どうも。発達障害界の松岡修造を目指す女、望月志乃です。
(この口上、ご本人から怒られるまで続けようと思います)
今回は、タイトルの通りのことを、過去の私を励ますような気持ちで書くつもりです。
今まさに同じようなことで悩んでいらっしゃる方に、届けばいいなと思います。
親に失望すると、同じ立場になることを避けようとする
両親が不仲なために辛い思いをした子どもは、結婚に失望してしまい、結婚願望をなくすことがある。
虐待を受けて育った子どもは、「虐待は連鎖する」という話を聞いて、子どもを持つことに不安を感じる。
その不安はとても大きなもので、絶望し、諦めるには充分すぎる理由だ。
わたしもそうだった。
親になってから、カウンセリングに通った
「自分は母親失格なのではないか」と感じる度に、
「わたしも母と同じような母親になったらどうしよう」という、大きな不安に襲われた。
それどころか、母がわたしに惜しみなくやってくれたことすら、自分は出来ていなかった。
相談する人もなく、相談できたとしても、相手からの「あなたなら大丈夫だよ」という励ましの言葉に、納得することができない。
「虐待は連鎖する」という知識だけが1人歩きをして、うまくいかないことだらけの育児に焦り、どんどん追い詰められていった。
そんな時に見つけたのが、市が行っている無料カウンセリングサービスで。
月に一度、1時間だけということだったので、なんとか時間を作って通うことにした。
そこでカウンセラーさんに言われた言葉を、今でも覚えている。
「あなたは、あなたのお母さんじゃないし、お子さんも、あなたじゃないのよ」
わたしは母親とは違う人間だし、娘もわたしではないから、
母親と同じような母親になるとは限らないし、娘もわたしと同じように感じるとは限らない。
考えてみれば、当たり前のことなんだけど。
それだけ、大きな責任感とプレッシャーの中で、子育てをしていたんだと思う。
「こんな親になりたくない」と思っている時点でスタートラインが違う
わたしの母親の話ではあるが、母は「お母さんほど素晴らしい母親はいないよ!?」が口癖であった。
わたしにとっては辛く、悲しい体験だとしても、母にとっては「正しい躾」という認識でしかなく、「何がいけないのか」が分かっていなかった。
まず、わたしはそこから違う。
何が辛いのかが、客観的に理解できている。
完璧とはいかなくても、努力することはできる
わたしは、子どもにとっての「毒親」になることが怖かった。
被害者の立場から、加害者の立場になってしまうことを恐れていた。
完璧な親なんていないから、大なり小なり、子どもに悪影響を与えることもあるんだと思う。
それは誰にも避けることはできないし、避けようがないことなんだ。
そして、わたしがこうして幸せな家庭を持てたように、子ども自身にも、たくましく幸せになろうとする力がある。
その子ども自身の「生きる力」を信じて、それを育んでいくことで、親がどんな人間であれ、きっと子どもは幸せになってくれる。
わたしは家事もできないポンコツで、良いママではないかもしれないけど
娘が「ママには内緒」と言いながらコソコソ作ってるバースデーカード。リビングから聞こえてきたのが下。
「マ、マ、へ、お、た、ん、じょ、う、び、お、め……パパ〜、でってどう書くの〜!?」
— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
「…ママ〜!あのさぁ、ママが好きな柄ってある?」
「うーん、なんだろ?」
「ママには水玉って感じがする」
「そっか〜」
「じゃあね!」水玉模様のバースデーカードかぁ…。ドッキリにかかったふり、上手にできるかな…
— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
この子のためにも、早く病気を治さねばな…
— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
自分の記憶を辿ると、小さい頃の私は、毎日のように母から怒鳴られたり、家から引きずり出されたり、持ち物に酷いことをされたり、暴言を吐かれたりしてるんだけど。手のかかった2〜3歳児ならともかく、私は娘を全然怒鳴っていないことに気づいた。
— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
引きずり出したり、持ち物を破壊したり、暴言を吐かないというのはまあ当たり前として。怒鳴ることが殆どない。娘が特別手のかからない子なのかしら。それとも、こんなもんなのかしら。「普通」が分からない。
— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
今日は娘が「生き物に対して絶対に使ってはいけない言葉」を何かに影響されて、トラに対して軽い気持ちで言っていたので、強めの口調で叱った。怒鳴るというほどでもなく、本気で怒ったわけでもない。娘は号泣したが、心から反省して、トラに謝っていた。
— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
