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優しい子は損?娘の登園拒否&幼稚園トラブルから、自分と躾を見つめ直した話

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私が「お花さん枯れちゃったね~」と言うと「しっ!ママ、お花さんが聞いてるよ!気にしちゃうでしょ!」と怒られます

どうも。志乃です。

本日はタイトルの通り、ここのところ悩んでいたこと、考えていたことを、残しておこうと思います。途中、感傷的になっているところがあり、人によっては不快に感じたり、読みにくい部分もあるかと思いますが、もし良ければお付き合いください。

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娘が「優しい子」に育ってくれていることが嬉しかった

旦那とふたりで「優しく、あったかい子に育って欲しい」と願って育ててきました。自分のことだけじゃなく、人の痛みも分かる子に育ってくれたと、親ばかだなぁと思いつつも、感涙してしまいました。

ただ、同時に嫌な予感も。

 人の痛みに敏感ということは、それだけ自分も傷ついてしまうことにもなり、アンパンマンのように、理不尽や孤独に耐えることも増えるのではないかという心配もありました。

旦那と「優しい子に育ってほしい」と思って育ててきたけど、人の痛みに敏感だと自分も傷つきやすいよな。優し過ぎるのも生きづらい。

— 志乃 (@shinoegg) 2017年11月13日

また、「いい子」に育っていることを嬉しく思いつつも、人の顔色を伺う「都合のいい子」にしてしまっていないかという懸念も、常にありました。

年長の娘が「幼稚園に行きたくない」と言った理由

嫌な予感は早くも的中。ある朝、娘が大泣きをして登園を拒否。

普段は聞き分けのいい娘ですが、芯が強く、こうと決めたら絶対にあきらめない、鉄の意思の持ち主でもあります。

幼稚園に連絡し、その日は休ませて娘から事情を聴くことにしました。

ヒアリングが苦手なので聞き取りしながら「見える化」してみた

娘も私と似て、「聞き取り」が苦手。

私は素早くメモを取ったり、恥ずかしがらずに細目に確認することで、聞き逃しがないようにカバーをしていますが、5歳の娘には、まだそれができません。

「行きたくない」と感じる大きな2つの理由のうちの一つは、この聞き取り能力の弱さからくるもので、「先生の話をちゃんと聞けない、聞いているつもりなのに覚えていられない」ことが原因で、困っていることが分かりました。

「このメモを先生にも見せて、ママからちゃんと説明するからね」と伝えると、ほっとした表情を見せました。

そしてもう一つは。

「悪い子ばっかり」「男の子グループに意地悪される」

よくないよ!!!!!!!!!!!!!

娘同様、私も「強い調子で抗議する」ことが壊滅的に下手くそだったりします…。

「しっかり話を聞いてもらえた」ことに満足し、翌日は登園に成功

外で頑張っているぶん、家で甘えてたからだと悟りました。

先生曰く、お兄ちゃんやお姉ちゃんなど、口が達者な兄弟がいたり、手や足も出る、激しい兄弟ゲンカが絶えない子が殆どだと。そういう普段から「激しいコミュニケーションに慣れている」子と、一人っ子でおっとりしたウチの子では、ノリが合わない部分があるのでしょうね。

もうすぐ小学校。敏感過ぎても生きづらいですし、娘も慣れないといけない部分もあるだろうとも思います。

ただ。

適切な加減がわからず、怒り過ぎたりしてしまうため、いつの間にか、感情にブレーキをかける癖がついてしまいました。

「いい勉強」「いい機会」にしようと思った

次の日も笑顔で登園。「これで良かった」はずなのに…

無自覚で「他人をバカにする人」「上から目線でキツイ」と言われてしまう人の原因と対策
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無自覚で「他人をバカにする人」「上から目線でキツイ」と言われてしまう人の原因と対策 – ひびわれたまご

第三者「たいしたことない」。本人の気持ちは?

でも、「怒り」はどこで爆発させたらいい?

何度も言うようですが、わたしは怒るのが苦手です。

怒っている女性も苦手です。

怒られるのも、苦手です。

本当に、苦手です。

めっちゃ怖い。

とにかく怖い。

相手の気持ちを考えず、合理的に考えず、感情的に喚くタイプの人間が、とても苦手です。

そういう母との関係に悩み、トラウマを抱えてしまい、カウンセリングに通ったこともありますが、「怒りを無理に抑え込もうとする」のが、もう性格の一部になっています。

もちろん、母に感謝している部分もたくさんありますし、過去があっての私なので、それはもういいのですが、「娘には哀しみを連鎖させたくない」という気持ちが強いあまり、「怒り」や、「感情の爆発」や、「激しい自己主張」を、「イヤなもの」として、知らず知らずのうちに抑え込むような躾をしていたんじゃないだろうか?と考えだしたら、止まらなくなってしまいました。

