どうも。志乃です。
昨今、『毒親』という言葉が、ブームになっていましたね。
今日は、それについての話題です。
途中、仏教の考え方についても触れます。なにぶん完全に独学なもので、もし内容に誤りがございましたら、コメント欄等で指摘して頂けますと幸いです!
毒親とは
毒親というのは、精神的・身体的な虐待や、モラルハラスメント、過干渉などによって、子どもの健全な心身の育成を阻むような関係性を持ってしまう親たちのことで、「子どもにとって、毒になってしまう親」という意味です。
加害者となっている親が、自らの毒に無自覚であったり、故意ではない場合もあり、それが問題をよりややこしくしています。
「親を悪く言うなんて」という、産んで育ててくれた親に対する敬意と感謝の気持ちを持つべきだという価値観も根強くあり、そんな親達との関わり方や、捉え方などについて、様々な議論がなされています。
現在のわたしのスタンス。「解毒」は大事。
わたしも、かつては自分の両親を「毒親」と呼んでいた時期がありました。
それは拙書「陣痛なう」でも少し触れています。
実際、そうして精神的にも、物理的にも距離を取ることで、劇的に改善されたことが多くあります。そうやって「避難」することで、「解毒」期間が持てたのだと思います。
母親との関係・生い立ちについてはこちらの記事でも触れていました
「許さない」ことで親と「分離・独立」することも必要
特にわたしの場合は、母親が典型的な「支配型の過干渉」タイプだったので、自分の心のテリトリーや、人権を守るためにも、物理的に距離をとることが必要不可欠だったように思います。
それまで私は、内心で親を否定しつつも、同時にずっと自分の中の「強い怒り」に蓋をして押さえつけ、「お母さんは悪くない。私が全て悪いんだ」と、自分を責め続けていました。それまでに染み付いた思考の習性で、自分を否定しがちな傾向もあり、「そうじゃないんだ、本当は私のせいじゃなかったんだ、私は怒っても良かったんだ」と、認知の歪みを矯正する必要もありました。
ですので、「許さなかった」こと自体を、否定するつもりはありません。
紆余曲折あり、私は自分自身のために、親と断絶していた状況に終止符を打ち、適度な距離感をはかりつつ、あらたな関係性を模索する道を選びましたが、程度も、環境も、状況も、人それぞれですから、人によっては、そのまま一生断絶していた方がいい方も大勢いらっしゃると思います。
育児を始めてから、親側の苦悩も知るようになって、なんだか複雑。虐待防止プログラムの講師によると「どの親も必死である」そう。だからといって深い傷を与えていいことにはならず。苦しむ親子が減ればいいなあ…としか言えなくて。綺麗事でもなんでも、救いがあればいいなあと思う。
— 志乃 (@shinoegg) 2015年8月9日
仏教には、こういう考え方もあります。
仏教では「怒り」は「三毒」のひとつ。持っているだけで人間を苦しめる
三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされている。ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られている概念である。
引用元:三毒 – Wikipedia
「貪(欲)・瞋(怒り)・癡(無知)」の3つが、人間を苦しめている諸悪の根源だと。胸中の激しい炎は、自らも焼いてしまうんでしょうか。
「心穏やかに、幸せを得るためには、怒りを手放し、慈悲の心を持ちなさい」というのが、仏教の教えなんだそうです。
ちなみに私は特に仏教徒というわけでもないのですが、仏教の考え方には「心のあり方」や「生き方のヒント」が詰まっており、それが不思議と現代の心理学とリンクしていたりして、すんなりと納得できることも多く、興味が尽きません。
全ては因果応報で、良いものも悪いものも、他人に向けたものは、きっちり自分にかえってきてしまう。だから悪いものを向けるのを一旦やめて、良いものを向けよう、ということなんでしょうか。
まるでそれを裏付けるように(?)、心理学や東洋医学、医療・美容の世界でも、「怒り」が心身に及ぼす悪影響について多く言及されていますから、不思議なものですね。
カウンセリングサービス■心理学講座「怒りの感情とのつきあい方」
何故か心が軽くなる、「慈悲の瞑想」。
脳のアルファ波の発生量が増えて、メンタルが安定するってホントかしら
くやしいが「慈悲の瞑想」はやっぱりメンタルに効果があるようだ | パレオな男
上記のブロガーさんが「スピリチュアルっぽくて嫌だなあ」と思いつつも、豊富な実証データ(?)を見て「慈悲の瞑想」を試してみたところ、明らかに脳波に好影響が見られ、アルファ波の発生量が増え、メンタルが落ち着いたことが判明したと。
たとえば、
- 慈悲の瞑想を7週間つづけたらポジティブな感情が増大し、うつ病の症状が減った(1)
- 慈悲の瞑想をつづけた被験者は、迷走神経の働きがよくなりストレスが減った(2)
- 慈悲の瞑想に、慢性痛や頭痛を減らす効果が確認された(3)
- 慈悲の瞑想をつづけた人は、脳の灰白質がぶ厚いことがわかった(4)
などが代表的なところ。また、具体的な期間については、1日10〜15分の瞑想をつづければOKで、よい効果を実感できた時点から15カ月ほど影響が持続したそうな(5,6)。なかなかの成果ですねぇ。
こう聞くと「ホンマかいな」とどこか胡散臭いような気もしますが、元記事の方では参照元へのリンクもつけてらっしゃいますので、ソースが気になる方は是非どうぞ。
怒りを和らげ、やさしい気持ちで心を満たす、おまじないの言葉
なんだかよく分からないですけど、【心が落ち着く、おまじないの言葉】という認識でもいいんでしょうか。声に出してもいいし、黙読するのもOKだそうですよ。
リラックスできる状態で、唱えてみてください。
『慈悲の冥想』の言葉
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。
次は、自分が嫌いな人、苦手な人のことを思い浮かべます。嫌いな人のいない人はまずいないはずですから、それらの人を心に思い浮かべて、それらの人のために「慈悲の冥想」を実践します。さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる人々のことを思い浮かべて、それらの人々にも「慈悲の冥想」を実践します。
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
そして最後にもう一度、
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。
参照元:慈悲の冥想
他人は変えられなくても、自分の心のあり方は変えられる。
親と断絶したままでも、自分の中の「怒り」だけでも和らげることが出来たら、スッと心が軽くなる人が大勢いるかもしれません。
私も試しにやってみた
夜寝る前に、布団の中で目を閉じながら、各々の顔を思い浮かべながらやってみました。ジワ~~っと、何故か胸のあたりが、あったかい気持ちになりました。
(※個人の感想です。効果には個人差があります)
最後の一文で、色々と台無しにしてしまった気がしなくもないですが、騙されたと思って騙されてください。
現場からは以上です。
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