本日は読者の方々から、よくいただくご相談について、私個人の見解をお答えしたいと思います。
【お悩みvol.1】「発達障害かも…?」と思いつつも、受診が不安
こんばんは、偶然見つけて最近フォローさせていただきました!
ブログなどすごく共感できていつも楽しく見てます。
読んでいて、いままでの私の生き辛さとか友達とうまくいかないことはもしかしたらADHDとかなのかなと思っていろいろ調べてます。
きっと診断を受けて、何かしらの名前をもらったら、私は悪くなかったんだって、思えるかなって思って診断を受けたいなと思ってます。でも診断に行って、もしなんともなかったら……と思うと怖くて踏み出せません。どうするべきでしょうか
いつも応援しております。長文相談失礼します。
高校生女子、自分のあれこれに悩んだ末、ADHD(恐らくグレーゾーン)ではないかとの考えに至りました。検査を受けたいのですが、両親にどう言い出せばいいのか分かりません。時間もお金も掛かりますし、大学生の兄がおり、私自身大学進学を控えた身で、あまりそういった迷惑はかけたくありません。何か志乃さんにお言葉をいただければ、嬉しいです。
いつもツイートとブログを見させてもらってます(中略)。 志乃さんはADHDの診断を受けてよかったと思う時はどんな時ですか? 私は発達障害なのではないかと自分で思いつつ診断は少し二の足を踏んでしまっているので、他の当事者の方は診断を受けてよかった(あるいは受けない方がよかった)と思う瞬間が気になります
上の3人は、それぞれ理由は違いますが、受診にあたって迷いを抱えているんだと思います。
以前、「うつ病かもしれないと思いつつ、受診を躊躇ってしまう人」へのメッセージとして、精神科受診の心理的ハードルを下げるテクニックを記事にまとめたことがありますが、今回は「発達障害の受診」について、書かせていただきますね。
発達障害と診断されてもされなくても、ショックを受ける人はいる
「あなたは発達障害です」と言われて、「そんなはずはない!」とショックを受けてしまう人もいれば、「あなたは発達障害ではありません」と言われて、「そんなはずはない!」とショックを受ける人もいます。
両者とも、「自分はこうありたい」という「強い希望」があって、診断結果がそうではなかった場合に、ショックを受けてしまうということですよね。
「そうでなきゃ、困る!」という、強い執着があるからこそ、そうでなかった時が怖いんだと思うのです。
そこで「私はひょっとして発達障害なんじゃ…?」と思った時に、まず知っておいてもらいたいことを、図にまとめてみました。
発達障害はグラデーション状。皆グレーで真っ白な人はいない
発達障害と一口に言っても、お困り具合は様々で、本来であれば、白黒ハッキリつけられるものではないと思うんですよね。
「もっと辛い人もいる。あなたは大したことがない。」と言われて助けて貰えなかったり、「他の発達障害者ができることを、あなたはどうして出来ないんだ?」と言われて困ってしまったり、同じ当事者間でも、それぞれを理解することが難しい面があります。
発達障害のジャッジ(線引き)は医師によってあいまい
つまり、何を言いたいかというと、「あなたはあなたであって、困っていることも特性も、何も変わらないのに、医師によって違うことを言われる」ってことです。
診断にあたって、知能検査(WAIS-Ⅲ)を受けることになりますが、同じ数値でも、見る医師によっては判断基準が異なります。
A病院で発達障害だと言われても、B病院では「個性の範疇だ」と言われるなんてことが、本当によくあります(私がそうでした)。
そう考えると、「病院で発達障害じゃないって言われたらどうしよう…」と悩むのは、バカバカしいと思いませんか?
