取り急ぎ、ツイートのまとめです。
愚痴の上、読みにくい箇所があると思いますがご容赦ください。
ママの気持ち、子どもの気持ち
“そのママは「子どもがちゃんとごはんを食べてくれない」という悩みを持っていました。 ところが僕にはそれよりも、子どもにご飯を無理やり食べさせているように見えたことが気になったんですね。
「ああ、最後のここ。このあげ方だと子どもは荒れちゃうよね」って。 (中略)
でも、それに対して妻は「あなたには何も見えていないのね」って言ったんです。”
“「このママはちゃんとごはんを作ってあげてるじゃない。それを子どもに食べてもらえない、このママの気持ちは?このママが子どものためにどんなに丁寧に工夫して、料理をしているか、想像できる?」って。”
こちらの記事は、悩みながら一生懸命子育てをするお母さんに「あなたは自分らしく子育てをすればいいんだよ、あなたはあなたでいいんだよ」と、優しく寄り添う内容のものです。この記事に救われるお母さんが、沢山いらっしゃるのだろうなと思いつつ、私は自分自身の体験から、引っかかるものを感じてしまいました。
“「正しさはあなたたちの外にあるのではなくて、あなたが子どものために頑張ろうとしているその中にある」ということを、すごく大事にしたいと思っています。”
” そうすると一方で、「そんなに認めてばかりいたら、その親が反省しなくなる」とか言う人がいるんだけど、いやいや、それは違う。
「わたしはわたしでいいんだ」と思えるときに、人はその人の一番良いところが出てくると思うんです。”
「こんなに素晴らしい母親は世界中のどこ探したっていないよ!?」と、「〇〇ちゃんのためにこんなに身を削って頑張ってるのに…」が口癖で、いくら「頼んでない、やめて」と言葉を尽くして伝えても、まったく聞く耳を持ってもらえない母を持ち、許容量以上の「親心」を押し付けられてきた記憶が、フラッシュバックしました。
小食の子どもを心配して、何とか食べてもらいたくて奮闘するママの頑張りを否定したいわけじゃないんですよ。ただ、限度はあるよねっていう話。
まともな感覚を持った人なら、程度をわきまえるのでしょうが、厄介な方向に確信を持ったまま妄信的に突き進む母親を持った子どもは、延々と「ママの気持ちはどうなるの?」を押し付けられることになる。
「心配だから」と盲目になり、苦しむ相手の顔が見えていない
要らないって言ってるのに大量に作って、食べられないと拒否すると嫌味と文句を言われて、「どれだけ頑張って作ったと思ってるの…!捨てるの勿体ないから食べてよ」と「母親の気持ち」を押し付けられる。「母親の頑張り」を受け取れない子ども側が悪いことになる。いやーほんと、アレは辛い。
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
「小食だから適量だけ作って」
「そういうわけにいかないでしょ!」
「何でそういうわけにいかないの?」
「いいからもっと食べて~!」
「もう食べられない…」
「また捨てることになるじゃない!勿体ないからもっと食べて…!」
「じゃあ最初から適量を作…」
「そういうわけにいかないでしょ!」— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
何 故 な の か
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
こっちも必死なので「何でそういうわけにいかないの?何で?」と何度も理由を尋ねるものの「親心でしょ!」であるとか「心配なの!」であるとか「食べないと死んでしまうよ!」を繰り返すばかり。
「これ以上は受け取れない」と意思表示しているのに、「素直に受け取らないお前が悪い」と言わんばかりで、どうにも要領を得ない。いくら「もうお腹いっぱいだから、お願いだから、食べ物を押し込もうとするのをやめて欲しい」と訴えても、暖簾に腕押し状態。
「文句あるなら自分で作りなさい!!!!!!」
で
~ Fin ~
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
作ったら作ったで横でネットリと監視され、わざとらしく褒められ、食事も、料理も、楽しくない作業に感じられました。
うちの母、食育にかなり力を入れていたのに、今のわたしは食卓に悪い思い出しかない、食に全く興味のない大人になってしまって、うまくいかないもんだなとおもう。
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
「母親を救う言葉」が、巡り巡ってその子どもに良い影響を与える。「母親を追い詰める言葉」が、結果的にその子どもに悪影響を与えることもある。それも分かるが、なんだかモニョるのは、挙げられた「食べない子どもに無理やり食べさせようとする」例が、私にとってトラウマだからだろうなあ。
