どうも。志乃です。
お蔭様で(?)ブログの更新が滞っております。
暑くなってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
もうね。なんていうかね。
書くからにはちゃんとまとめたいな~~とか
ちゃんと調べてからにしたいな~~~~とか思いますと
こうね、ガッ、とブログを更新する勢いが足りなくなるといいますか。
書きたいネタは色々とあるものの、億劫になってしまいました。
まあ、それはおいおい書いていくとして。
今回はもう、肩の力を抜いて、とりあえず更新しとこうかなみたいな。
そんなノリです。
むりやりライフハックに繋げますけど、この方法、やる気を出す方法として有効みたいですね。
「とりあえず軽くやり始める」のが、エンジンをかけるのに最も適した方法らしいです。
Twitterの方に、ここのところADHD当事者として思うことをタラタラと垂れ流しておりますが、ブログ記事にまとめるとなると、ハードルが上がりますね。
何でなんでしょうね。
適当でいいじゃないか。
関係各所にご迷惑がかからないよう、なるべく配慮するところはして、そんな感じでいこうじゃないか。
この記事、ここで終わってもいいじゃないか
…と思いましたが、それではあまりにあまりなので、ここ最近のツイートを以下にまとめてみたいと思います。よろしければ、偏屈者のいち意見として、軽いノリで読み流してください。
想像の及ばないものを否定したくなる心理
twitterでもたまに見かけるけど、自分の観測外であったり、常識外の話をされると「嘘松(嘘つくなの意味)」とリプを送ったり、「釣り(作り話)」「自演(わざとやってる)」と決めつける人の多いこと。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
Twitterの方でも言及しましたが、これ、全く他人事ではないんですよ。
自分の視野外の出来事に対して、想像力が欠如してしまったり、うがったものの見方をしてしまうことがあるということを、身をもって学びました。
自分にとっては当たり前だと思っていることを、何度注意しても出来ない相手と遭遇した時、「わざとやっているのか!?」「もしかして、悪意があるのか?」と、頭にきてしまったり。
「相手の立場になって考え、理解する」ことは、実はとても難しいんですよね。
例えば私は料理が苦手だけど、当たり前にできる人からしてみれば、なぜうまくできないのか理解ができないらしい。それで結果として、その人の中で「こいつは、注目を集めたくてわざと失敗しているに違いない」となる。当たり前だと思うことほど、できない人の理解が難しいんだよね。
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月21日
で、そういう人に「そうではなくて、実は脳の障害で2つのことが同時にできないんです」と説明したら分かって頂けるかというと、決してそういうわけでもなく、今度は「努力不足を棚に上げて障害を言い訳してる」と言われる。でも、たぶん、そんなもんなんだよね。皆、そんなもんなんだよ。
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月21日
そういうものだと、まず受け容れる。
発達障碍者が幸せになるのに不特定多数からの理解は必須か
健常者の皆さんに理解されずとも、自己肯定感さえ身についていれば、強くしなやかに生きていける。他人に理解してほしいと思うから苦しくなる。分かるわけがないと割り切って、自分を好きになる努力をした方がいいんじゃないかしらと思う今日この頃。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
発達障害を持って生まれたからって、何も悪いことをしていないのに、ただ真面目に生きているのに、バカにされたり、見下されたり、哀れまれたり、責められたり、周囲にお伺いを立てながら生きていかないといけないのか。それが嫌なら隠すかのどちらか。その二択。ホンットーに意味がわからんのですよ。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
生まれ持ったもので偏見を受けたり、差別されたりするの、感覚的には、「AB型って周囲にバレたら変人だと思われて差別されるから黙ってなきゃ…」みたいな感じ。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
私が知ってるADHDの方々、みんな魅力的。ふつうじゃないから、刺激的。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
