長女が、母親の愚痴の聞き役にされるというのは、よくある話。母親が、家庭の中で被害者意識を募らせていると、一番共感を得られやすい長女を、自分の味方にしようとしてしまうとか。そこから家庭内での不和も生まれてしまう。自分も気をつけないとなと思っている。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年9月25日
このツイートに対して、「私もそうだった」という声を、たくさんお寄せいただきました。これは母親から娘だけでなく、父親から息子にもある話なんだそうです。
同性の家族に、「わかってもらいたい」「共感してもらいたい」「自分の味方になってほしい」という気持ちがあるんでしょうね。
実家でずっと「母の愚痴の聞き役」を担っていたので、感覚がマヒしてしまっていた。「愚痴を聞かされる方は辛い」し、「それを拒否してもいい」し、「愚痴っぽいと嫌がられる」っていう当たり前のことすら、知らなかった。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年9月25日
愚痴・悪口を言う=共通の敵をつくる→連帯感が生まれる
母親が家族の誰かを「悪者」にすると、そいつが「共通の敵」であり、「可哀想な母親に味方しなければならない」状況が作り出されます。
世の父親に対して「娘に好かれたければ、母親の機嫌をとれ」なんて言われるのも、このため。娘は母親による「父親のネガティブキャンペーン」を受け続けるため、少なからず影響を受けます。「母親に嫌われるようなことをする父親が一番悪い」という話もあるでしょうが、母親が我が身かわいさに、無自覚で子どもをマインドコントロール下に置いてしまうということもあるでしょう。
家庭は子どもが人間関係の基礎を学ぶ場所
家族間のコミュニケーションから、子どもは人間関係の基本を学びます。家庭内に敵がいる状態で、子どもが健全な信頼関係を築けるようになるでしょうか。
母親の感情は、母親個人のものであり、子どもには本来、関係のないものなのに、母親が自分の娘を使って共犯者にしてしまう危険性について、考えてみましょうか。
「あの人ったら、ひどいのよ。あなたもそう思うでしょう?(そう思わなきゃおかしい)」
これは、「自分は自分、他人は他人」という、自分と他人の区別があいまいな人がやりがちなことで、それによって母子の境界線があいまいになります。
結果、どうなるかというと、「お母さんのために」生きようとする子どもになってしまう危険性があります。「母親思いの良い子」と言えば聞こえはいいですが、自分をないがしろにして、他人の顔色をうかがったり、自分らしくイキイキと生きる力を奪ってしまうことになりかねません。
「おかあさんに、やさしくしたい」と思えば思うほど、自分がすり減ってしまう哀しみ。
— 志乃@アイコン変更 (@shinoegg) 2016年9月26日
孤独な母親は、長女に救いを求める
家庭内で何か不満を抱えていても、誰にも愚痴をこぼさず、自分ひとりの胸にとどめて、朗らかに笑っているのがいい母親…というふうになると、それはそれで、母親って孤独な存在だよなあ。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年9月25日
また、まったくの別件ですが、関連性があると思ったツイートを、以下に引用させていただきます。
2年ほど前に購読した「自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術」はためになる一冊だった。経験則から言って、きつい訓練に弱音を吐く隊員は訓練を乗り切る可能性か高く、愚痴一つこぼさない隊員は途中で急に折れるそうだ。読後以来、仕事の愚痴や弱音は吐くようにして、心を整理している。
— 事務課リー (@zimkalee) 2016年9月22日
@zimkalee 「大人(または男)は弱音を吐くな」という社会的なマナーは実はメンタルヘルスに悪いのだと気付かされた。弱音を吐くと自分の気持ちが軽くなるし、周囲にもシグナルを送れる。弱音を許さない社会は人をどんどん潰していってしまうのだな。
— 事務課リー (@zimkalee) 2016年9月22日
これ。これが、女性が男性の2倍うつ病になりやすいのに、自殺率が3分の1である最大の理由(私見)。https://t.co/7xGLqz3lSP 愚痴=援助希求行動。
— 斎藤環 (@pentaxxx) 2016年9月25日
「長女が、母親の愚痴のはけ口にされやすい」って話を昨日ツイートしたところ、思った以上に反響があった。長女はたまったものじゃないけど、それのおかけで母親は確かに救われている部分もあるんだろうね。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2016年9月26日
彼女らはそうやって、ストレスと孤独を解消しているのです。
長女はたまったものじゃありませんけど。(大事なことなので2度言いました)
無理してまで受け続ける義務はまったくありませんし、自分の心を守るためにも、自分と母親との境界線を死守する必要はありますが、それで彼女らの苦しみが和らぎ、救われていたと思えば、少なくても無駄な苦しみではなかったのかもしれません。
大事なのは信頼関係の築き方?
愚痴る頻度にもよるでしょうが、「質」にもよるんでしょうね。
子どもに何も愚痴らず、ストレスを溜め込めということではなく、「家庭内に敵をつくらない」ということが大事なんでしょうか。家族の誰かが、本当に「脅威の存在」であるならば、家庭という子どもにとっての「安全地帯」から追い出すことも考えなければならない。それはきっと、容易なことではありませんが、子どもの人格形成において、影響力が大きいのは、言うまでもありません。
そこまでではなくて、「面白くないから、子どもをちょっと味方につけてやれ」というような軽い気持ちで、家族の誰かを頻繁に「悪者」にするのは、やめておいた方がいいのかもしれません。
被害者意識が強すぎる”被害者”は、同時に加害者にもなりがちですから。
現場からは以上です。
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