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【反省文】初詣ベビーカー記事へのご意見・ご感想、ありがとうございました

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どうも。志乃です。

前回の記事に、私の予想を上回る、たいへんな反響がありました。

ベビーカー否定派に伝えたい3つのこと
風のように去りぬ どうも。志乃です。Twitterで、とあるベビーカーに関するツイートが回ってきました。そのことについて言及したところ、反響があったため、記事としてまとめておくことにしました。宜しければお付き合いください。(ツイートを埋め込...

いただいた沢山のご意見を拝見しながら、色々と反省点を考えておりましたら、気づいたら3日ほど経っていました。そして今も尚、ご意見を多数頂戴しております。

どのご意見も、たいへん参考になりました。本当に、ありがとうございます。

あの記事を読んで、ご意見を下さった方々のうち、何人に届くか分かりませんが、御意見を受けて考えたことを、記事としてまとめたいと思います。

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東京都議会議員の音喜多駿さんがブログで紹介してくださいました

音喜多さんの問題提起に対し、著名な方々が次々と御意見を寄せる事態に。(ありがとうございます…!)

私の投げかけた荒削りの小さな石を、皆さまが大きな波にしてくださって、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

構成の甘さ、配慮不足が悔やまれる

コメント欄でもご返信いたしましたが、いただいた御意見を眺めていて私が何よりも後悔したのは、自分の記事の「構成の甘さ」です。

今回の初詣の事例を、普段の「よくあるベビーカー問題」について言及をしたいがための「単なる発端」として紹介してしまった部分があります。

念のため繰り返しお伝えいたしますが、私個人としては、お寺の対応を批判する意図は全くございませんでした。

途中から、初詣の件と完全に切り離して話をしており、それによって違和感が生じた方が、多数いらっしゃったようです。

そのため、本来ごっちゃにすべきではない問題がごっちゃになったり、本題と逸れたところで、生まなくて良かった誤解や、心配や、争いを産んでしまったような気がしております。力不足により、ご迷惑をおかけし、申し訳なく思っています。

危険だと分かっていても、ベビーカー使用が避けられない状況が多く存在していますが、事情に詳しくない方には、なかなか理解が難しい部分があります。一方で、残念ながら、非常識な親御さんがいらっしゃるのも事実。

ごく一部でしょうが、「一般客に迷惑だから、子連れは公共交通機関を使わずにタクシーを使え。タクシー代も払えない経済力で子どもを産むな」という意見もあります。

ごくごく一部だと思いますよ(念のため)。

何がその方をそこまで追い詰めてしまったのかも気になりますね。発言にはいつも、何か背景があるものですし。

子どもの安全は何よりも優先されるべきもの

そこに異論がある方は、おそらくいないでしょう。本当にその通りだと思います。

前回の記事でも「混雑時は危険なので避けるのも方法の一つだと思います」と触れてはおりますが、その一文だけでだったため、不安になった方が多かったのかもしれないと反省しました。

その他、「親サイドの工夫や配慮も必要なものだ」というご意見もあり、あの記事を読んで、「人としての大前提が、ちゃんと共有できていないのではないか?」と不安に感じる方の多さを、強く感じました。

実際、「思いやりや配慮は一方的に求めるものではなく、お互いを尊重し、マナーを守り合うことは大切なことだ」という前提が、分かっていない親御さんが中にはいらっしゃるのも事実で、それが問題を大きく、ややこしくしてしまっている。

「最近の親」に対し「大きな不安」と「心配」を抱えている?

子ども用ハーネスについて書いた記事でも触れたことなのですが、みなさんそれだけ、「心配」なんですよね。大丈夫なの?あなたたち、人の親として、ちゃんとわかってるの??と。

親の愛は「手間」に宿るのか?子ども用ハーネスが嫌がられる理由について考える
度たび、話題になる「子ども用ハーネス」問題。発達障害を抱えた多動児や、後先考えずに全力で道路に飛び出してしまうヤンチャっ子の安全を守るための「命綱」として、利用する人が増えている。ネットで何度も、理解と寛容さを求める親サイドからの主張を見て...