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
「せっかく頑張ったのに!」と子どもにキツく当たってしまうくらいなら、離乳食はレトルトでいい。
「離乳食は手作りで!市販品なんてとんでもない」と母親に多くを強いるほど、母も子も追い詰められる。だから「正しさを求めて思い詰める必要はない」というマメ先生の言うことも正しい。— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月18日
「母親にとって耳障りのいい言葉」「母親を救う、母親にとって都合のいい言葉」が、イコール「子どもを救う言葉」とは言い切れなくて、なんかこう、うのみにできないんだよね。だから悩む。悩むだけ、子どもを思って、頑張っている証ってことなのかな。
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
「志乃ちゃんは全然食べてくれなかったから、チビ乃ちゃんは良い子ね~~~いっぱい食べる子ね~~~~本当に大変だったのよぉ~(以後長い苦労話)」と言いながら、チビ乃に1日中ずーっと食べ物を与え続け、お腹を壊していたので、とにかく「いっぱい食べるのが正しい」世界に生きてるんだろうなあ
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
すぐにやめさせて抗議しましたが、傷ついた顔をしながら同じことを繰り返そうとするので、何が悪いのか分かってない様子でした。
しんどいですよね。毎食こんな感じだったので、小食になるのも納得かもしれない…
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
その価値観に加え、「ご飯を食べてくれること=自分の承認」になってるから、拒否されると即ち自分の存在が否定されたと感じる。料理を作ることが存在理由になっている。 https://t.co/NTygzbvnGF
— きゃたまそー (@tamatama1127) 2018年1月17日
食育に力を注ぐ親のせいで食に興味を持ちたくない大人に育った人たち、何人も見た。
強制やダメ出し、非難否定が多く、食事や調理が楽しいものと思わせてもらえない環境が、そこに意識を向けることを忌避してしまう原因になるんだろうなぁと。 https://t.co/VAc6jTQwSs— none (@last_alterego) 2018年1月17日
フォロー外から失礼します。私、それ小学校の給食でやられました。どうしても喉を通らなくてプレッシャーがどんどん酷くなり、昼休みや掃除の時間、5時間めの授業でさえ、食べ終わらないので、私ひとりで机の上が給食でした。食事って何ですかね?
— りりむ@フキアレナサイ (@kumaririko) 2018年1月17日
ご飯以外にも言えそうですね。
我が家は服や物でした。結局着ないし使わないから遠くない未来に捨てるんですが、とても詰られます。なぜか俺が欲しくて買ってもらった事になっているので、余計に参ってしまう( ;´Д`)— 秀蔵(おきと かおつま←) (@v7SJmb2VESF2jIH) 2018年1月17日
これは食べ物だけど、きっとここに「教育」や「自分の夢だったこと」など色んなことが当てはまるのだと思う。
親は子どもの人生に乗っかってはいけないし、そのためにも親は子どもと違う“親自身の”人生を歩くことが必要。 https://t.co/VwAazdEe3R— みなみ 海 (@cocoro_zasi) 2018年1月17日
与えた分だけ食べてくれるって、承認欲求を満たすもっとも簡単な方法なんだろうなぁ
— あす (@Cavahokkun) 2018年1月17日
私の母もそれに近かったので辛い心境お察しします。ご飯を与える自分に酔ってるだけで、受け取り側の気持ちや体調は関係ない人っていますよね……
— かに@野良カタソ民 (@Taraba_doll) 2018年1月17日
「遠慮しないで〜」とか夫実家で起こる。いや、要らないですから。そんなに食べられないのでって言うと、罪悪感を押し付けてくるか、嫌味を言われるかどちらか。
だから私はダッシュで逃げる。
食欲も食べる量も個人差あるのわかってくれ。 https://t.co/jKpwl3Miq8— のっち@大学進学予定 (@kiko_ni) 2018年1月17日
#志乃書 #川柳 https://t.co/Q8wCciBjyC pic.twitter.com/VH111QHI9i
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
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— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