事実、2~3歳くらいまでの娘は自己主張が激しく、思ったことをハッキリ言うタイプの子で、そんな娘を「優しくしないとダメだよ」と、たくさん諫めてきてしまったことを思い出しました。

子育ては「自分育て」

親は子どもに育てられる、とか。

子どもと一緒に成長する、とか。

子どもと一緒にインナーチャイルドを育て直すとか。

よく言われることですが、本当にそうですね。

子育てをしていると、自分のトラウマに向き合ったり、認知のゆがみに気づくことが多いです。

意識したことも、意識してなかったことも、子どもは吸収して大きくなる。

似てほしかったところも、似て欲しくなかったところも、きっちり影響されてしまう。

子育ての怖いところでもあり、醍醐味なんでしょうね。

今日、もう少しして娘が幼稚園から帰ってきたら、娘をひざにのせて、「怒りたい時は怒っていいんだよ、それも大事なことなんだよ」って、何度でも伝えようと思います。

現場からは、以上です。

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コメント

  1. こんにちは。
    以前コメントさせて頂いたものです。
    お気持ちが余りにも良くわかり
    また、お節介ながら、
    書かせていただきました(^^;
    保育園での色々、
    本当に心痛める出来事が多く、
    お母さんは悲しくなりますよね。
    私も息子が保育園の頃
    色々あり、
    学校あがってからも
    いじめで不登校になり
    頭を悩まし、心を痛める毎日でした。
    私自身ADHD特性+無理解な親の元に育ち
    かなりぶきっちょな生き方していたので、
    子供の事には
    本当にどうしたものかと、
    のびのび生きてもらいたいと
    考えていました。
    自分の事も向き合わなきゃ、
    息子にも、良い人生を
    送ってもらいたいと、
    今自分なりに色んな方面から
    見ているのですが。
    志乃さん、娘さん、共にHSPでは
    ありませんか?
    よろしかったら、
    調べてみてください。
    自分の事で、どうもADHDだけとは
    何か違うような気がして、
    色々調べて、HSPが結構あてはまりました。
    HSP特有の対処法などを試す事で、
    気持ちにゆとりがもてる事があります。
    本当に、子育てって
    振り返ってみると、
    私が子供に教わっていた事だらけで。
    正に自分育てなんだわって、
    未だに思います(^^;
    お節介失礼いたしますm(__)m

  2. 解決になるかは分からないけど、
    うちも一人っ子(息子)で、蝶よ花よと育てたので乱暴な兄弟のいる子達とうまくやれるか心配でした。
    保育園は少人数ですっごく平和だったのですが、小学校は魑魅魍魎が一定数おりまして…。
    どうなることやらと思いましたが、私は日頃から息子とディスカッション(ロジカルに軽く追い詰めて注意)したり、息子の不満をぜーんぶ肯定して(嘘や自分の否は隠してしゃべるけど、そこは気づいてないふり)一緒に悪口をいったりダメ出しして家庭でストレス発散と口喧嘩の腕を磨かせました。
    すると今2年生ですが意外ときちんと言いたいことは言ってるみたいだし、かといって余計な意地悪はしてないみたいだし、根が真面目な子なのでずるい子とかに苛立つらしいです。
    それも家で『そんなことずるしちゃだめだよね。結局自分のためにならないじゃんね。学校はいろいろ学びに行ってるのにずるするなんてお金も時間も無駄じゃんね』などと私もその話に乗ってあげてかつ、世間の仕組みも教えています。
    怒鳴るのと、ロジカルにだめ押しするのはべつですものね。ロジカルなだめ出しはそんなに波風たてず(漫才師のつっこみみたいに、若干明るい口調で言う)自分の主張も伝わるので練習するといいと思います。
    外で言えなくても家で、相手に言った気になればすっきりするみたいですよ。
    心が優しくて柔らかい子は、野蛮な子達のはけ口になりやすいので、気を付けてくださいね。一定数の子供はとても残酷で凶暴です。

