前回、前々回の続きです。
※3本立てとなっております。
色んな方が思い思いに拡散してくださって、おかげ様で沢山の方に読んでいただけた。ありがとうございます。「自分だけじゃないんだ。」とホッとすることって、罪悪感を弱めてくれたりするんだよね。https://t.co/fEPDVFygNA
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
親の過保護・過干渉がもたらす苦しみの例
自分のことかと思った、、、両親と一緒にいるのがすっごいしんどかった帰省中から帰ってきたところ、、、「お母さんは良かれと思って」が口癖で私の意見は全部流される。親の言うことに私がうんと言うまで怒られ続けてたし、甘えは叱りで返ってきた。この記事何度も読み直そう https://t.co/7aMNsIgWj5
— 。 (@swr_study) 2018年1月4日
毒親に優しくしたくて苦しい娘たちへ – 望月志乃のブログ – ひびわれたまご https://t.co/iCGsWgf9rn
ノートに母親が大嫌いな理由をつらつら書いたな…。金と労力かけて作って産んだ娘だから「良かれと思って」「理想」「綺麗事」「夢」の押し付けが心底苦痛。理想の結果が母曰く「子育て失敗した」— 相渕真美 (@aibuchimami) 2018年1月4日
「子育て失敗した」、わたしも言われたwwwwwあるある?どうしてみんなこうも似たようなことを言うのだろう。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
私も言われた。これほど言われて悲しい言葉は無いよ。 https://t.co/xaH0LVZx5W
— はるか@頑張って生きている (@yuu_takeoff) 2018年1月4日
「言われた子どもがどう思うか」に考えが及ばないんですよね。ふしぎなほど、こちらの気持ちを尊重しない。 https://t.co/vjfcrgH5po
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
言われましたね。そんでもってまるっと言った忘れてますね。「言ったじゃん」と指摘すると傷つくんですよね。その様子に罪悪感。なんだかなーあ。
— けてこ@うつ⇨ひよひよカウンセラー🐣 (@ketco_ketco) 2018年1月4日
「えっ、そんなこと言うわけないじゃない!勘違いしてるんじゃないの。」あるある。いや、言ったじゃん!と指摘すると逆ギレか傷ついたアピールwww
何なんだろ。みんな本当に似たりよったり! https://t.co/NNfDJlz5OE
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
親の期待に応えさせるよう、罪悪感を利用して、脅しながら言いなりにさせておいて、理想通りにならなかったら「子育て失敗した」。子どもの人格をそうやって全否定しておいて、「失敗しちゃった」では済まされない。子どもの人生は進んでいく。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
毒になる人間が親の場合、拒絶できないと共依存関係に陥って親子共々自立の道から遠ざかるし自分で出来ることが限られてくる。結果自分の人生を生きれない。
毒人間「共同環境の中で自己以外の人権を考えず自分の意思だけ通して且つ支配・洗脳・権力を用いて依存する人たち」 https://t.co/2soEVsycH1
— 草餅🍵 (@ksmc885) 2018年1月4日
「私の人生を滅茶苦茶にされた」という被害者意識がある人は、甘えの欲求が満たされていない人です。
— 加藤諦三・〆の言葉bot (@kato_taizo_bot) 2018年1月4日
親子関係においては、実際に被害者であり、甘えるべき時に甘えさせて貰えなかった人。 https://t.co/J4KaKL5D3k
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
だからまあ、親に甘えさせて貰えないまま大人になった場合、無償の愛を他人に求めては失敗を繰り返す。自分で自分を思いっきり甘やかすしかないわけだ。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
こちらの希望や感情は「どうでもいいもの」みたいに扱われて、抗議の言葉は流されて、いつしか自分でもその状態に慣れてしまう。自分でも自分を大切に扱わなくなる。結果、自分を大切に扱ってくれない人間とばかり付き合い、ボロボロにされる。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
10代の頃も、距離の取り方が全然分からなくて、友だちになりたい人に「寂しさ、分かって!」攻撃でぐいぐい迫っては、引かれて失敗してた。きっと依存にも陥り易いのだろうな…と思う。 https://t.co/dFqVo6jgkH
— みなみ 海 (@cocoro_zasi) 2018年1月4日
「適切な距離の取り方」を、まともな家庭で育った子は当たり前に身につけているんだけど、その感覚も分からない。心の距離を取り過ぎて孤立したり、逆に近過ぎて逃げられる。 https://t.co/XSDM3sO1Hl
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
だけど、どんな親にも多少の毒はある。
自分自身だって例外ではなく、そのため親になることを恐れたり、育児に不安がつきまとう。
望月志乃さんの毒親記事とその関連のツイを見て、胸が苦しくなっています(記事自体は好意的に見ています)。具体例に共感して救われる人がいる一方で、「うちの親はここまで酷くないからやっぱり私が悪いのかな…」と思う人もいるだろうな、と考えてしまうのですね。
