どうも。志乃です。
「何でもかんでも親のせいにすること」に対して、ツイッターで様々な意見があり、それについて個人的に思うことがあったので、ツイートを時系列順にまとめたものを掲載いたします。
簡単に言うと、「毒親問題に悩みつつ、自分も親になってみて分かったこと」についてです。お暇なら見てよね。
優しさって余裕から生まれるものだよなあと思った。いつでも、だれに対しても、なるべく優しくありたいもんだけど、心身に余裕がないと本当に難しいんだなあと。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月10日
「親に、自分の全てを無条件で許容し、愛してほしい」という気持ちは、きっと子どもにとっては当然の願い。それが幼少期に充分に満たされなかった場合に、大人になってから様々なトラブルを抱えてしまうことがある。
なんでもかんでも親のせいにするということ
(転載は控えるが)Twitterで次のような内容のツイートを見かけた。
- 親に(自分の考える)理想や完璧さを求めることは、親への配慮不足であったり、「親と自分は別の人間である」という認識が不十分であるということではないか…という意見
- 「親によって人格が歪んでしまったということが事実だとしても(周囲の信頼を得たければ)どこかで「すべてを親のせいにする」ことをやめて、方向転換をしなければならないのではないか…というような旨の意見(解釈が間違っていたらすみません)。
基本的に同意だが、それを受けて同時に考えたことが以下。
難しいとこよね。親の支配を受けて認知が歪んでしまった子が、そこに反抗するために親を否定するフェーズって大事だし。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
マインドコントロール下に置かれていた場合、「なんでもかんでも自分のせいにする」段階から、なんでもかんでも親のせいにする段階や、そこからもう一歩進んで、責任を切り分けたりする段階を経ることで、ようやく次のステップに進むことができる。
娘が産まれてからの2年間、母親になったことで、許したい気持ちと、一生許せない気持ちの葛藤で心がパンクしそうになり、カウンセリングに通いましたわ。親をどうしても許せなかった当時の気持ちを否定するつもりはないし、必要な時間だったと思う
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
当時の私は、母を許すことが『「お母さんは悪くない…」とひたすら耐えていた子どもの頃に戻る』ことと同じだと思い、認めたくないと怯えていた。それに対し、カウンセラーは、「何も知らずに無条件に許していた頃のあなたと、全てを知った上で許してあげたあなたでは、同じような選択に思えても、意味が全く違ったものになるから、戻るわけじゃない。安心して。」と言って下さった。
全ての親は無条件で許されるべき?
結果的にわたしはその葛藤も全て受け容れることで大分楽になったけど、これを毒親に苦しむ人全員に勧めるかって言われたら微妙。状況も違えば環境も違てば人間も違うし。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
本当に「何もかもが親のせい」で、ずっと離れていた方がいい親子だって、世の中には当然いるはずだ。
毒親に毒づいてる人っていうのは、解毒しようと必死にもがいている人。親にならないと分からないこと、親の人格、親の価値観、親の自由、親の人権、色々あるけど、一度すべてを跳ね飛ばして、自分を取り戻す段階が必要だと思う。親の立場からすると、親側に同情することもあって複雑なんだけどね…
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
外から見て「それまで親のせいにするって、どうなのよ?」と感じたとしても、それはその人にとっては、次に進むために必要なステップなのかもしれないと思う。
親って報われないのかもしれないね
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
無償の愛、無条件の奉仕、全許容。
完璧な人間なんていないのに、完璧な親は軽い感覚で求められがちで、ふたりの人間が背負うには、大きな荷物だなあと思う。
親子愛って何なんだろうね
わたしは実母と3日以上一緒に居られないし考え方も合わないし価値観も違うし本当に苦手なんだけど、離れたところでわたしがいなくても幸せそうに笑っててほしい。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
優しくしたいのに、幸せになってほしいのに、「一緒に居ると辛い」という悲劇。
当たり前ですけど、うちのオカンにも良いところがいっぱいありますし、感謝もしているんですよね。それは昔から。親を愛してあげたいからこそ、自分の恨みや憎悪に苦しむ。親を白か黒かでしか見られなかったのが、グレーに見られるようになった。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
「好きか嫌いか」で簡単に割り切れないから、苦しい。
やさしい人でありたいと常々思うんだけども「肯定」って本当にエネルギー使うんだよね…。知識、想像力、心の余裕、自己犠牲の精神が必要になってくる。否定はお手軽。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
そして、「経験」でしか分からないこともある。
反面教師にしようとすると自分が苦しむ
反面教師にしようとすると「できないこと」が毒になって自家中毒を起こすので、やめといたほうがいいです。理想通りにできないのが育児って割り切った方が楽。 https://t.co/LSog47QrzT
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
自分の親に「理想」を追い求め、毒親やアダルトチルドレンに関する知識があればあるほど、自分が親になった時に、大きなプレッシャーになってしまうことを知った。
親への批判は、「私もお母さんみたいな母親になってしまったらどうしよう!?娘が私みたいに育ってしまったらどうしよう!?」という恐怖や、「自分はどうなんだ!?」というブーメランとなって容赦なく自分にはね返ってきたし、カウンセリングに通うことになった原因も、このへんの影響が大きい。
未熟な親を許すも許さないも自由だけど
虐待防止プログラム講師の方から聞いた「どの親も必死」「お母さんに余裕があるかが大事」というのは一生忘れないようにしたい
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年7月11日
闘った分、頑張った分、誰もが報われて欲しい。
そして、内面で闘っているかどうかは、本人にしか分からないのかもしれない。
ただ、「お母さんに寄り添わなければ」という気持ちから来る、親子の一体感が強過ぎたまま大人になってしまうと、親の問題まで、子どもが引き受けなければならないことにもなる。
「お母さんが不幸そうに見えるのは、私のせいじゃない。」と自分に言い聞かせる意味でも、やっぱり「親を否定する」フェーズは必要だったなと、振り返ってみて思うよ。
最後に、カウンセラーから当時言われたアドバイスを載せて、結びの言葉とします。
「お母さんはお母さん、あなたはあなた。違う人間だってこと、忘れないで。」
コメント
よくわかります。全て同意できます。乗り越えた?というか回復したからこそ言えるし
どの段階もアリかと。
>親への配慮不足であったり、「親と自分は別の人間である」という認識が不十分であるということではないか
これ逆ですよ。逆だから子どもが精神的に疲弊していくんです。子どもに責任を負わせようとする悪意が見えますね。
結婚できて一人暮らしできれば
その人は
流行りに乗っかって
言ってるだけで
かまってちゃんだけで
本当の
毒親ではない