし、母を愛した人だったらしい(伝聞)。
それでいて、「素晴らしい伴侶を亡くし、寂しくてたまらない」立場で、毎日泣き暮らしているのだから、全くつける薬がない。
悪気なく他人を利用し、支配下に置く
自分を可哀想な人間に仕立て上げ、他人の罪悪感を利用し、コントロールすることに長けている。
が、彼女自身には自覚も、悪気もない。自分は常に絶対的な被害者であり、悲劇のヒロインである。苦境に立たされると、イキイキしているようにすら見えてくるから不思議だ。
巧みに人心を操り、周囲の人間を味方につける。
意にそぐわない事実を捏造したり、思い通りに動かない人間を悪者に仕立て上げ、庇護される立場を手に入れる。
その手口は鮮やかで、十分な知識があるはずの精神科医ですら、知らず知らずのうちに洗脳下に置かれてしまうことも少なくない。
“自分のため”は、“子どものため”に自動変換
「あなたたちのため」と言って、母はいま、子どもの希望を無視し、子どもの名義で借金をさせた豪邸に一人で住んでいる。
ケチで、「老後の蓄えが足りない、お先真っ暗だ、お金がない、のたれ死ぬ、このままでは一家心中だ」と、悲壮感たっぷりに毎日子どもを脅迫し、子ども自身の求めるものを与えなかったのだが、実際には月収100万を超えていた時もあったらしい。
「アパート暮らしはみっともなくて、子どもが可哀想」という理由で、一生に一度の買い物とされる、一軒家を3度も買い直したため、生活はいつも困窮していた。進学のための資金も貯めていなかった。
自分の見栄であることは明白だったが、脳内で「子どものため」に変換されるため、本人にそんなつもりは全くない。
現在はどうなったかというと、新しく買った高級な家具に囲まれ、いつの前にか綺麗にリフォームをしたバスタブにつかり、悠々自適な生活を送っている。
それら全て、彼女は「子どもたちのために、お金をかけた」と言う。
いずれは子ども達の持ち家になり、老後一緒に暮らすことになるかもしれないのだから、立派な家を手に入れることは妥当だということになる。
もっともらしいことを言うが、欺瞞だ。
とっくの昔に嫁に行き、娘には娘の都合や、意思や、希望があることを受け入れられない。
いくら断っても「ねえ、帰ってきて一緒に暮らそう?」と、芝居じみた、ネットリとした声で言う。
子ども達はとうの昔に自立をして、誰も寄り付こうとしないにも関わらず、いつまでも「老後の面倒をみてくれる」という幻想に取り憑かれている。
きっとわたしが「いいよ」と言うまで、こちらの罪悪感を刺激し、何度でも縋り付いてくるに違いない。
娘が友達と大切にしていた交換ノートを、怒りに任せてビリビリに破り捨てるのも、娘のため。
娘が心の避難先にしていた、パソコンやゲーム機のコードを「言うことを聞かないなら、痛い目をみて思い知ればいい」と叫びながらハサミで切るのも、娘のため。
2階の窓から、娘の部屋のものを、庭に向かって大量にブチ撒け(世間体を非常に気にするため、人目につく道路側ではないのがポイント)、はいつくばって慌てて拾い集める娘の姿を、満足そうに微笑んで、うっとりと眺めるのも、娘のため。
「…ほら、お部屋、綺麗になったでしょう?」
どんな時でも、絶対に自分は悪くない。
子どもは母親の分身だと思っている
父が亡くなるまで、病室にあった、私が生まれる前の兄のアルバムと、孫(私の娘)の写真の隣に、私の写真が飾られることは、とうとう無かった。
そのことについて尋ねると、「母親なんだから、娘と一心同体でしょ。○○ちゃんの写真はちゃんと飾ってあるじゃないの。」と、私の母性を批判された。
父も母も、私に見向きもせず、私の意思も、都合も、存在もないかのように扱うのに、手放そうとせずに執着し、手元に置いておきたがる理由が分からないが、どうやら虐待する親は押しなべてそういうものだということも分かった。
私は母の分身であり、孫の分身である。
私はどこにもいない。
