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御礼を言おうとすると、気持ちが悪くなるのは何でだろう?「ありがとう」の魔法

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どうも。志乃です。

今日はクリスマスイブですし、ちょっと気持ちの悪い文章を書こうと思います。

「いつも気持ち悪いから大丈夫」とか、そういうことを言うのは思っていても、やめてください。どんまい。

 

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「ありがとう」は言えば言うほど幸せになる魔法の言葉

人間は、何かに心から感謝した時、とても幸せを感じる生き物なのだそうです。

キリスト教徒の方は、いつも神に感謝しているイメージがありますが、そういうところにも、つながっているのかもしれませんね。

 

私は人よりも迷惑をかけやすく、人よりも「ごめんなさい」を言う機会が多い特性(ADHD)を持って生まれてきたせいもあり、そのぶん、「ありがとう」をたくさん口にするように心がけています。

御礼を言っているということは、その数だけ誰かのお世話になったということ。

どんな細かいことでも、多ければ多いほど、ありがたい気持ちになってくるんですよね。

「うわ~~~!しあわせだ~~!!」というスイッチが入る

そんな感じで、いわば「ありがとうポイント」が心に貯まっていって、ある一定量に達した時、この見出しのような気分になります。

うっわ、超しあわせ、超恵まれてる、みんなホント愛してるわ~~~みたいな。

欽ちゃんの仮想大賞の得点台を思い出してください。気分は大体あんな感じです。

途中で嫌なことがあると伸び悩んでトゥ~~~ン↓ となることも。

全世界に愛を振りまきたくなる

気持ち悪いでしょ。気持ち悪いんですよ。

でも、「ありがたやメーター」がMAXになると、いつもそんな気分になるんですよね。Twitterで「みんなありがと~~!愛してるよ!!!!」みたいなことをアイドルよろしく書き殴りたくなる自分を、いつも制止しています。

 

35歳ですよ。そのへんのおばちゃんですよ。

アイドルがステージの上から観客席に向かって叫ぶならともかく、私が突然そんなことを言い出したら、お前は一体どうしたんだって話ですよ。

ある意味、酒もク〇リもやらずにそんな精神状態になる自分に、お得感も感じます。

ただ、そこまで気分が盛り上がると、その後に揺り戻しが来て、同じだけ落ち込む波がくるのですが、その話はまた別の機会に。 

むやみに感謝や好意をバラまくことが気持ち悪いのは何故か

なんでしょうね。あ、今わたし、気持ち悪いなって思うんですよね。

「あ~~幸せだな~~」と思う瞬間に、その世界を構成するすべてに感謝を伝えたくなる。それが宗教的だからなのか?そもそも宗教とは気持ちの悪いものなのか?

そういう偏見と差別的な意識が、(そんなつもりは全くないが)自分にあるからなのか?

単純に、ラリっているように見えるからか。

 

好意をぶつけられたら、誰だって悪い気はしない…

 

…とも限らないのが、哀しいところ。

 

誰かの役に立つと嬉しい

誰かの役に立ちたいという気持ちも、人間の欲求のひとつで、心理学では「自己超越欲求」と言います。

アメリカの心理学者、アブハム・マズローが提唱したもので、誤解を恐れずに超ざっくり説明すると、人間は、ひもじくなかったり、安全だったり、居場所だったり、尊厳だったりがちゃんと保障されて、自分らしく活動できるようになると、より高い次元に達して、エゴや自我を超えた、優しい気持ちになるとか、そんな感じ。それによって、奉仕の心が生まれたり、余計なことを考えずに、ただ目的のために純粋に生きられるようになる。みんなそこを目指して生きている…らしいよ。

 

「自己の超越、真、善、美の融合、他人への献身、叡智、正直、自然、利己的個人的動機の超克、『高次』の願望のため、『低次』の願望を断念する、増大する友情と親切、目標(安静、静謐、平和)と手段(金銭、権力、地位)とのやすやすたる区別、敵意、残忍、破壊性の減少」

出典:A.H.マズロー「完全なる人間-魂の目指すもの」

なんだか小難しいですが、まとめると、食べ物、安全、居場所、自分らしさが保障されると、エゴを超えて他人に優しくなったり、誰かのために役立ちたいという精神状態に達すると。 逆もあるんでしょうね。

