どうも。志乃です。
Twitterを眺めていて、思うところがあったので、考えをまとめておきます。
「旦那が子どもを連れて実家に帰ること」が許せないママの話
TLでチラッと見かけたけど、ママが2日間いない時にパパが子どもを連れて実家に連れて帰るのを良しとしない意見。これはさすがに因縁付けすぎじゃないかと。負担を押し付けられてる人もいないし不幸になる人がいてないよ。
— 病弱な主夫(ハロウィン限定アイコン) (@fmhktskt1111) 2017年10月31日
パートナーに対して「一緒に育児しろ」だったり「たまには子どもを見てて欲しい」ってことは理解できる。でも「同じ辛さを味わえ」ってのは違うと思う。子どもが実家に帰ることで楽しく過ごせるのならそれはちゃんとお世話してるってことじゃないかな。
— 病弱な主夫(ハロウィン限定アイコン) (@fmhktskt1111) 2017年10月31日
これに関しては私も同感で、繰り返しブログで書いている「みんなで幸せになるにはどうしたらいいのか」というテーマに通ずるものがあります。
ただ、哀しいかな、前回の記事でも触れましたが、人間は良くも悪くも「自分が与えられたものを、周囲に返す」ところがある。誰かによって苦労させられたり、周囲から頑張りを認められていない人ほど、「私も苦労したんだから、あなたも同じくらい苦労してよ」と、つい思ってしまう。
人間ってそういうところ、あるみたいなんですよ。
だからこそ、誰かがどこかで踏みとどまなければならなくなってしまうけど、多くの場合、その立場の人は孤独で、あんまり報われない。
優しい人ほど、生きにくい社会。
根っこにあるのは「私を認めて欲しい。分かって欲しい。」という悲痛な叫び
普段、押し付けられ過ぎてるママは「たまには私と同じ辛さを味わえ」になっちゃうんだろうなあ。その根本には「そして私の頑張りを分かってほしい、認めてほしい」という願いがありそう。「ママがおばけになっちゃった」のヒットから考えるに「自分の大切さを思い知らせたい」ママが増えているのでは
— 志乃 (@shinoegg) October 31, 2017
幸せになる思考とは言えないけど「そうもなるだろうな」って話で。奥さんの負担を普段から軽くしようと育児協力してたり、実家に帰ることを快諾していたり、ママの苦労をねぎらっていたりするパパなら、そんなことにはならなさそう。
— 志乃 (@shinoegg) 2017年10月31日
旦那に「普段の仕返し」をしてみたって、家族に「私はこんなに大切なんだぞ」と脅しつけたって、良い結果になんかならないのだと頭では分かっていても、悔しかったり、悲しかったり、寂しかったりで、気持ちが止まらなくなることもあるかもしれない。
本当はただ、優しくされたいし、優しくしたいはずなのに、どうしてそうなっちゃうんでしょうね。
相手に求めるものは何だろう?
話は、冒頭の「私が普段感じている子育ての苦労を、お前も少しは味わってみろ」と思ってしまうママに戻ります。
たった2日間で味わう苦労なんて、このママが普段味わっている苦労のうちの何%か分かったもんじゃありませんが、それでも味わってほしいと願ってしまう環境に置かれているんだろうなという予想はできます。
普段から良好な信頼関係を築けているのなら、こんな風に承認欲求をこじらせることもないだろうと。
理屈っぽくて共感する能力に欠けるところのある人には、「同じ立場にならないと分からない」タイプがいる。同じ立場に置こうとして失敗したのかなー
— 志乃 (@shinoegg) October 31, 2017
あくまで推測にすぎず、実際のところはわかりませんけどね。
「こんなに大変だったんだな、今までごめんな?」の一言が貰えれば、報われたと思って涙が出たり、また頑張ろうって思えたりしそう
— 志乃 (@shinoegg) October 31, 2017
「本当の願い」を、「怒り」を、「寂しさ」を、どうやって正確に伝えるか
私は不満点があると旦那に淡々と理屈で詰めるところがある(旦那談)。「これこれこうで、こうだから、あなたのこういうところに困っていて、これが必要で、そのためにこうして欲しいと思うんだけど、どう思う?(反論も想定し反論の反論も頭に置いておく)」それだって感情が爆発してる時は出来ない…
— 志乃 (@shinoegg) October 31, 2017
こういう時、「相互理解を深めて問題解決をしよう」というより「議論して自分の不満を伝えたい、要求を通したい」にすり替わってしまいがち。
で、逆に、相手のことを考え過ぎたり、遠慮したりして、何も言えなくなってしまうことも多々…。
きっとシンプルに「寂しいよ」と伝えるだけで、解決することも多いんだろうな。
ただ、それだって相手が「=俺の態度が責められている!」と感じてしまったら、心にシャッターが下りてしまうこともある。
どんなに仲のいい夫婦だって、「相手は自分とは違う他人なんだ」という事実に、時折さみしくなることがあります。
でも、その人と愛し愛されたかったら、愛を持って接し続けるしかない。
「どうして分かってくれないの!?」と泣き喚いてみたって、どうにもならない。
報われるかどうかも分からない人・ものを相手に、理不尽に耐え続けている人が、本当にたくさんいる。
どれだけ我慢したって、焼け石に水ってこともあるかもしれない。
まあ、簡単に言うと。
やってられるかーーーーアホーーーーって話。
大体のことは、因果応報。
情けは人のためならず。
たまに、本当にやってられない時があるけど。
諦めずに、優しい自分でいたいなと思います。
現場からは、以上です。
コメント
まさに1年前「同じつらさを…」と夫に思ってました。娘が夜全く寝ない時期で。ホッとしていいのか分かりませんが、ツイッターでこのようなやりとりがあって、「ああ、歪んじゃってるのは私だけじゃないんだ」と思えました。