「最近の親」、というか私が、ちゃんと分かっているのかどうか。

結論から言うと、わかりません。

私は「配慮」やマナーを重んじることの重要性を理解しているつもりですし、常識とは何かを常に考え、分かっているつもりですが、その「分かっているつもり」が一番危ないのではないかとも思います。

「分かってないこと」が分からないので、分かってないのかどうか、分かりません。

うん、分かってないかもしれません。

その、「わたしが分かっていないこと、この記事に足りなかった視点」を、コメント欄であったり、はてなブコメであったり、ツイートであったり、ご自身のブログ等で言及してくださることで、たくさんの方が補ってくださったと感じていて、本当に感謝しております。お時間がありましたら、それらをぜひ、ご覧いただければと思います。

一方、「被害妄想」「仮想敵」「ベビーカー否定派なんて最初から存在しない」というような御意見も目にし、本当にそうならいいのになと思うと同時に、(本当にそうだとしたら、じゃあこの肌に感じる焦燥感は何なのだろう?)ということも考えました。

日本社会に渦巻く「風潮」「空気」の正体とは?

ただの被害妄想であれば、それに越したことはありません。

目に見えない不信感を抱いているという意味では、きっとお互い様なんでしょうね。

あの記事で本当に伝えたかったこと

個人の不寛容さを責めるのではなく、誰もが余裕を持てる社会に、どうなったら変えることができるのか。それに尽きます。

前述した通り、私に反省すべき点がたくさんありました。

そうではないんだということを言いたかったのに、皮肉なもので。

全てのことが因果応報とするなら、私自身も気づかないうちに、そういう「正しいか正しくないか」という判断基準で話をしていたっていうことなんでしょうかね。

敵意ではなく、敬意を払いたい

自分から与えてないものが、与えられるわけもなく。

そういう闘い方も、そういう人間も、必要なのかもしれない。けれど、私の望むアプローチではないというのが、正直な気持ちでして。反省点も多々ありますが、私みたいなことを言う奴が、ひとりぐらい居てもいいのではないかと、自分では思っています。

おわりに

繰り返しになりますが、ベビーカー使用者に対して厳しい意見を投げかける方というのは、別に悪意や意地悪で言っているわけではなくて、何よりも礼儀とマナー、配慮を重んじている方なのだと、改めて感じました。

誰も何も間違ったことは言っていないはずなのに、「正しい行動」を自他に求めるあまり、現状の「息苦しさ」「生きづらさ」につながってしまっているのが、何だか残念で仕方がありません。

御意見、ご感想、リツイート&シェアでの拡散協力、本当にありがとうございました。

景気が良くなりますように。

現場からは、以上です。

追記 お寺側の説明を読んで

「一緒にしないで欲しい」で終わらせず、他人事と思わず、自分に出来ることは何かを考えていきたいです。お騒がせして、申し訳ございませんでした。

合わせて読んで欲しいような欲しくないような記事

コメント

  1. ツイッター上で見て、こちら拝読させて頂きました。
    構成等々反省されている様子、中々最近反省を改めて書く人居ないぞと、感心しています。
    http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html
    人の意見なんて、それぞれ違うし、違って良いとも思っています。ただ、承認されなくても良いのですが、こちら読んで頂けませんでしょうか。
    今回の寺側の自粛に向けた事情が書かれています。
    「ベビーカー使用者に対して厳しい意見を投げかける方というのは、別に悪意や意地悪で言っているわけではなくて、何よりも礼儀とマナー、配慮を重んじている方なのだと」確かに意地悪な人いますね。でも、混雑の際に言及している方は、そうではないと私も思いますし、私も混雑時の使用には反対です。
    というか、満員電車で大人の腰の当たりで、横になって、上からおっさん連中が覆いかぶさるように立っている様子を、赤ちゃん目線で想像してみてくださいって、思うのです。
    私自身、発達障害診断を受けた子供と、受け入れてくれない周りに振り回されて、子育ての大変さは分かっていますし、普通に使用するのであれば、どんどん楽してチョーではあるのですが。
    寛容である前に、反対であるとしても、一度は、その反対の意見に耳を傾ける事ができる人、反対意見を「そういう意見もあるのだな」と捉えられる人が増えたらなぁと思う次第です。

  2. はじめまして。コメントありがとうございます。 お寺側の言い分ということで、遅ればせながら拝見させていただきました。
    うーん、本当に、なんというか…残念な話ですね。こんな状況で理解や寛容さを「強要」しても、事態が好転するわけがないと思います。
    追記にも書きましたが、これを他人事と思わず、何ができるのか、考えたいと思います。
    私も、混雑した初詣には行かないとは思いますが、そう表明することで、行くことを選択した方を否定することになりそうで、何か違う気がしていました。
    配慮は必要不可欠なもので、「権利」ばかりを主張しても、受けいれられるわけがないと思います。 全体のマナーアップは、どうしたら叶うのでしょうね。
    結局、自分たちの首を締めているんですよね。
    傾聴の姿勢、私も大切にしたいです。
    ご意見、ありがとうございました。