啓蒙活動と好感度の影響と、その危険性
理解してもらうために1番手っ取り早い方法が、「愛されること」。嫌われたらその時点で理解から遠のく。だから理解を広めるアイコンとなる人物には、好感度が重要になってくる。大衆から理想化されればされるほど、内外からの風当たりが強くなる。そのいい例が乙武さん。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
理解ってなんなのかしら。好感度に振り回され、他人の価値観に左右され、理解を求めれば求めるほど本質の理解や多様性の認知から遠のく。そんなに重要なことでもない気がしている。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
一方で、理解されず、傷ついている人たちが沢山いる。
その経験がまた孤独感と人間不信を強め、生きづらさにつながっていく。
他人から理解されなくても私は私だし、アピールせずとも好意的な人は好意的、アピールしたところで無駄な人は無駄。心理学は統計によるもの。発達障害者は全体の5パーセント。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
マザー・テレサにもアンチはいたし、苦悩があった。それを考えると、聖人になっても、万人から理解されるわけではないし、それによって孤独が埋まるわけでもない。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
「自分にも他人にも優しくありたい」というだけなのに、他人を尊重すればするほど孤独になるふしぎ。そりゃアンパンマンも自己犠牲の結果、愛と勇気だけが友達になるよという
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
他人にも、自分にも優しくありたい。それだけのことが、本当に難しい。他人に優しくあろうとするほど、孤独と隔たりを理解する。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
旦那にはよく「世の中、色んな人がいる。人は分かり合えないんだよ…」と諭されるので
「それでも理解したくて、落ち込んだ時はマザー・テレサの言葉botとか見てる」と言ったところ
「……分かり合えないわぁ…」としみじみ言われた。家庭内分断。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
夫婦といえど、全て分かり合えるわけでもないが、それは別に悲しいことではない。
心に余裕がある人を探す方が難しい社会
ほんとそれ。みんな余裕がないんですよね。理解してくれと言うのも酷かなと思う。 https://t.co/cKouH9IJ9b
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
うちの母に「発達障害って診断されたよ」と報告したところ、「あんたはそんな障害者なんかじゃないから気にするな、自信を持て」という旨のことを言われ、それ以上何も言わなかった。「障害者」という言葉による、理解のシャットアウト。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
最近、「息子から自分は発達障害だと言われ、寝耳に水で強いショックを受けたものの、夫婦で本を読み、専門家に会いに行った」というご夫婦のお話を聞いて、羨ましく思った。家族に、知ろう、理解しようという姿勢があるのとないのとでは大違いだよなあ
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月21日
わたしが望んだ形ではなかったし、多少どころかだいぶ歪んではいたものの、母が私を母なりに愛してくれたんだろうと実感できる今は、何が正解なのかよく分からないし、どれも正解なのかもしれない。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
母が私を理解することはたぶん一生ないけれど、愛されてはいる。それでいいんじゃないかとも思う。理解がなくても愛が成立するのも確か。
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月21日
あなたが求めるものは何?
理解されたいのか、愛されたいのか。構ってほしいのか、放っておいてほしいのか。認められたいのか、自信を持ちたいのか。集団の中で許されたいのか、ひとり自由になりたいのか。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
あなたが理解して欲しい人は誰?