そして本人に、まったく悪気はなく、今ごろ記憶もなくなっているに違いない。
暴力や、搾取や、自分の欲望を満たすだけの行為も、「子どものためにやっている」と脳内変換されてしまう。虐待する親は、子どもを自分の付属品や、所有物だと思っていて、適切な距離を置くことができない。
都合の悪い真実は記憶から排除され、全て善意ということになる
恐ろしいのは、他人の善意を巧妙に利用しつつ「全く自覚がない」ことだ。
それどころか、「こんな素晴らしい母親は、世界中のどこ探したっていない」が口癖であり、常に恩着せがましく、相手に感謝の気持ちを持つことを強要する。
「私は世界一の善人だと思っている」と公言して憚らず、それを心の底から信じている。
その自己像のために都合の悪い過去の悪行は、全て記憶から消去され、そのことについて抗議をされても「私がそんなことをするわけがない」と、理解ができず、困惑してしまう。
覚えていないことを責められても、本人にもどうすることもできない。
何が悪かったのか反省もできないし、同じことを繰り返さないように気をつけることも不可能だ。
「そんなこと覚えてない、覚えてないことを言われても困る。」
「それもこれも、親心じゃないの、変なふうに取らないで」
抗議をしていた被害者が、いつの間にか、加害者の立場になっている。
被害者の訴えは、すべて空しく徒労に終わる。
「離れる」のが最適解だが、離れられない子どもたち
子どもとして生まれ、大人になって巣立つまで、強力な洗脳を受け続けて育つため、その影響力は絶大だ。現に、母としばらく連絡を取っていないにも関わらず、「帰省しない」ことによる罪悪感で、わたしは勝手に押しつぶされそうになっている。
どんな書籍を読んでも、「逃げろ」だとか「離れろ」とある。それが分かっているのに、罪悪感の呪縛がびっしりと心にこびり付いて、毎年この時期は情緒不安定になってしまうのだ。
「親を悪く言うものじゃないよ、お母さんにも悪気はないのよ」
「お父さんを早くに亡くして、一人ぼっちで気の毒で、とても見ていられない」
「帰って元気づけてあげて?」
母に操られた善良な人々により、ますます罪悪感は増幅される。
「離れたい」「自分の尊厳を守りたい」という願いが、悪いことのように思わされる。
「離れろ」と簡単に言うが、どこまでも縋り付いてくるモンスターが身内にいた場合、亡くなるのを待つしかないのだろうか。赤の他人なら容易いが、親となるとそうはいかない。
物理的な距離をとっても、心に罪悪感がこびりついて剥がれない。
本を読み、対処法の知識を蓄え、頭では全て分かっているのに、心が思うようにならない。
亡くなった後も、いつまでも過去に囚われてしまうのではないだろうか。
私と同じような悩みを抱えながら生きている方は、きっとたくさんいるのだろうな。
知識は我に返る機会をくれる
「愛情深く、必死に育ててきたのに…。お母さんのこと、可哀想だと思わないの?」
本当にそう思えたのなら、どんなに楽だろう。
「はいはい、お母さんが全部悪いのね!」
そう思えたら、良かったのに。
彼ら、彼女らの常套手段だと分かっているはずなのに、何度も情に流されてしまいそうになるが、「いやいや、しっかりしろ」と我に返ることはできる。
得た知識は、何度でも「そうだ、私は間違っていないんだ。」と、私たちの背中を押してくれる。
「毒親に優しくしたい」という、自分自身の毒。
それを解毒する助けになってくれる。
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誰に何を言われても、自分の尊厳を守るための境界線を守り、侵略されそうになったら、全力で離れないといけないのだ。わたしたちは、そのことを決して忘れてはならない。
自分の善意に、負けてはいけない。
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