ただ指の赴くままに、リズムの波に乗る。
風上はどっちだ。風下はどっちだ。
今は自分の重みを感じたくない。
終着点も考えずに、葉っぱが風に揺らめくように、タララ、タララと文章を書きたい。
文章を書くのは、とても楽しい。
自分の文章が好きだと思う。
うまい、うまくない、魅力があるかどうかなんて、本当はどうでもいい。
文章を書くのが好きで、読んでもらうことが好きという、純粋な気持ちを思い出すために、今これを書いている。
ブログってやつは厄介で、もう既に何人もの先駆者が言う通り、マネタイズだったり、アクセスアップだったりと、欲や義務感が絡むと、どんどん自分が削られてしまう。
何のために書いているのか、誰のために書いていくのか、明確にするのはひとまず置いておいて、ただこうして、リズムに揺られたくなった。
この文章は、ノープラン、ノータイムで書いている。いつものように、あとからあとから湧いてくる、思考を次々に言葉に変え、自分のリズムで紡いでいく。
ただ自分が心地いいだけの、何も考えていない、どこも目指していない文章だ。
だけど、あなたはどう思うだろう?
読者を飽きさせないための変化だって、時には必要だ。人生において多少のスパイスが必要なように、文章にだって緩急がいる。
思うに、ツイッターと私は、相性が良過ぎるのだと思う。
脳に浮かぶまま、大きな穴があいたザルのように、トントン拍子で排出できるものだから、いつまでも貼り付いてしまう。
子どもを放って30代主婦がツイッター廃人なんて、あんまり笑えない状態。
言葉はリズムの集合体。
文章はリズムの連合体。
指揮者気分でいつまでも、好き勝手に曲を奏でていられるのだから、楽しくないわけがない。
歌を唄うように、ピアノを弾くように、管楽器をぶっ放すように、目を瞑って文章を書けたら、どんなものになるのだろう。
たまには読者目線をも忘れて、自由気ままに振舞ってみようか。
アクセスアップもどうでもいい。
マネタイズもどうでもいい。
どれくらいシェアされたかだって、どうでもいいじゃないか。
ただ、好きなことをしよう。
好きな人に聞いてもらおう。
好きな人を笑顔にしよう。
流れるように、跳ねるように、気の向くままに、吉田兼好に。
タラタラと書いた徒然草が、まさか後世でこんな扱いになるなんて、きっと彼も思っていなかっただろう。
ちゃんとしたものを書かなきゃなんて気負わなくても、リラックスした状態が、いちばん真価を発揮する。
息抜きって、こういうことか。
中身なんて、なくていい。
心地よければ、それでいい。
歌うように書かれた文章を読むとき、あなたもつられて歌うのだろうか。
こんな記事はきっと、誰の目にも止まりにくい、こんな時間に書くのがふさわしい。朝が来るのを待ちながら、こんなこっぱずかしい文章を考えていた。
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