困ってるから病院へ行く。自分を客観的に理解するために診断を受ける。
以前わたしが、「審議の結果、志乃さんは発達障害の可能性が高いと思います」と言われて、内心で強く思ったことは、(ですよね。知ってます☆)でした。
あてはまることが多すぎて、自分の中ですでに強い確信があったんですよね。
「そうか、やっぱりな。ずーっと、自分がだらしないだけだと思って自分を責め続けてきたけれど、やっぱり、わたしだけの責任じゃなかったんだ…!」と、とてもスッキリ・晴れやかな気持ちになったことを思い出します。
それが一転、東京へ引っ越した後に行った病院では、知能検査の結果をチラっと見て「あなたは違うんじゃないかなあ…?」と言われまして。
私をよく知る周囲からは「絶対に病院を変えた方がいい!」と強く勧められましたが、私のスタンスとしては、こうです。
「貰いたい結果」があるから、「それを貰いに行く」と思うと、そうでなかった時に傷ついてしまうけれど、「自己理解を深めるため」と、「少しでも生活を楽にするため」に病院行くと思えば、精神科受診は自分にとってプラス・オンリーです。
2回目の受診で「違うのでは?」と言われたことによってはじめて、
「…あーーー、なるほど。わたしは医師によっては診断が変わる、微妙なラインにいたのか」
という、気づきがありました。
1つの診断が、2つになったことにより、自分がグラデーションのどのへんにいるのか、客観的に理解することができたわけです。
「ADHDあるある」を見て、(わたしはそんなに酷くない…)とモヤモヤしてしまったり、ポジティブでいられる理由も、それで察することができました。
「私は出来ているのに…」と思うのではなく、「みんなは私より大変なんだ」、「自分は恵まれているんだ」と思うくらいで、わたしは丁度いいんだなと分かりました。
その自覚がないと、知らず知らずのうちに周りにも自分と同じであることを求めてしまったり、傷つけてしまうこともあったと思います。
そんなわけなので、「発達障害じゃないと思う」と言われても、特にショックはありませんでした。
そんなこと言われても、実際のとこ、わたしにADHDっぽさがあるのは確かだし、自分に合った対処法を探し続けることには変わりありませんしねえ。
発達障害の診断が下りないと受けられない支援もある
そんなわけで、もしあなたが「発達障害ではない」と医師から言われたとしても、その時の「あなたのお困り度に合わせた」処置が施されるということで、「あなた自身の人格が否定される」わけではないんです。
発達障害ではないと言われて納得できず、納得できる診断を貰えるまで、自分の希望に沿う医師を探し続ける人もいます。
ただ、それが一概に悪いというわけではなくて、明らかに生活に支障が出ているのに、医師によっては薬を処方してくれなかったり、障害者手帳がないと受けられない支援があったりするわけです。
何とかそれで生活が成り立っている人にとっては、診断の有無は文字通り死活問題です。
でももし、薬に頼らずとも何とか生活が出来ているなら、受診にそこまで拘らなくてもいいんじゃないかと、私は考えています。
産まれ持った脳みその特性のため、薬が処方されても「根本的に治すための薬」ではなく、一生飲み続けることになることもあり、経済的な理由で通院をやめたり、時間的に余裕がなくて通院を断念する方も多くいます(独自アンケートより)。
なるべく薬を飲まずに、自分なりの知恵と生活術で暮らしを快適にしようとする当事者もたくさんいて、多くのヒントを与えてくれます。
あなたが「発達障害じゃないと困る」のはどうして?
あなたは、あなたです。
あなたにはきっと、自分のことを分かって欲しい「誰か」がいると思います。
両親であったり、パートナーであったり、職場の人間であったり、その相手は誰かは分からないけど。
その人を説得するために、診断結果が必要な時もあるかもしれない。
免罪符が貰えたようで、気持ちが楽になる場面もありますが、仮に診断が下りていたとしても、「そんなものは認めない、ただの個性だ、甘えだ」と言う人はいます。
発達障害であるかどうかに、「自分らしさ」を持ってきてしまうと、無意識のうちに自分を決めつけてしまったり、かえって自分のことを見失うこともありますよ。
困っているなら、恐れずにそのことを病院で相談すればいいし、
自分のことを知りたいなら、自己肯定が大事だと、私は思います。
あなたが発達障害じゃないと困るのは、どうしてでしょうか。
誰かに認めてもらいたいからでしょうか。
自分で自分を認めたいからでしょうか。
誰になんと言われようと、あなたは頑張っているし、
誰になんと言われようと、自分は自分です。
わたしは「娘のためにも、自分のことを客観的に把握したい」から受診しました。
生活のために薬や支援が必要な人もいます。
家族の理解を得るために必要な人もいます。
あなたはあなたの「願い」のために、ただ行動すればいい。
「もし、なんともなかったら…」は、ありません。基本はみんなグレーです。
もしもあなたの、「発達障害じゃないって言われたらどうしよう?」の裏に、「発達障害じゃなきゃ困る!!」という執着が隠れているなら、少し立ち止まって「自分の願いは何なのか」を、じっくり考えてみても、いいんじゃないかなって思います。
“そもそもグレーなもの”に、白黒つけようとする理由は、人それぞれです。
さあ、あなたはどうしたい?
コメント
初めてブログ読みました!
高校生なのですが、とても面白かったです。
自分もブログ書いているので尊敬します!
自分はこれから発達障害の検査を受けに行くんですが、言語化できていたかった心のもやもやがこの記事を読んで解消されました。すごく心が楽になりました。ありがとうございます。