運転免許を取った。
猫を飼った。
覚悟の無さを、ADHDのせいにするのを、やめることにした。
こんなタイトルにしているけれど、別にそんなカッコつけたことを言いたいわけでもなく、むしろ「それでも他のみんなは、頑張っているんだよな」という、どちらかというと情けない出発点。
ADHDは個人差が激しく、同じような特性に見えても、皆がみんな同じように苦しいわけでも、同じように頑張れるわけでもないんだけども。
仲間たちの色んな生き様を見ていると、勇気づけられるものがあった。
「迷惑をかけたくない」
「わたしにはきっと責任が取れない」
「自分にその資格はない」
「迷惑をかけるくらいなら、最初からやらない方がいい」
他人より「衝動性による失敗」が多い人生を30余年も歩んでいると、そりゃまあ慎重にもなる。
「また迷惑をかけることになったらどうする?」
「また失敗したらどうする?」
自動車免許も、猫を飼うことも、「命」に関わることで、失敗は許されないと思っていたし、実際のところ、そうだと思う。
慎重になり過ぎるくらいできっと、ちょうどいい。
ただ、自分で言うのも何だが、こう見えて根は真面目なもんで、慎重に慎重を重ねた結果か、運転免許教習所では一度も引っかかることなくストレートで合格。
何年も悩んだ割に、何の問題もなく、あっけなく卒業できてしまった。
(※全てのADHDがそうであるとは限りません)
免許を取った後も、念には念を入れて、旦那がいない時は運転をしないようにしている。
猫を飼うと決めたのだって、もう1年も前の話。
去年の春にはもうすでに、ペット可の物件をわざわざ選んで暮らしていたのに、(わたしにその資格があるのか?責任が取れるのか?)と悩み続け、決断するまでに1年ほどかかってしまった。
事前にリサーチをして、グッズを揃えて、万全の体制で迎えなければならないと気負っていたのに、いざ子猫を迎えてみると、はりきって用意していたものが無駄だったりすることも多くて、どうにも「最初から完璧さを目指す」悪い癖が出ていたのかもしれないなあと思った。
「ADHDの人はね、真面目な人が多いんですよ」
専門家から、そう言われたことを思い出す。
それもそのはず、小さなころから叱咤される場面が多くて、「ちゃんとしなくちゃ」という気負いがみんな、人一倍強いのだと思う。
その反面、無責任だとか、不真面目というレッテルを、自他ともに貼られやすいのも、なんとも切ない話である。
猫を飼うことに対して踏ん切りがつかない私に対して、匿名メッセージなどを通して、たくさんのアドバイスをいただいた。
ADHDを抱えながら、長いこと猫と暮らしている、先輩方からだ。
そのメッセージの数々から、試行錯誤を繰り返しながら、時には悩みながら、愛猫たちと向き合っている様を、伺い知ることができた。
最初から飼い主として完璧な人なんていないし、100%の自信を持って飼い始める人なんて、実はいないのかもしれない。
なんだか、子育てと似ていると思った。
「そんなに気負わなくても、どうすればいいかはきっと、やって来た猫ちゃんが教えてくれますよ」と教えてくださった方がいた。飼い始めてまだ1週間しか経っていないが、その言葉の意味が、分かる気がする。
覚悟とは、どういう時に芽生えるのだろう。
勢いによる部分も、大きいような気がする。
信頼とは、どういう時に感じられるのだろう。
一つ言えることは、わたしは、あまり私を信頼していないということだ。
わたしをよく知っている人、もしくは近しい人ほど、わたしに対して「心配」をする。
「大丈夫?やめた方がいいんじゃない?」
私もよく、そう思う。
わたしを信頼している人ほど、「できるよ」と言う。
わたしは信頼していないので、「どうかな」とそれを否定してしまう。
自分を信じるということは、自分で自分にGOサインを出すということ。
Goサインを出した後は、何が起こっても、責任をとる覚悟で臨むこと。
「わたしには無理」「やめた方がいい」というのはとても簡単で、先延ばしにしてしまいがちだけど、諦めきれないその気持ちは、先延ばしにしたところで消えることはない。
「みんな頑張っているのに、頑張れない自分が情けない。」となってしまうのも、悪いことではないけれど、なんとかそこから、「みんな頑張っているんだな、私も頑張ろう。」に持っていきたい。
できそうもない時は、やらなくてもいい。
周りを頼り、最初から完璧は目指さない。
気負わず、無理せず、出来る範囲を把握する。
過信したり、かっこつけても、面倒なことになるだけだ。
卑屈にも、尊大にもならず、ありのままの自分を見極める時間は必要だ。
もしかしたら私にも、出来るかもしれない。
そう思えるか思えないかの違いは、似たような悩みを持つ仲間たちからの
「あなたなら、きっとできるよ!」
という、一言なのかもしれない。
長所は短所であり、短所は長所であるとするなら、
夢中になれるものを見つけると、わき目もふらずに突っ走り、
思いっきり飛び出せるのも、ADHDのいいところだと、わたしは思うのだ。
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