  3. はじめまして。
    ヤフーニュースからこちらに参りました。
    結局あなたも自分には寛容な世界であってほしいと読めました。
    ではマナーや人に対する配慮が大切だと思ってる方からしたら
    それを寛容な気持ちで受け止めてほしいと思っているのではないですか?
    なぜご自分だけが寛容を求める立場なのでしょう。
    ネットの世界では他人に寛容を求めている方に限って寛容な人ではありません。
    なぜなら人に寛容を求めるからです。
    あかちゃんが人ごみにいく理由は何でしょう。
    ほとんどが親の都合ではないのでしょうか。
    あかちゃんの気持ちになったことはありますか?
    ベビーカーに当てられても嫌な顔をできない人の気持ちにはなったことはありますか?
    不妊治療を続けて結局こどもができない知り合いはあかちゃんの顔をみると悲しくなりますが
    あなたにその人の気持ちはわかりますか?
    その人の立場にならないとわからないのはみんながそうです。
    結局人の気持ちなどわからないのです。
    みんな違ってみんないいのです。
    ストレスになることは避けていったほうが精神的にもよいと思います。
    不平不満よりも楽しいことを考えることをお勧めします。

  4. >むーんさん
    コメントありがとうございました。
    私の記事を読んで下さった後で、そう感じられたということで、改めて文章の難しさを感じています。
    むーんさんは、私が「お互いに配慮が必要だ」とは思っておらず、「一方的に配慮や寛容さを求めている」と思われたのですね。
    それは大前提というか、当たり前のこととして認識しており、その部分の説明が足りなかったのだなと感じました。
    配慮はお互いに必要であり、義務やマナーを守らず、安全に配慮もせず、権利ばかり主張するのは愚かなことです。
    そして、お寺側の主張を見る限り、その大前提が共有されていない親御さんが、実際にたくさんいるというのが、問題を大きくしているのだと思います。
    色んな方が、色んな気持ちを持って、
    色んな悲しみを抱えて生きている。
    そういう悲しみを減らすためとして、マナーが機能していくことを、私も願っています。
    「みんな違ってみんないい」
    本当に、心から同意します。
    まったく異論はなく、むーんさんに共感する部分が多くあるのに、伝わらないところに、力不足を痛感しました。
    ご意見、参考になりました。今後の参考にさせていただきます。
    ありがとうございました。

  5. ›むーんさん 2回目
    さらに色々と考えて、むーんさんが本当に言わんとしていたことを少しだけ理解できた気がします。
    考えるきっかけをありがとうございます。

  6. 何度もすいません。ADHD当事者ママの奮闘記、少し読ませて頂きました。
    最初のコメントでも書きましたが、うちの子供も発達障害の診断を受けています。
    最初にべビーカー使用側の事ばかりに言及してしまったようで、追記させてください。
    記事をお読み下さったようで、ありがとうございます。その記事の中には、一般の方がベビーカーや障害者だけ優遇するのはずるいと、ヤジを飛ばす方も居たとありましたね。
    志乃さんの記事の「皆で余裕が持てたら」とても分かります、私もその事には同感です。
    そして、私も色々考えたのですが、今回はどちら側にも、志乃さんの言われるような、余裕の無い方、相手の事を考えられない方が少数いたのかなと。
    そして、子連れであろうと、若者であろうと、高齢者であろと、若干名の非常識な事をする人はどうしても出てくるのではと言う事です。
    弱者優遇措置を悪用して、小5をベビーカーに乗せたりする若い人は、年齢を経て、ヤジを飛ばす人になるのかと。
    それは、教育事情の影響なのかもしれませんが、致し方なく、それを抑制する為に、そういう人に分かりやすいルールが存在するのかもしれないなと。
    でも、今は、叱らない子育て、自由優先で、その抑止も働かなくなり、そういう人が目立つようになってきたのかもと。
    それとも一つ、正直そんなにベビーカー迫害されてるの?と言うのが、常々に思う事で。ネット上でも、自身が見かけた様子でも、赤ちゃん連れには好意的だった話や、微笑ましい話は見かけられると思うのですが。
    どうして、そこにフォーカスされないのかと。
    私自身も子供も、学校での事や、他にも色々、不寛容だなと感じされられる事は、それこそたーくさん有りました。
    志乃さんの今回の反省文、正直、公人でもない個人のブログ等で、反省書くって勇気がいったんじゃないかと。
    高名な人が反対に、自分の言葉に責任持たずスルーしたりしているから、なおの事です。