— 高崎順子 (@misetemiso) 2018年1月4日
毒親とは程度問題で、どんな親も親である限り毒だと、私は思っています。私は自分の親に関して具体例を書く勇気や覚悟がないけれど、世間一般的に見てとてもありがたい親なのだと思うけれど、それでも毒は受けました。「毒」と感じる自分を肯定したい思いと罪悪感がないまぜになって、折々苦しいです。
— 高崎順子 (@misetemiso) 2018年1月4日
そして私自身も、どれだけ気をつけていても、我が子にとっては毒になるんだと思っています。
あれだけありがたい私の親でも毒になるのだから、私なんてもっと毒なんだろうな、と。
(この考え方自体も毒の結果なのかもですよね…メタ…)— 高崎順子 (@misetemiso) 2018年1月4日
毒親とそうでない親がいるのではない。親はみんな多かれ少なかれ、子には毒になる。世知辛い世の中に勝手に産み落としただけで、親は子に負っているものがあるし。私の考え方は極端にドライで悲観的に映るかもしれないけど、私にとって、親子関係とはそういうものです。
— 高崎順子 (@misetemiso) 2018年1月4日
だからどんな親子関係でも、人と比べず、子は胸を張って親から離れられるようになれるといい。そして親はどんな親でも、「自分はどんなに気をつけたって、この子の毒になりうる」と自覚しているくらいでちょうどいいと、思っています。
— 高崎順子 (@misetemiso) 2018年1月4日
そんな私自身が自分の子を前にして考えるのは、「できるだけ毒にならないためにはどうすればいいか」ということ。この子が持って生まれたものを伸び伸び広げて、自己否定感ができるだけ少なく、できるだけ穏やかにいられるように。言うは易しで大変なことですが…出来んのか…😭
連投以上です。— 高崎順子 (@misetemiso) 2018年1月4日
これもねえ、「それな」だし、「わかりみが深い」のよねえ。(乱暴な言い方で失礼します)。
「わたしも毒親になってしまうのでは!?」という恐怖と焦りで、娘が1歳の頃、ノイローゼになり、カウンセリングに通いました。子にとっての加害者になることが恐ろしくて。思うように反面教師にできなくて。— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
親になって、親の有難みがわかることもあるから、「お母さんよりよっぽど私の方が悪い」「お母さんは立派なのに私ときたら」と思ったり。
「わたしも毒親になってしまうのでは!?」分かりすぎて辛いです。親のようにならぬよう気を付けた結果、親のやっていることに近い行動をして自己嫌悪に陥ることもあります。
— 芹香 (@SilentSky11) 2018年1月4日
これまたブログで繰り返し書いているテーマなんですよ。自分の親を批判的な目で見ていたぶん、親になった自分に対する理想が高くて、現実とのギャップに悩み、ブーメランになって返ってくる。親を赦すことが、同じような未熟な親の1人である、自分を癒す。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
過去の親を責めたぶんだけ、現在の自分を苦しめる。完璧な親なんていないし、子になんの毒を与えない親なんていない。そこの認識の違いや、立場の違いで、意見も別れる。ずっと絶縁していた母と再会を決意したのだって、同じ母親になって、カウンセリングを受けた後に決意したこと。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
自分も親になったとき、「お母さんも辛かったんだ」と知ることで癒された。ただし、しっかりと「辛かったんだ」ってことを心の底から感じ切る段階も必要なのよね。「私、辛かった!」って、膿をだしきって初めて、次の段階にいけるのよ。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
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「親は悪くない!私が悪い子だから」と思い込んでしまったために、認知が歪んでしまう子どもがいる。
そこから抜け出すために、正当に哀しみ、溜め込んだ怒りを爆発させるフェーズが必要になる。 そうやってしっかり感じ切った後に、親とどうなりたいか、自分で決めることができる。
だから、こと毒親の話題に関しては、どの感想も、どの被害報告も、赦そうと努力する意思表明も、尊重されるべきものなんですよ。みんな歩いている道が違う。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
これは本当に、人それぞれ家庭それぞれ。私の親は精神病んでて強毒過ぎて、相手の立場にたった上でも「酷すぎる、自分の子供にはここまでのことできない」となったので、完全に気持ちの整理がついた。
解毒の方法は人それぞれ。 https://t.co/o9oV95j3lj
— HaniwaFactoryグッズ販売中 (@haniwafactory) 2018年1月4日
それもある……。5歳の娘を見て、自分の5歳の頃を思い出しては、こんな小さな子にあんなことするか!?!?と思うこともある…。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
わかります×5万くらい言いたい
色んな感情が複雑に絡み合ってて、ほぐすのは難しいなと思います。私は臭いものに蓋スタイルになりましたが、再会したり、人それぞれで、正解もないだろうけど平穏に生きる模索を続けていくんでしょうね。
今日はたくさん考えて、気付いたり決意したりです感謝!
