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妊婦様と、わたしと、日本社会。「みんな違って、みんないい。」の罠

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どうも。志乃です。

突然ですが、「妊婦様」という言葉をご存知ですか。

妊娠しているというだけで、他人に対して、尊大な態度を取る女性のことを指すようです。その中にはとても図々しいタイプもいるようで、度々話題にのぼります。

ネットでは、そのような女性のふるまいを見て、「最近の親はこんなんばっかり!」と反感を持ったり、「こんなのと一緒にされたくない!」と憤る女性の姿を多く目にします。

今日は、そのことについてのお話です。

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「これくらいやって当然」と思う人は不幸体質

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自分を認める力が弱い人間は、他人を認める力も弱い。

他人に対してアレコレともの申したくなったり、自分好みにコントロールしたくなったりするのは、自分と他人の境界線が曖昧ということ。

「自分の方が正しい、自分の感覚に合わせるべきだ」という前提を強固なものにしてしまったら、それこそ「やってくれて当然」と尊大になる人間と、やっていることが同じではないのか。

求めるよりも、与えることが肝心で、やって欲しいことこそ、自分からやってあげることが幸せへの近道だったりもする。

世界のどこかで「妊婦様」が何をどうしようと、世間一般の「妊婦」への風当たりがどうあろうとも、本当は、自分には関係がない。

自分はそうありたくないと思うのであれば、そうしなければいい話で。

日本って「1億総監視社会」だなあと感じることが多々あれど、それを否定するために、仲間を「監視」するのも、本末転倒。

だけど、そんな監視と批判の声も、自浄作用として機能していたりもするんだろう。

色んな人間がいるから、社会が成り立っている。

「みんなちがって、みんないい。」の定着を阻むものの正体

モラルが高い故に、他人の行いを許せない人がいて。

正義感の強さ故に、やたらと攻撃的になってしまう人がいる。

決してそれが悪いということでもなく、「みんな同じで、みんな悪い」ことで、守られるものもある。その「守られるもの」が、多くの人にとって大事で、「みんな一緒で、みんないい」ことで失うものが不安だからこそ、定着しないのかもしれないね。

多様性と秩序、どうにか両立しないものかしら。

「他人がどうあろうと、自分の立場は脅かされない」という確信を、一人一人が持つためには、一体どうしたらいいのかしら。

「みんな」がどうかなんて、きっと関係ない。

たぶん、不安の出所は、「みんな」じゃなくて、自分の中にある。

現場からは、以上です。

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