「人はね、いつも、何かの役に立ちたくって生きているんだよ」

私の大好きな漫画「彼方から」にこんなセリフがあります。

ある日突然、異世界に飛ばされた、なんの力も持たない普通の女子高生・ノリコが主人公の物語。

自分の非力さを嘆きながらも、その中で「今の自分にできることは何か」を必死に考えて、異世界語を覚えたり、仕事を手伝ったり、けなげに努力する女の子なのですが、物語の終盤では、そんなノリコが深い傷を負ってしまい、ベッドから動けなくなってしまいます。

敵のボスはノリコを狙って、モンスターの大群を引き連れて襲撃してくるので、ノリコをかくまった村の人達に、たいへんな迷惑がかかってしまう。そこで「今の私には(迷惑をかけるだけで)何もできない」と、謝りながら泣くノリコに、仲間のひとりが、こう語り掛けるシーンがあります。

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『彼方から』文庫版7巻P.162より

今のノリコにもできることがあるよ。「ありがとう」って感謝することがね。

ノリコ、人はね

いつも、何かの役に立ちたくって生きているんだよ
今、自分たちが生きているこの世界のために
この世界に生きる色んなものに対して、自分を生かして何かの役に立ちたい
そして役立てるとわかったら…不思議だね。
生きる力が湧いて出てくるんだよ
ありがとうって受け入れることも、それもまた力になれることなんだよ

出展:『彼方から』文庫版7巻P.164より

 

御礼を言うだけで、誰かの役に立てる。

御礼を言うことで、自分も幸せになる。

言えば言うほど、幸せを呼ぶ言葉なんだなあと思います。

 

「あなたのため」と言う人の瞳には相手が映っていない

「あなたのためにやってあげたのに!」という人の殆どが、実は相手のことなんかちっとも見えていなくて、自分自身のエゴを押し付けているだけっていうのは、哀しいけれど、よくある話。

あなたの役に立ちたいという気持ちが、単なるエゴの押しつけになってしまったり、そうやって相手をコントロールしたいという支配欲のあらわれに過ぎなかったり、「だから私を認めてよ!!」という、自己超越欲求というより、その前段階の社会的欲求(帰属欲求)や、承認欲求からのものだったりして、その結果、ただ自分の欲望のはけ口にしたいだけの、独りよがりなものになってしまうこともある。 

 

一方通行だとエゴになってしまう?

例えば、すごく面倒をみた自覚のある相手に、「本当にありがとう!」と言われたら。

ああ、よかったな。嬉しいな。また何かあったら、力になりたいな。と思うかもしれない。等価交換といえば聞こえは悪いが、1対1で向き合っているわけだし、納得もできる。

この、「役に立てたという実感」が気持ちの良さにつながるんだろうか。

 不特定多数にバラまいても、うさん臭さが生まれてしまうだけなんだろうか。

 

でも、自分には何の身に覚えもないけれど、深く御礼を言われることもあって、そういう時だって、とてもうれしく思ったりもする。

 

「役に立ちたい」を拒絶された時、とてもショックを受ける

かと言って、ありがた迷惑がわからない相手からの好意の押しつけは、受け手もしんどい。

結局のところ、人は孤独で、その孤独を埋めるための手段として、様々な欲求が存在するのだろうか。「ありがとう」は、言うだけで、その溝を、簡単に、あたたかく埋めてくれる気がする。

「ありがとう」を言われたくて、暴走してしまうこともあるんだろうな。

 奉仕は、誰のためなのか、何のためなのか

自分のためと思っていても、相手のためになっていることもあるし。

相手のためと思っていても、自分のためでしかないこともある。

ある人には感謝されても、違う人には拒絶をされたりもする。

どうやってバランスをとっていくのか。

何も正解なんてないのかもしれない。

 

ただひとつ確かなのは、「ありがとう」をたくさん言っていると、心の中に「ありがとうポイント」が貯まって、頭の中で欽ちゃんの仮装大賞のファンファーレが流れ出すということ。

 

「情け」を受けた時の態度で、自分が幸せになる

情けは人のためならず。

自分のしたことで、他人がどう思うかはコントロールができないけれど、他人にしてもらったことを、自分がどう思うかは自分で決められる

すこしでもお世話になった時や、ありがたいと思った時、「ありがとう」をちゃんと言うように、娘にも教えています。

 

あなたの”ありがたやメーター”が満杯になりますように。

メリークリスマス!!! 

 

現場からは、以上です。

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