— HaniwaFactoryグッズ販売中 (@haniwafactory) 2018年1月4日
毒親育ちとそうでない人とでは結構感覚に壁があると思うんだ。そうでない人の中には「腐っても親子なんだから!」という親子だから最終分かり合えるみたいな感覚の人が割といて、しかもその価値観を押し付けてくる人もいる。仲直りしなよとか。離れた方が平和な親子は意外とたくさんいるのよ。
— Iku🍼0m (@iku_kk) 2018年1月1日
逆にさあ、さっきの高崎順子さんの連ツイートみたいに、どの親にも毒があるからこそ、軽毒か劇毒かの区別がつかないのかも。「うちの親にも毒はあるけど私は平気」がスタートラインだから、劇毒の人に同情しつつも、無茶を言うなんてことが起こる。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
「わかったつもり」になって、「わかってない」ことを言う。なんかそう考えたほうが、しっくりくるなあ。本当の意味で毒親育ちじゃない人なんていないのかもしれない。毒の強さの違いで、溝ができている。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
でも、軽毒だとしても、辛くないなんてことでは決してない。「そうね、そういうの辛いよね、いやだよね」という共感で癒されることって、たくさんあるんだろうなあ。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
辛かったことを、ちゃんと「わたし、辛かった」と堂々と言えることができたとき、もう次のステップが見えている。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
「あなたとお母さんは違う人間だし、あなたの娘さんとあなたも違う人間なのよ。」
「自分も毒親になってしまうのでは!?」という不安でノイローゼになり、カウンセリングに通っていた頃、カウンセラーさんから言われた言葉です。
自分と娘の境界線があいまいな母に育てられ「私はお母さんじゃない!」と反発しつつも、自分もしっかり影響されてしまっているのが、哀しいところで。
「お母さんみたいな母親になりたくない。なってしまったらどうしよう」ということで頭がいっぱいになっていたけれど、私はお母さんとは違う人間だし、娘も私じゃないのだから、同じようなことをしてしまったとしても、同じ結末を迎えるとは限らない。
今だって不安だらけですが、皆さんが言うように、何とか手探りで、自分なりの子育てを模索しながら、前向きにやっていくしかないんですよね。
「毒親(加害者)になってしまったらどうしよう!?」ではなく、
「私には毒がある。だからこそ、娘にはその毒を免疫にして、たくましく育ってほしい」という考えにシフトしていった方が、建設的なのかもしれない。
親との関係に苦しみながらも、なんとか生きている、今のわたしのように、なんだかんだで子どもには、親がどうあれ自力で幸せになろうとする力がある。
娘の自立や、自己肯定感を阻害するような毒親にならないために気をつけることもモチロン大事なんだけれども、ノイローゼになるほど気負わなくても、本当はいいのかもしれない。
わたしは今、なんだかんだで幸せなので、きっと娘も、わたしがどんな親だろうと、周りの力を借りながら、幸せになる道を見つけていくんじゃないかなと思っている。
そして、そういう子育てをしたい。
たらたらと恨みつらみのようなことを書いたわけだが。前々からのフォロワーさんには伝わっていると思うが、わたしの基本的なスタンスとしては、ポジティブに受け止めているつもり。苦労したから培われたものがあるし、そんな親でも情はあるし、肝心なのは今とこれから。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
たまにこうやって、「あるあるー」とか「わかる〜〜」とか言い合って、ガス抜き(毒抜き?)することも大切なのかもね。まあ、しゃーないよね、お互い苦労するよね、ただまあ、頑張ろうや、的な。
— 望月志乃🌕名字つけました (@shinoegg) 2018年1月4日
お互い、頑張ろうや。
前回・前々回の記事(この記事は3本立てです)
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