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— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
最近よく考えるんだけど「親がバカに見える」って結構不幸なことだよな。できることなら、感謝したいし、尊敬したいもの。
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
日本語を話しているはずなのに、一向に気持ちが伝わらない時、絶望を感じる。それが親なら尚更だ。
わたしが子どもの頃にSNSがなくて良かったと思うこともあるけれど、当時こうやって悩みを吐き出して、「あるある」と共感して貰えてたら、今どうなっていたのかしら。
— 望月志乃🐈猫が来るぞーー (@shinoegg) 2018年1月17日
完璧な母親なんていない。
悪い影響だけじゃなく、良い影響もたくさん受けている。
母は母なりに、必死だったということも分かる。
それなのに、もう割り切ったつもりで、まだまだ私の胸でインナーチャイルドが泣いている。こうやって吐き出すことで、少しずつ気持ちの整理をつけているのかもしれない。
今回も、様々なご意見をお寄せいただき、本当にありがとうございました。
コメント
「母」の立場として、なんだか、胸が痛くなりました。当方、5歳・0歳の息子持ち。母は、きっと「認められたい」のだと思います。愛情を押し売りしたいわけじゃない、でも結果的に押し売りになり、それがいつしか「なんで認めてくれないの、私が悪いの、ねえ、なんでよー!」って。自己顕示欲が満たされない、たぶん、自分が正当な評価をされてないと、勘違いするんですよね。子供はちゃんと親を認めてる。あまつさえ「自分が親を嫌いだと思ってる、高圧的だと感じてるのはもしかして、自分に原因があるんじゃなかろうか、自分が親を嫌ったら可哀相」と、逆に自分自身が欠陥品でないかと錯覚し始める。誰も彼もたぶん、どこかで幸せになりたいと思っているのに、そのゴールだけは見えていて、そこへ行き着く為の方法と道順を知らないだけなんだと、ふと、感じました。そういう私も、母が苦手な事もありました。ともすれば、今でも「ああ……」と溜息を吐きたい瞬間もあります。
ブログ主さんには、きっと、ブログ主さんでしか解決できない問題、あるいは、解決しきれない深い物があるとは思いますが、あまり、ご自分を責めずに、せめて、自己愛一念になさってくださいね。自己防衛が、最終手段だと思いますし、それ以上、母を重荷に感じたくない時の、最良の手段だと思いますので。
厚かましく、長文失礼しました。
はじめまして。昨日ツイッターで志乃さんを知り一気に記事を読ませて頂きました。日頃母親からとしてどう生きるべきか悩んでいる身として、親批判の記事はとても参考になりました。
なので少し前の記事にはなってしまうのですが気になったことがあってのでコメントさせていただきます。私も3歳の娘がご飯を食べなくて怒ることが多々あります。食欲がないわけではなくお菓子やパンなどは食べるので志乃さんの話(少食なのかな?)とは少し違うとは思うのですが…。それでもやはり「手作りの料理を食べてくれるとうれしい」「せっかく作ったのにもったいない」という気持ちがないわけではありません。なので「無理やり食べさす」という親の気持ちも分かります。(ちなみにうちの母も「拒食症なのでは?」と心配して山程食事を出す人でしたがただ私はダイエットしていただけです)
以前の記事の「ネットの親批判のそもそもは、ダメな親から受けた自分の幼少期の被害を重ねているのでは」という内容、この記事の志乃さんの発言にも当てはまるのでは、と思いました。今回の志乃さんの意見は「被害を受けた子供側」のものだと感じました。普段母親側の立場からの記事が多かったのでよけい目に付いたのかもしれません。
もちろん無理やりご飯を食べさす親批判だけでは終わらず、見えないところからの母親への食育の重圧などにも触れているところがさすが志乃さんと思いました。なんでも手作りが至高、市販品や添加物は悪だからあんなもの食べさす母親(なぜか母親のみ)は母親失格だ!という風潮には私もうんざりです。ただ、あれだけ母親の気持ちに寄り添っていた志乃さんにここまで書かせてしまうというのは、子供の頃のトラウマや恨みというのはものすごく根が深いのではないのかな、とこの記事を読んで感じました。
幼少期に被害を受けた人VS必死な母親…この争いいつ終わるのですかね。私自身も異常に他人の目が気になり批判に弱いタイプなのでとても育児し辛く、なんとかならないのかなぁと考えています。
的外れなコメントでしたら申し訳ありません。志乃さんのブログ読んで感銘を受けたのでこれからもがんばって下さい。長々と失礼しました。