やっぱり何度考えても、いつも同じ結論に行き着く。発達障害のこと、家族が理解してくれれば、それでよかったのかもしれない。世間なんてどうでもよくて、大事な人に理解して貰えればそれでよかったのかもしれない。私の場合は、その1人に期待していないせいで、他人への理解そのものを諦めている。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
理解する力のない人に、理解を求めても、それはそれで暴力みたいなとこあるよねえ
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
「他人に期待し過ぎる」のと、「承認欲求に振り回される」ってことなのかな…。どちらも原因は、自分自身に対する無力感かしら…。 https://t.co/LbFHI0oI9d
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月21日
自分で自分を愛せないことによる弊害。結局のとこ、やっぱり他人は関係ないなあ。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月21日
他人に期待し過ぎて苦しくなるのは、「自分と他人は違う人間であり、他人は他人で自由にしていいし、自分も自分で好きにしていい」という感覚が弱いせい。
「自分はこれでいいんだ」という自己肯定感が弱いと、そうなってしまいがち。
優先順位を決め、一番大きな目的が達成されれば完璧でなくてもいい
忘れ物が多くて、学校で困ったことは数知れず。でも、そのうちに対処法をすぐに覚えた。先生に言う、友達に借りる、あるもので工夫して誤魔化す。同じく忘れ物が多い子はいつも多めにお金を持っていて「困ったら現地で買う」と言っていて、目からウロコだった。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月22日
「忘れ物で困ったら現地で買う」という選択肢。我が家では「無駄遣いは絶対にダメ」「忘れ物をするのは確認不足でだらしないから」「だらしなさを無駄遣いで解決するなんて」という教育方針だった。その影響か、今もほしいほしいと言いながら食洗機が買えてない。
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月22日
「ちゃんとしなさい」
「◯◯すればいいだけだろ」
という責めに「どうしてもちゃんと出来ないから、こうやって解決したい」と言っても
「それはダメだ。ちゃんとすればいいだけだ」と返され。具体的な手助けは何もなかったりすることもザラ。— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月22日
「目的が達成されれば手段はどうでもいいじゃないか」というのが理解されず、「こうあるべきだ、みんなそうしているから、深く考えずに従え、ちゃんとやればいいだけだ」と言われたり。この場合、忘れ物をしたとしても困らなければいいという。
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月22日
問題解決できないとしても心を楽にする方法
何にも解決しなくても「自分だけじゃないんだ」と知るだけで心が軽くなることって沢山あって、理想と現実のギャップに悩む育児なんて特にそう。(これを言ったら引かれるから黙っておこう)という、自己嫌悪に苦しめられている内容のことも、「うちもそうだよ…」の一言に救われる。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月22日
やっぱり人間を最も苦しめるのは、孤独感なんだろなあ
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月22日
一連の発達障害タイムラインを見て、旦那も何か思うところがあったらしく、「………ADHDの人の、とんがったところが好きだよ…」と言い残して寝室に消えた
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月22日
とんがっている自覚はない妻
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月22日
無力感と孤独と、自他の境界線
「努力が報われてほしい」という願いを、みんなきっと少なからず持っていて、感謝されることで、「ちゃんと貢献している」という喜びを得ることが出来る。「他人に期待し過ぎる」「承認欲求に振り回される」に続いて、「感謝されたがる」。どれも、「無力感」から来るものなんだろうな。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月23日
自己肯定感を持てない大人が増えている。人間は「与えられたもの」しか与えることができないから、自己肯定感を持てない子どもも増える。自分のために生きて、「誰かのため」の行為すらも、自分のためだと割り切るのが理想なんだろうけど、人間ってそんなに強くないし。
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月23日
そんなに強い人間ばかりでもないし、時代背景もあるんだろうに、こと「親」になると、みんながその理想像や強さを赤の他人に強く求めるわけだから、親も大変。2分の1成人式の問題点が「子どもへの感謝の”強要”」だとしたら、もう「親に手紙を書く日」とかにしてしまおう。感謝状も抗議文も可。
— 志乃@3月末から東京 (@shinoegg) 2017年5月23日
無力感を和らげるには自己評価を高めよう
なんで「無力感」を感じるかって、努力が報われない出来事が続いたり、ストレスや疲労感が原因だったりするわけで。やっぱみんな疲れてんだろうなーと思う。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月23日
ちいさなことから始めて、成功体験を積み重ねることで、すこしずつ自信を持てるようになっていく。どんな小さなことでも構わないから、「自分はできるんだ」という気持ちを少しずつ育てていこう。
他人に期待し過ぎる時ほど、自分に自信を持つ方向に行ったほうがいい
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2017年5月23日
偉そうに書いてみましたが、これらすべて、自分に向けて書いたエールのようなものです。お互い、頑張って生きましょうね。
現場からは、以上です。
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