現在は、乳幼児健診や、就学前健診などで、子どもの発達障害を早期発見し、療育施設やサポート機関へ誘導するシステムがあるが、30年前、私が子どもだった頃、今のようには充実していなかった。
概念すらなかった時代で、「障害」という言葉への偏見も今より強かった頃だと思う。
子どもを思い通りにしようとすると起こる弊害
母は私を「優しくて良い子」「優秀だ」と言って溺愛もしていたが、一方で私の「ADHD特性」は「女の子なのに、だらしない!」と、許し難いものだったようだ。
母は「0か100か」の完璧主義者。私が母にとって「好ましいこと」をした時は溺愛して、「好ましくないこと(忘れ物をする、部屋を片付けられない、指示にすぐに従わない等)」をした時は人が変わったようになり、暴言と暴力で、人格否定を繰り返した。
暴力と言っても、「殴る・蹴る」といった分かりやすいものではなくて、例えば「言うことを聞かない見せしめ」に、大事にしていた友だちとの交換日記ノートを、目の前でビリビリと引き裂いたり、ゲーム機やパソコンのケーブルをハサミで切ったり、冬の寒い日に上着も着せず、裸足のまま家から放り出して鍵をかけたり、力ずくで引きずり回したり、部屋中のものを窓から外に放り投げたり、わざと大事なものをゴミ箱に捨てたり、それら全ての後始末を私にさせて高見の見物をしたり。
「家から閉め出す」あたりは周りでもよく聞いたし、時代もあったんだと思う。
虐待被害者も自覚が持てないことがある
「虐待」とは、殴ったり、蹴ったりすることだと思っていたし、「いかに自分がダメな人間か」を思い知らせようとする心理攻撃が主だったので、長らく自分が暴力を受けているという認識がなかった。今もあんまり実感はない。
子どもは親に同情し「私が悪いんだ」と思ってしまう
とはいえ、当時の母を取り巻く環境は、幼い私も同情するようなもので、彼女が精神的に追い詰められていたことは想像に難くなかった。だからこそ、「私が悪いんだ、お母さんは可哀想な人だから、私がちゃんとしなくちゃ」と思ったし、そうできない自分を責めた。
そのうちに成長して、いつしか母を心の底で見下すようになってしまい、そんな自分に自己嫌悪したし、そんな風に育ってしまったことが悲しかった。
(もし当時、今のような発達障害児へのサポートがあったなら、母は素直に支援を受け入れていただろうか?)とよく考える。
追い詰められた母親の苦悩
かつての私の母のように、発達障害を持つお子さんに、「どうすれば分かってくれるの!?(思い通りに育ってくれるの!?)」と辛く当たっている方を見つけると、「やめてあげて」と言いたくなるけど、同じ母親という立場上、色々と苦労を察してしまって、おいそれとは言えない。
— 志乃 (@shinoegg) 2017年12月3日
発達障害児へのサポート制度は、お母さんのサポート制度でもあるんだよなあ。30年前、母にこそ必要だったのかもしれないな。
— 志乃 (@shinoegg) 2017年12月3日
「忘れ物をしないため前日に教科書を用意させたい」のに何度言っても取り掛からない
↓
怒鳴っても動かない
↓
脅迫しても動かない
↓
思い通りにならないし無力だし無視されたようで腹が立つ
↓
ノートをビリビリに破くなど暴力をふるう
↓
子どもが泣いて謝る
↓
振り出しに戻る— 志乃 (@shinoegg) 2017年12月3日
「忘れものをしてはいけない」「必要なものを学校に置いて帰ってはいけない」「大人の言うことには迅速かつ素直に従うべきだ」と色んな「べき」に縛られるとそうなってしまうのかなあ、と母を見ていて思った。
— 志乃 (@shinoegg) 2017年12月3日
「できないものは、できない」と、多くを期待することを諦めることで、代替方法が思いつくのだと思う。「忘れ物をゼロにすることが難しいなら、せめて忘れ物をしても周りに迷惑をかけない方法を考えようね」というアプローチだって、できたかもしれない。
「何度言ってもできない」のは、「反省が足りないからだ」とか、「自分の指導が響いていないからだ」と誤解しがち。発達障害のある子どもに、それと知らずに多くを求めた結果ともいえる。
「泣いて許しを請う姿」=こどもが反省した、と認識してしまうと、どんどんやることが過激になっていく。こどもは怒鳴られることにも慣れてくるから、より攻撃力のある言動、方法が必要になる。高校の時には、母は「志乃が言われて1番嫌なこと」を熟知して使いこなしていた。言っても分からないから。
— 志乃 (@shinoegg) 2017年12月3日
最初はたぶん、純粋に「この子の将来のために、躾を頑張らなきゃ」という動機だったんだろう。それがいつしか、より深く傷つけて、ことの重大さを分からせようとするようになっていった。
虐待防止プログラムの講義で「暴力を使ってはいけない理由は、『簡単』であることと、『エスカレート』してしまうからです」と言われたのが印象に残っている。ほんとそうだよな。
— 志乃 (@shinoegg) 2017年12月3日
たぶん私は虐待されていたんだと思うけど、虐待されていたと思いたくはないし、母が「虐待するような親」だと世間から思われるのも望んでいなくて、複雑な心境。母も、追い詰められていたんだろうなあ、と思うので。発達障害児へのサポートは母親を助けるものであってほしい。
— 志乃 (@shinoegg) 2017年12月3日
支援を拒否する親たち
ただ、親にも様々なタイプがいて、うちの母親のように「ウチの子は、そんなんじゃない!」と突っぱねるタイプの家庭への支援は、難しいものがあるように思う。
いくら母親が発達障害に理解があっても、父親と子育て方針が違うことで、足並みが揃わないなんて話もよく聞く。
また、支援を受けられたからといって、すべての悩みが簡単に解決するわけでもない。
親としての責任とプレッシャー
発達障害のある子どもを育てることは、本当に大変だったろうと思う。その言葉もなかった時代、何度キツく注意しても「だらしない女の子」を育てていることに、母としての責任とプレッシャーもあっただろうと推測する。完璧主義な人だから、きっと深く思い悩んだのだろう。
かと言って、彼女が私にしたことは、きっと許されることではないけれど。
母は、本来であれば「愛情深い人」だった。
知識や、支援が行き届かず、母親が孤立して、追い詰められてしまうことがある。
全てが理想通りとはいかなくても、発達障害を持つ子どもと、その家族への理解と支援の輪が広がることで、救われる子どもがきっと沢山いる。
この記事が、一助となれば幸いです。
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