  3. お忙しいとこ何度もごめんなさい。
    チビ乃ちゃんはすごく平和で心優しい性格のようですので、志乃さんがよーくお話を聞きながら、いやな事をしてきた子の絵を描いてあげてはどうでしょう?
    その子がやったことや、言われてチビ乃ちゃんがいやだった台詞を吹き出しで描いてあげて、志乃さん『もー、この子ひどいね!仕返しに○○しちゃう』といってラクガキしてみるなどどうでしょう?
    仕返しという言葉は過激すぎるので、『もうマスクしてだまってもらおう!』といってマスクの絵を書き加えるとか、叩かないようにどっさり花束を持たせるとか、平和なラクガキの方がいいかもしれません。
    私ならそこから少し話題をそらしたり、展開させて遊びます。『花束だったらほめてるみたいだね、じゃあ木でも、もたせる?うーん微妙。じゃあネギとかごぼうとか?、。ってこれじゃあ買い出しのお母ちゃんやーん!』とか言い笑いながら仕返しのようでただの気分転換。って、感じなのがおすすめです。
    ちよっと嫌なことも、親が受け止めてくれればそれだけで解決するし、しないときは『チビ乃ちゃんは、嫌なことをされた今、この子になんて言ってほしい?』って吹き出しに台詞描いて謝らせたり、チビ乃ちゃんと志乃さんの二人の価値観で一番楽で楽しい感じにしてみてください。
    私は絵が描けないので、ぬいぐるみや(←これだとぬいぐるみがかわいそうと言うときがあるので、あえて手元にあるリモコンとか、なんでそれを相手に見立てる?)みたいなものを使ってやってました。
    うちの子は性格が攻撃的なので見立てたものを叩いたり物をぶつけたりしましたが、リモコンを(台詞で)泣かせたり、テーブルにちょっと水溜まりをつくって『えーん泣いたらおもらししちゃったよー!いや、これは電池の薬品だ⁉うわー危ないぞー!』とか現実と遊びとゴチャゴチャにして
    ともかく辛いことがあっても分かち合い笑える人がいる、一緒に解決しようとしてくれる人がいるって思ってもらうところが大事かなと僭越ながら思いかきこませてもらいました。
    おじゃましました(〃^ー^〃)

  4. こんばんは
    はじめまして
    よくブログを拝見させていただいてます
    ちょっと気になったので、コメントを書かせていただきました
    先に、多分このコメントは揚げ足取りだと思います
    勝手に書きに来ておいて失礼だとは思いますが、不快になる内容である可能性が高いです
    ただ、自分がうまく理解できない部分があって気になってしまって
    真面目に捉えていただく必要は全く無いですが、申し訳ないですがコメントを書かせていただきます
    ちゃんとした文章がかけている自信もないので、スルーしていただいても構いません
    優しい子が損してるというか、誰も損も得もしてない気がするのですが
    理不尽な目に会うのは優しくても優しくなくても誰にでも有り得ることだと思います
    その上で、自分の子どものためにその子をかばうのは当然のことかなと思います
    自分の子がかわいいのは健全ですし
    ただでさえ子どもって躾っていう試練もあって親に愛されてるのか不安なもんだと思います
    あと、チビ乃さんは「やってはいけないこと」についてよく理解してる(敏感な)子なんだな、と感じました
    言われたことについてすごく従順に素直に対応できるんだなというか
    なんとなく、怒ったりやり返すということが重要というよりは、指示されること以外に自分でどう問題解決するか考えたり自己主張したりするのがうまくいかないのかなって感じに思いました
    言われたとおり堪えて我慢する、か、それ以外の方法を考えるか、その延長上にやり返すということがあるかもしれませんが
    周りの大人に助けを求めるとか、素直に甘えるとかでもいいんじゃないかなって思ったり
    子どもで実際にははっきりわからないことにまで気を使えるってすごいことだと思います(例えばお友達やお花が傷ついてないかどうか)
    大人でもコミュニケーションや自己主張って難しいですし、自分も人のこと言えないですが
    http://re-sta.jp/assertion-1488
    大人も子どもも、おとなしい子も乱暴な子も、なんとかお互いに丁度いい距離を学んでいかなければいけないことは変わんない気がします
    なので、優しすぎるから、繊細すぎるから、ということもないかなと思ったんですが
    実際、仲直りはできたみたいですし、誰かがわからないこと・わかることが同じとは限らなくて、お互いに成長する途中だってことでいいんじゃないでしょうか ?
    実際の様子知りもしないで言ってる自分がすごくおかしいですけど
    生きるフィールドはたくさんあるので、繊細だから必ずしも生きづらいってこともないでしょうし、どういう場にいてもそれなりに問題を解決するために考えることとコミュニケーション能力は必要だと思います
    あと承認欲求をちゃんと満たしててかつ、創作活動してる人もいます
    自己肯定感とは、自分の行動を結果はどうあれ一旦認めることができて、適度に自立したり人を頼ったりできることじゃないかなと思います
    だんだん何が言いたいのかよくわからなくなってきたんですが。。
    理不尽なことや人間関係って誰かが誰かより楽とかあるんだろうか、と
    自分が勝手に思っただけなんですけど、なんか「やっぱり自分のせいで生きづらい人とかがいるのかな」などと感じてしまい
    繊細、というか、周りに気を使いすぎている、のでは とか、周りもそうあるべきなんだろうか?というふうに感じてしまうのは気の所為でしょうか
    気を使ったり心配する優しさと、人の喜ぶことに敏感な優しさとがあるのかな ?
    そう言う自分も、こんな風にわざわざ口挟んでる時点でどういう人間なんだって感じですけど。。
    そういうものなんでしょうか?
    長々と中身もないのにすみませんでした
    もし読んでいただいてたら有難うございました
    気温が日に日に低くなってきていて、気圧の変化もありますので志乃さんもお体ご自愛ください
    失礼致しました

  5. Hello, Thanks for sharing this blog with us.

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