  7. >なりともさん
    ありがとうございます…。
    愛のある叱咤激励という感じで…有り難く拝見させていただきました。
    「自分にも、他人にも優しく、まっすぐに生きたい」という気持ちがあり、自分と逃げずに向き合いたいと思ってはいますが、
    そんな風に言っていただけると恐縮です…(ありがとうございます)
    また、全てのことは因果応報だとも思っていて、ベビーカー否定派に対する批判の記事と見せかけて、親側の態度も疑問視するニュアンスで書かせていただいたつもりです。
    全て、「お互い様」なんですよね。
    鏡のようなものだと、常々思っています。
    また、
    >ネット上でも、自身が見かけた様子でも
    >赤ちゃん連れには好意的だった話や、
    >微笑ましい話は見かけられると思うのですが。
    >どうして、そこにフォーカスされないのかと。
    こちらのお言葉を聞き、自分がかつて同じように感じ、願いを込めてハッシュタグを作ったことを思い出しました。
    (有志の方がまとめて下さいました)
    素敵タグ【# 妊娠中や育児中に嬉しかったことを語る】まとめ
    https://togetter.com/li/989717
    思い出させていただき、ありがとうございます。
    ポジティブなことにも、もっと目を向けていきたいです。

  8. なんどもすいません<(_ _)>
    「赤ちゃん連れには好意的だった話や、微笑ましい話は見かけられると~。どうして、そこにフォーカス~」
    これ、ベビーカー擁護過激派の方々に向けて、常々思ってた事で、志乃さん本人に向けてじゃないつもりだったんですけど。
    改めて、読み返したら、そう読めますよねぇ。ホントごめんなさい。
    叱咤とかするつもりじゃなくて、叱咤できるような人間では無いです。けど、一連の事について意見を書くと、どうしても、言われてる、注意されたと捉えがちになる状況かもしれませんね。
    というか、志乃さんのおっしゃる通り、余裕というのが、人の意見に対しても、向けられない人が最近多い気がします。
    もし、志乃さんのように、相手の意見をくみ取って、消化できる方が増えたら、そうは成らなかったのかなぁ。
    この違いってなんなんでしょうね( ゚Д゚)
    一端終息したようなのですが、まだぞろ、病児用バギーの話が、寺の件と絡めて、ネット上に上がってますね。
    寺の記事には、ヘビーカーで乗り付けて、その後折りたたんで、子供が走り回りと書いてあるにも関わらずです。その点に気ずいて、やんわり指摘してる方もいるにも関わらず。
    バギー使用の方の日々の困り、認知度が上がるのであればそれはそれで良いのですが、今回の話に参戦、ファィみたいな形。どうなんでしょうか。
    寺側が示した「寛容」を一部の人ですが、ベビーカー使用の方々が潰す結果になり、また、話からは逸れた処の病児用バギーの話を持ち出して、反論に利用する。、ベビーカー擁護の人への印象は、どうだろうかと考えてしまいます。
    私自身は、小さいお子さんを見たら微笑ましいし、あやしますし(子供にやり過ぎを注意されますが)発達障害児童を育てた経験から、泣こうが喚こうが、うるさいなんて、へとも思いません。
    ただ、今現在、働きに出て、電車使用や外出が、子育て中で外出しにくい方々よりは出来ているからか、寺での暴挙のような事をされる子供連れの方は、たまに目にする事があります。
    でも、ネット上に比べると、直接注意をする方は見られません。
    ネット上では批判の応酬は見られますが、現実社会では、胸の内に不満を抱えてたとしても、そこは控えめな日本人ですから、表だって声を上げる人が少ないように感じています。
    ただ、カー擁護の人が対抗で言ってくる、ヤジを飛ばすようなおっさんおばさんが、そこに居れば別ですが。
    そういう方々は、たぶんカーだけでなく、自分より弱い人間に対しては、家庭内とかでもヤジってるんじゃないかと。
    で、寺でのカー暴挙の若い方は、ヤジの予備軍。ネット上で、無い事をあるかのようにヤジってる人は、年齢を重ねて、反対の立場になった時、不満対象を同じようにヤジる人になるんだろうなぁと。
    ネットの関心ごとだけに囚われて、不満や批判の応酬だけ見ていると、現実社会とズレが生じてきて、無い事に疲弊してしまうんじゃないかなぁと。
    志乃さんの書かれてる、焦燥感についても、自身感じた事あるなぁと、追記で書かせて頂きました。

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