泣き止むのを待って、なぜいけなかったのかを説明して(今回は自分で気づいていたので言わなかった)、どうすればいいのかを促す。そんなもんだよなあ。何で私はあんなに怒鳴られていたのか。「しつけ」と称して、母の「こだわり」の犠牲になったのかなあ。
— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
「母のような母親になったらどうしよう」とか「連鎖させたくない」とか、イヤイヤに悩まされた時期はかなり悩んだもんだけど。娘が大きくなるにつれて、だんだん分かってきた。私はそんなことしない。
— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
先日、腹を立てた娘にものを投げつけられた時。なかなか泣き止まない娘が落ち着くのを待ちながら
「…チビ乃はいいなあ、ママの時だったら今頃、酷いこと言われて家から追い出されて鍵をかけられてるとこだよ」と言ってみたら
「…酷いねぇ」と泣き止んだ。— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
そうなんだよ、酷いんだよ。
娘がそれを「酷いこと」だと認識し、「ママはそんなことしない」と理解してくれているというのが、なんだか嬉しかった。
小さい頃「これが当たり前だから」と私が思っていたことが、この子にとっては、当たり前じゃない。— 望月志乃@ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年10月15日
時代もあったんだと思う。
昔はそういう「厳しい躾」が良しとされる風潮もあった。
幼い頃、隣家の子が「ママ、ごめんなさい、もうしないから、家に入れて!」と、(自分と同じように)玄関ドアの前で泣き叫ぶ姿を見かけた。
特にわたしは(当時は知る由もなかったけれど)ADHDだったから、きっと親も苦労したんだろうと、同情する気持ちもある。
躾は時代と共に変化するものだし、生まれる時代が違かったら、わたしも影響を受けていてもおかしくはない。
あなたは、わたしではないけれど
「あなたは、たまたま恵まれていただけで、自分とは違う」と思うかもしれない。
「あなたのようには、頑張れないかもしれない」と思うかもしれない。
「無責任なことを言わないで」と思うかもしれない。
ただ、上のツイートを投稿した時、「わかる」であるとか、「そう、わたし達はそんなことしないよね」といったコメントを、多く頂いたのも事実です。
辛さを知っているからこそ、優しくなることができる。
「大切にしたい、優しくしたい」と思うからこその苦しみで、きっと自信が持てないだけなんだ。
わたしは、ただの1ケースに過ぎないけれど、それを言ったら、あなたの親だって、ただの1ケースに過ぎないんだ。
あなたはあなたの親ではないし、あなたの子どもはあなたじゃない
「虐待は連鎖する」というのは、通説に過ぎないし、裏付けるデータだって“確率”でしかないもの。
辛い思いをした人ほど、人に優しくなることができる。
ただ、やっぱり、切なくなることはある。
子どもの意思を尊重し、子どもを大切に扱うほど、何故わたしの親は、わたしにこうしてくれなかったのだろう?と、哀しさを感じることもある。
反面教師にしたいのに、なかなかうまくいかないことばかりで、自己嫌悪で苦しいこともある。
母に対して「やってくれたこと」への感謝の気持ちが湧き上がるとともに、自分に憤りを感じることもある。
育児は、完璧にできなくて当たり前。
育児は、うまくいかなくて当たり前。
でも、子どもに致命傷を与えるようなことはしたくない。
そして、どんな傷が致命傷になり得るのか、わたし達は、誰よりも理解している。
あなたは優しい親になれる可能性を秘めているし、
自分に失望してしまう前に、闘うことを選ぶのもいいかもしれない。
しんどいことも多いけれど、子育ては決してそれだけではないから、
しぶとく、強く、優しく、驕ることなく、精一杯やっていこう。
さて。
わたしは今日、誕生日なので。
ここ数日、娘がコソコソ作っていたバースデーカードを受け取りに行ってきます。
追記
*どさくさに紛れて誕生日プレゼント大募集*(匿名OK)
コメント
「虐待は連鎖する」という話は戦争神経症に近いと思っています。
戦争で死ぬほど怖い思いをしたひとが戦争から帰ってきて急に周囲に暴力を振るうことがあったのです。日本では戦争神経症と言います。アメリカでベトナム戦争から帰ってきた兵士が同じ地域にいることがあるのですが一人ひとり距離を取って住んでいます。彼らは「自分がいつ爆発するかわからないし自分にはそれがコントロールできない」と感じているんだと思うのです。
私はずっと一人です。自分はいつ爆発するのかわからないしそのコントロールが自分にはできないという自覚があったからです。これが男性だけなのかどうかは不明です。いろいろあった友人でやっぱり一人でいて彼女もつくらない人達がいます。聞いたことはありませんが結婚しているが子供がいない友達がいて彼はわざと作らなかったのかもしれません。
すぐれたフィクションが参考になると思います。映画「ランボー」の一作目。小説の方がいいのですがスティーブンキングの「シャイニング」とその続編「ドクタースリープ」をおすすめします。